悲しくなるのを止めてみた
「こんな事を言われて悲しくなりました」
家族、友人、同僚にこんな事を言われて悲しくなった…という言い回し。優しげで控えめで、日本社会でならいい印象を与えそうなんだけど、私は誰かの無理解に対して「悲しくなる」のをやめる事した。
思えば悲しくなり続ける人生だったと思う。子供らしくない、女の子らしくない、落ち着きがない、母親らしくない、協調性がない、社会性がない、男にこんな事を言われた、女にこんな事を言われた、年上の人にこんな事を言われた、彼氏に言われた、日本人に言われた、イギリス人に言われた、ドイツ人に言われた…。
悲しみ、落ち込み、自分を責めることで、自分に対して不当な評価をしてきた人達をどれだけ愉快にして来たことか。自分に対する虐めや無理解を肯定して来た事か。その人達の意見に正当性を与えてきた事か。
自分に悪意や無神経をぶつけてくる人の言葉で悲しむ事は、相手の自分の不当な評価を認めて、自分自身を痛めつける事になる。怒りは自己肯定の一部だ、自分自身を受け入れているからこそ、いじめに対して悲しむより怒りを感じるのだ。
だから、悲しむのはもうやめた。
悲しみは、大事なものを亡くした時、大事な人の悲しみに寄り添う時のためにとっておこうと思う。