「なりたい自分」があるんなら
夜、書店での勤務後、仕事場のよみかき室に寄ったらまた寒い道を帰りたくなくて、そのまま泊まることがある。
明け方、世間の進行方向とは逆に向かって帰宅。いろいろ言われているけれどもう長いこと朝の登校見守りを続けている人を遠目に見ながら。
「“行動したもん勝ち”だな。そしてその人自身を批判することはできないな」
と、その地道な行動にある種の尊敬の念を抱いた。この人が望む成果につながっているだろうから。そして、自分の胸に問いかける。言い訳を作って、決めたことをやらなくなる流れがいかに多いか。たぶん、続けることより、やめてしまう方が楽だから。ひょいと思考を翻す、そして何もなかったかのように中途半端な日々を繰り返す。
10代、20代の頃は元気で目を見開いていても、年を重ねるにつれ、希望していた方向への道は閉ざされて「負け組」になってしまったと諦めてしまう人もいる。
「勝ち負け」は嫌いな言葉の一つ。でも何らかの形で測れる成果という目で見れば、わかりやすい言葉だ。「行動したもん勝ち」という言葉がある(一般的かどうかはわからない)ように、いくつになっても「行動したら勝てる」可能性は高い。少なくとも、成功した人を傍観しているよりは。悶々としている自分を奮起させ、えいっと何かやってみるもよし。かすかな理想像でも何かあるのなら、それに向かう努力を続けるもよし。
「なりたい自分」を結びつけるのは「行動」。「願いなんか叶わない」「自分は負けた」と思ってしまうにはまだまだ早いのでは、なんて思った。