クリスマス前に
短大で音楽講師だった父のピアノのレッスンを受けていた中学生の頃、父からクリスマスプレゼントをもらった。クリスマスまであと数日。当日までは開けないぞと決めていた。クリスマス気分に浸りたかったのだろう、枕元においておいた。
その数日後に顔を合わせて「まだ開けてないの?」という父。「大したものじゃないんだから」と言われた。父は少し呆れていたかもしれない。
クリスマスの朝、わたしは包みを開いた。
中身は、お弁当箱のような薄いピンクの裁縫箱。6色の糸と長さの違う針、小さなハサミやメジャー、針山もあって、いつでもすぐに針仕事ができる。その時の父の意図は分からなかったけれど、思いがけないプレゼントが、何よりうれしかった。
30年近くたった今でも裁縫箱は健在。久しぶりに針に糸を通しながらいろんなことを思い出した。
父ともう少し同じ時間を共有したかった。でも父のある行動により、家庭内に問題が発生。わたしが小学生の頃に家を出て行った。父は40代ですい臓がんを患い、50歳になったばかりでこの世から旅立った。今、こうして父を恋しく思うのも、兄が時々生きていくのが辛そうなのも、家庭環境に少なからず起因しているだろう。
いつになく、心の中で母を責める。父親が戻る機会を拒否した母を。でも次には、やはり父を責める。家庭をもっと大事にしてくれていたら…。子供のことを思うなら、大人の世界とはいえ、防げる間違いは防いでほしい。その頃、ピアノには身が入らなかった。生徒としてはまったく話にならなかったと思う。
いま、わたしは父と同じくらいの年の男性がプロデュースする、4人のJAZZボーカルグループjammin' Zebに夢中。往年の名曲がPOPで親しみやすいアレンジでカバーされたり、オリジナルの力作もリリースされている。つい最近ファイナルを迎えた朝ドラの「エール」は珍しくチェックしていた。作曲家古関裕而さんをモデルに描かれたドラマだった。このように、作曲・編曲する男性の姿に父の姿を重ね合わせていることも自覚している。
父をなくした当時22歳のわたしは、周囲からたくさんの影響を受け、音楽への興味がわいた頃。10年以上コーラスのレッスンに通い、グループで活動するなど音楽に親しんでいった。ピアノも習っておけばよかったと思うし、父と合唱や音楽の話もたくさんできたのに、と叶わない思いはずっと胸の中にある。
2020年12月6日