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「理系の『なぜ?』が分かる本」より


表紙

 DNAに書かれた内容は個体によって微妙に違うので、味分子の受容体の形状は、全てのヒト個体で同じというわけではありません。そうすると、ある苦味分子は、あなたの持つ受容体にぴったりですが、別のヒト個体の受容体にはうまくくっつかない、ということがあります。するとあなたはその苦味分子を敏感に感知して「苦い」と感じますが、同じものを食べた別の誰かは「そんなに苦くない」と感じます。

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 抗体分子に関しても同じことが言えるのだろうか?同じ抗原に対して、微妙に異なる抗体分子が産生されるということなのだろうか?クリティカルポイントは維持されたままで、それ以外の部分は微妙に個体ごとに異なるということなのだろうか? 

 生物学は一つのサンプルに対して研究している。研究という理想的な条件下では成立するが、現実ではその事実は成立し切れないという事なのだろうか?あくまで一般論であり、個々の生物個体に対する特殊性は研究し切れないということではないだろうか?個々の個体にどこまでにその一般性を適用できるかどうかが、研究成果が活用できるかどうかの鍵になるのかもしれない。

 人間を他の生物のように、どこまで分類できるのだろうか?同じ人間であると分類の手を止めてしまうのは、正直つまらないし、お互いの違いを認めなければ、それ以上の進歩はない。個々に異なるから、個別的に対処する必要性が出てくる。人間ということで個々人を一括りにしてしまうのは、思考停止状態と言ってしまっても過言ではないだろう。少なとも科学的ではない。身体は科学的に検証できる以上、その個別性は追究できるということである。人間は皆同じというのは一般論止まりであり、前進するにはその特殊性を突き詰めて行くべきである。

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