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新しい日傘を買った
去年の夏 二回も日傘を失くした。1回目はなんとか返ってきたのだけど、とうとう2回目は返ってこなかった。なんてことない安くて普通の日傘だけど、本当に気に入ってた。一回もどこかに忘れたことも、失くしたはことなかった。それなのに寂しさがピークだったあの頃に、女学院生時代の思い出ある、あの日傘を失くした。
思い出っていらなくなる日がやってくるのかな?忘れるべき時がやってくるのかな?
そう思って悲しくなった。新しい日傘を買う気にはとてもなれなくて、あの夏は日傘を使わず過ごした。
暫く経った秋、時間は進んでいることを思い知る。紺色の制服を着てたあの時、永遠をどこか信じてた。私達は「あの時あの今」を確かに共有して分かり合ってた。だけど、「今」を共有していない。人は変わっていく、私も変わっていく。だから関係性も変わってく。それで良いじゃん?
同じ頃、授業で先生がこう言った。「昨日の君と今日の君、同じってこと証明できる?」
細胞は一分一秒生まれ変わる。
でも、私は忘れられない。水に流せさえできれば本当は都合良いことも、楽しすぎた思い出も。
「太陽が眩しかったから」人を殺してしまった昨日は、誰が責任を負うべきなのか?私にはやっぱり、今日の、明日の、未来のその人が負うべきものに思えた。
永遠はないのに、昨日の自分と今日の自分は所詮同じ人間。
人間は不器用だ。
私は不器用だ。
そんなことばっかり考えてたら、あの日傘への執念は消えてった。
私は、あの時代が必要でなくなったんじゃない。ただ、私は、あの時代を過去として消化できたのかもしれない。消化して、私のモノにしたのかもしれない。