教員を辞めて、4/1からnoteを始めた理由。#教師のバトン
教員を辞めたことを報告をすると「もったいない」と言われます。私も「もったいない」と思います。でも、「もったいない」が指すものは、おそらく異なります。
“もったいない” から教員を辞めました。
今でも、教員は天職だと思っています。
まさか退職するとは、【4/12 教員生活で最も幸せを感じた日】の「教員をしている自分が好き」だった私は、予想もしなかったはずです。
最後に勤めた学校では、教員をしている自分が嫌いでした。紆余曲折あっても充実した教員生活に幸せを感じていた分、大切にしてきた教育観を封印してまで、その学校の教員を演じることが苦しい毎日でした。仕事に誇りを持てなくなり、教員をしている自分を嫌いになったら…。それこそ、“もったいない” 。
私は、自己実現のために教員になりました。教員をするために生きているのではありません。学びたいこと、夢、やりたいこともあります。でも、同調圧力の中では、出る杭はちゃんと打たれて、「自分(の都合)を優先するのは、教師として間違っている」とまで言われ、大切な予定があるのに定時退勤を拒否されたこともあります。教員の喜びはあるけれど、それと引き換えに、自分の健康や私生活を犠牲にするのは、自分の命が “もったいない” 。
最後に勤めた学校で学んだことは、多様性の中には、多様性を必要とせず、みんな同じで居心地良い集団があってもOKということです。多様性の理解を深めたかった私にとって、その気付きは衝撃でした。私には、その視点が欠けていた。ただ、そこは私が生きていきたい世界ではない。そういう自分軸のようなものに気付くことができました。
5年前の私なら「これまで頑張ってきたのにもったいない」と踏み止まっただろうし、5年後の自分なら「年齢、家族、年収、退職金… 不安で、手放すのはもったいない」と仕事にしがみつくと思います。でも、今の私は、「この生活を続けたら、自分の人生が“もったいない”」と思ったからこその、決断です。
“もったいない” と後悔していること。
教員として多くのことを学びました。先輩教員から教わったことを自分風にアレンジしたり、後輩教員から刺激を受けたり、引き出しがたくさん増えました。生徒の実態に応じて言い方を変えたり、何かアイディアはないかな〜?と地域を歩いたり、研修会に参加したり、楽しい時間でした。
ところが、最後に勤めた学校では、各教員の経験や引き出しは必要ありませんでした。大切なのは、その学校がこれまでやってきた実践であり、担任の個性よりも足並みを揃えること。だから、他の先生方の引き出しから学ぶことも、私の引き出しをシェアすることもない。学校がそうなった経緯は理解するけれど、悔しいし、それが何より、“もったいない” と思っていました。
退職間際、他学年の年下の先生から教育実践や働き方について質問されました。印刷室でこっそり。その学校で、初めてのことでした。退職を決める前にもっと話せば良かった。もっと伝えれば良かった。それだけは、ちょっぴり後悔。もったいなかった、です。
“もったいない”から、バトンに託したい。
退職後はSNSで発信したいと思っていて、そのタイミングで #教師のバトンプロジェクト が始まりました。私は、教員として経験したことや学んだことを綴ります。最後に勤めた学校での後悔を、バトンに託します。
学校現場はどんどん変わる。生徒も教職員も入れ替わる。世の中は急激に変化している。365日経てば、みんな一つ歳を重ねる。保護者世代に近づき、いつかは保護者世代より上の年代になる。ずっと同じ教育では、どこかで苦しくなる。
私が綴る内容は、ここ約10年間のこと。自分が中学生の経験なら、20年も前のことです。10年あればガラリと変わるから、「今、目の前にいる子」にそのまま使うことはできないけれど、読んでくださる先生にとって、小さなヒントにはなるかもしない。そう思うと、ワクワクします。いつか、どこかで、素敵な化学反応が起こりますように。
この選択が正しかったと言えるように。
新しい生活が始まった今、大きな気付きを与えてくれた最後の学校には感謝しています。生徒は素直で、教職員は皆さん優しくていい人ばかり。保護者とのトラブルもなかった。それでも、教育観、自分軸、夢、生き方を考えたら、教員を続ける未来は考えられませんでした。まだまだ未熟者です。
今年度は、人生経験を積む1年です。学んで、経験して、挑戦する1年です。note以外にも新たな挑戦をしています。この選択が正しかったと言えるように、生きる。決断を受け入れてくれた家族、応援してくれる仲間、そしてバトンで繋がる誰か。今の自分にワクワクします。
長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。