『ルル』と『るる』
あなたと共にうたいたい。
元高校教師(国語)の
たこせん枝瀬です🐙
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教育は
自分が変わらないと
他人を変えることなんてできない。
=「主体変容」
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【たこせん枝瀬の発信の足】
【今回は主に「家族共育」編です】
サヨナラ 腐ったルール
夏休み最終日。
娘がお世話になっている学童保育で
カラオケ大会がありました。
地元の小ホールを借りて
カラオケの得点を競います。
対象は小4~保護者。
枝瀬も出ましたよ。
夫婦でデュエットです💛
鈴木雅之&菊池桃子『渋谷で5時』。
家族総出でノリノリだったため、
対象外だったけど、
小3の娘も出演させてもらえました。
というわけで、
この夏は何度か
家族でカラオケに!!
その中で、
ひときわ印象的だったのが、
(僕はそれまで知らなかったのだけど)
娘たちが「『ルル』うたおうよ!」と言って
二人で熱唱した、この曲。
娘たちが、娘たちなりに、
かわいい声、裏声、しゃがれ声、
がなり声、シャウトなど、
声色をコロコロと変えて、
滑舌よくテンポよく気持ちよく
歌い上げていく、
その楽曲の素晴らしさは
もちろんのこと、
惹かれたのはモニターに映る
歌詞。
この歌を聴いていて、
僕は、
すぐに
るるさん(くりすたるるさん)を
想起しました。
この曲、
るるさんにピッタリカモナって。
もちろん、
『るる』さんの
マインドフルネスで、
包み込むような肯定的な記事群と、
『ルル』という楽曲が放つ
激しい攻撃性は、
表面的には、
似て非なるものですが、
根っこは同じにしか思えないんですよね。
そして、
ずっと先延ばしにしていた
るるさんへのお返事を返すなら、
この曲とからめたいなと思ってました。
今思えば未熟だけど否定したくない過去の気持ち
もう2か月近く経つのですが、
以前、このような記事を出しました。
今でも熱量を思い出せるほど、
真剣に書いたつもりです。
一方で、
メッセージが強すぎて
ツラい気持ちになる方が
いらっしゃるかもしれない、
僕が見逃したり、勘違いしたりして
暴走している点があるかもしれない。
教師稼業をやっていて、
大きく学んだことの一つは、
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真剣に、まっすぐ
力強いメッセージを送るときは
よくよく気を付けないといけない
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です。
悪意のない善意ほど
時として人を傷つけますから。
だけど、
この記事は、
そういうリスクを負ってでも
出したい!!と思って発信しました。
るるさんから、
以下のコメントをいただきました。
一読して、
気づきの宝のような
コメントだと思いました。
ところが、
さっそく返信しようとすると、
容易に言葉にできない違和感が生じるのです。
自分でも不思議な感覚でした。
まず率直に指摘を受けた
という僕のスタンスについて。
これは、シンプルに
で終わりです(˶˙๏˙˶)♡
仮に学校に行かなくたって、
本人が、明確にやりたいことがあって、
そのための努力と試行錯誤を
積み重ねているのなら、
問題ないわけだし、
ただただ3年寝太郎のように、
食べて飲んでゲームして寝るだけの
日々を送っていても
うらやましいと思うだけで(笑)、
その子がどう感じ、
どういう風に変容していくのかを
ほどよく期待しつつ、
ほどよく期待しないで
見守ることが
(その子の親と一緒に)
今の僕ならできる自信があります。
ただし、
僕が答えに窮したのは、
という『初期の自分の気持ち』を
どうしても否定したくなかったからでした。
若気の至りでも、
未熟でも、
その気持ちは本気だったし、
トコトン生徒や保護者に関わって
ぶつかって、
それでわかってきたことがあるから、
僕にとって、
は、
今、思えば未熟だけど、
否定したくはない過去の思い。
第一、
はじめて担任をもつような教師が、
という態度でいるのは、
どうなんだろう?
という気持ちもあります。
(ここは賛否両論、分かれるかな?)
学校現場の最前線で
生徒と関わる担任は、
少なくとも、
そういう気持ち(不登校を出さない!)を
もって学級経営をしてほしくて、
そのうしろに僕たちのような
中堅以上の存在がサポートに回って、
と教え諭すような
教職員チームが
僕にとっては理想だったのです。
『それ以前』の教師がいるのよね。。
・・・と、
ここまで書きながら、
拭えない違和感が生じてきました。
それは、僕の記事に対して
るるさんの他にも反応を示された方がいて、
たとえば、
カオラさんは、
以下のような記事を出されました。
ここには、
小4のときのカオラさんの
心の傷が描かれているので、
多くは語りませんが、
読んだとき
「あ、」と思いました。
そうか、
僕が思い描く『以前の問題』だったんだ、
と。
心ない教師
悪意ある言動
パワハラ、セクハラまがいの振る舞い
新聞やニュースを見れば
教員の不祥事は至るところで発生しています。
ニュースになるような内容は
氷山の一角で、
有形無形、
カオラさんが経験されたような出来事も含めて、
学校現場には、
似たような事例がたくさんあるのでしょう。
カオラさんだって、
小4のときの心の傷を、
今になってようやく言葉にされたのです。
モヤモヤ
や
哀しみとか、
そんなヌルいものではなく、
傷
ですね。
子どもたちは、
ひょっとすると
「学校」という場で、
血がダラダラと垂れるような
傷を負わされて、
それを言葉にして
伝えることもできず、
ひょっとしたら
「自分が悪いのかも」という
気持ちにさいなまれている
可能性すらあります。
本人は1mmも悪くなくても、
子どもは大人から傷を受けると
自分が悪いと感じることがありますから。
繰り返しになりますが、
僕が出した、この記事。
これは
僕なりに
不登校の子どもを持つ親のお話を
見聞きする中で、
少なからず感じていたことで、
他責一辺倒だと、
誰も救われない気がしたのです。
それで書きました。
でも、これは、
ちょっぴり理想が
高すぎるのかもしれません。
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現実は、
お話にならないレベルで、
学校が、
子どもたちを傷つけるケースが
あるんですね。。
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そう叫んで他責にせずには
次に昇華できない気持ちがある。
そういう想像力が欠けていたことを
自覚せざるをえませんでした。
ひょっとしたら・・、ひょっとすると・・
ふと思い返します。
不登校になる生徒は、
他人の気持ちに敏感で
非常に感受性が強い傾向があります。
親や教師、
クラスメイトの心の中が
手に取るように『わかる気』がするんですよね。
思いやりがあって、
ついつい自分を抑えて我慢したり
自分を責めてしまいがちなところがある。
やさしいです。
その「やさしさ」に
あろうことか、
教師が甘えてはいなかっただろうか??
ひょっとしたら・・・
ひょっとすると・・・
そんな使命感に
燃えていた担任(僕)の言葉を
慮(おもんぱか)って、
あの子と、この子は、
ムリして学校に
『来させていた』のかもしれないなあ。
そんな過去の想像までめぐらせました。
本当は学校に行くのが
しんどかったけれど、
あの担任の「圧」が強いんで、
しゃーない行くか、
いや行くしかないか・・
そんな不自由な思いを
させていたのかもしれない。
そう思うと
自分がやってきたことが恐ろしくなるとともに、
教師稼業なんて
誰もできなくなるんじゃないか、
とすら思えてしまいます。
なんだか、
どんどん、どんどんと
自分の頭の中が
「文字」でいっぱいになって
窮屈に、息苦しくなってきます。
自分が描く
ネガティブなイメージの海で
溺れそうになります。
今の僕は、
これは現実と乖離した想像だ。
とすぐに気が付いて
思考にブレーキをかけられるけれど、
不安や恐怖をコントロールできないときって、
きっと、こんな感覚なんでしょうね。
「許す」の前段階には「絶対に許さない!」がある
話を戻します。
僕たちは
『にんげん』だもの。
自責か他責か
の二択じゃなくて、
自責も他責も両方あるよね。
ポジティブもネガティブも
わかりやすく区別できる感情ではなく、
ドロドロに溶けて
混じっているものだよね。
それを
どちらか一方にしなきゃいけないなんて
決まり(ルール)は、
はなから存在してなくて。
もし、
そんなルールに自縄自縛されているのなら
すぐにサヨナラした方がいい。
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あるものは
『ある』と認めよう。
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そして激しく
傷ついた人がいるときは、
と声をかけるのも悪くはないけど、
順番としては、
思いっきり、
他責で
トコトンまで
氣の済むまで、
気持ちを出し切って
昇華させるのも一つの方法。
僕自身振り返ってみてみても、
「許す」ためには
「絶対に許さない」という気持ちを
まず認める必要があって、
あいつ絶対ゆるさねーー💢💢
の次に
しゃーねー許すか・・
という順番なんですよね。
るるさん、カオラさんは、
「絶対ゆるさねー💢」を
通過されたからこそ、
僕に助言をくださったのだと
感謝しています。
まとめると
僕の記事に対する、
るるさん、
カオラさんの反応に対して
僕自身の違和感を言語化するという
作業だったので、
さっぱり意味わかりません!!
という方がいらっしゃたら
申し訳ありません。
まとめると、
そうだなあ、
やっぱり
このスタンスは
はじめからなくしたほうがいいですね ɿ( ˙๏˙ )ɾ
(得意の前言撤回 笑)
一昔前、
体育の授業や部活動で
という恐ろしい指導がまかり通っていたのが、
今は否定されているように、
やはり、
これからの学校教育は
がスタンダードでいいのかもしれない。
第一、
学校がなければ、
「不登校」という概念も存在しないわけで。
単に
「学校に行かない」という事実を
二次被害にして大きくしているのは、
我々、大人の責任な気がします。
この考えは、
『望ましいもの』として
固形化するべきではありません。
未熟で若気の至りでも
(ダメなものはダメじゃなくて)
イヤなものはイヤ。
繰り返しますが、
本人が、明確にやりたいことがあって、
そのための努力と試行錯誤を
積み重ねているのなら、
学校に行ってなくても
問題ないわけだし、
ただただ3年寝太郎のように、
食べて飲んでゲームして寝るだけの
日々を送っていても
うらやましいと思うだけ(笑)
ただし、
生きているものはみな、
『動的平衡』ですから、
その子なりに、
なにかを感じ、
なにかしら行動し、
どんなものに変容していくのか?
その一点は
ほどよく期待しつつ
ほどよく期待しないで
見守りたいと思います。
変容は必ず起きますから!!!
そして
変容は子どもだけに起こるのではなく、
その
子どもに関わる
大人も含めて
□□□□□□□□□□□□□□□□□□
運命共同体のように、
変容していきます。
□□□□□□□□□□□□□□□□□□
僕にとっては
それこそが、
教師稼業の最も魅力を感じる点で、
これからは、
もっともっと
共に変容していきたい人と
変容し続けていきたいな。
もちろん、
今も十分すぎるほど幸せですけど。
ね💓
るるさん
カオラさん
お返事が遅くなりましたが、
これで回答になっていますでしょうか??
お二人のおかげで
ちょっとだけタコも変容できた気がします。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
嬉しくてタコ吹いちゃいます(˶˙๏˙˶)♡
【追記1】
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ぜひご参加ください!
【追記2】
ついでにkindle本出版してます!
こちらも是非、お読みいただけたら嬉しいです。