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夢こそ「なんのはなしですか」エンタメ

あなたと共にうたいたい。

元高校教師(国語)の
たこせん枝瀬です🐙

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教育は
自分が変わらないと
他人を変えることなんてできない。
       =「主体変容」

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【たこせん枝瀬の発信の足】

タコマンダラ

【河合隼雄『で』語ります!!】


最近、夢を見るんです

河合俊雄『100分de名著 河合隼雄スペシャル』より

夢はわれわれの生活に対して
大きな意義をもっている。

簡単にいえば、

夢はそのときの意識に対応する
無意識の状態が何らかの心像によって
表現した自画像であるということができる。

この表現された心像を
検討することにより、

われわれは、
そのときの自分の
無意識の状態を明らかにし、

それの意識に対する意義について
考えてゆこうとするのである。

河合隼雄『ユング心理学入門』

河合隼雄『で』語り合おうシリーズを
はじめてから、

最近、夢をよく見る。

この数年、
夢なんて全く見ていなかったけれど、

河合隼雄について
書き始めているし、

改めて彼の著作を
読み直している最中だから、

夢を見るのも当然、
という気がする。

なぜなら、河合隼雄は
『夢分析』の専門家でもあるからだ。

自分が見た夢の内容の詳細は
ここでは語れないが、
(ごめんなさい)

どれも

ここから、お前の人生は変わるんだ
ここから、お前の後半生のスタートだ

というメッセージを
感じさせるものばかり。

そうしたら、
先週の25日(金)

本当に、
今後の未来が変わるような
出来事が起こった。

河合隼雄について
考えたり書いたりしている
タイミングで

与えられた
ご縁に驚きつつも、

こういう類のシンクロニシティは
何度も経験しているので、

また引き寄せたぞ

という気持ちもある。

いずれにせよ、
詳しくは書けないし
思わせぶりでごめんなさい(苦笑)

夢の話を本気で書き始めると

ジャンルとしては
スピリチュアルの要素が強くなりすぎて、

河合隼雄に対する
不要な誤解や偏見を抱かせたりする恐れが
あるのだけど、

枝瀬がこれから書くことは
全くの素人、門外漢の人間が
下手の横好きで書いた

あくまで一個人の趣味の文章
という程度で読んでいただきたい。

枝瀬は一貫して

河合隼雄『を』語ろうなんて

大それたことは考えておらず、

河合隼雄『で』語り合えたら楽しいな、
というくらいの

軽い、
いい加減なノリで書いていることを
先にお伝えしておく。

人生初めての記憶

幼い頃に見た夢で
一生忘れられない、というのがある。

われわれのところに来訪される方から
それらを聞くことがあるが、

多くは、その人の生涯において
極めて重要な意味をもっていることが
明らかになるものである。

ユングも後述するように、
三、四歳頃に見た夢を覚えていて、

それが彼の人生にとって
意味深いものであったことを、
彼の『自伝』に述べている。

河合隼雄『明恵 夢を生きる』

幼い頃に見てた夢で、
一生忘れられないもの。

みなさん、あるだろうか?

枝瀬には、
今でもはっきり覚えている光景がある。

↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓

母親が隣にいる。
会話はない。
信号待ちをしている。

僕は、
車が通りすぎていく様子を
ぼうっと眺めている。

立っているのは
環状線の大きな道路の脇道で、
走っている車の数はそれほど多くない。

当時、住んでいた
東京の駒沢公園近辺で、
町並みは閑静な住宅街。


信号が
赤から青になった。


僕は母親と一緒に
横断歩道を歩く。

行先は保育園だ。
当時の僕は4歳ころだろうか?

そのとき、

「ああ、今から自分の人生ははじまるんだ」

そういう
はっきりした自覚をもって

僕は、
横断歩道を渡っていた。

↑  ↑  ↑  ↑  ↑  ↑

・・・・・
という光景。

それが
夢だったのか?
現実だったのか?

区別があいまいなのだけど、

そのときの光景が

枝瀬にとって
人生初めての記憶である。

その夢は「なんのはなしですか」

繰り返しになるが、

専門的な夢分析だとか
フロイト、ユングだとかを関連付けていくと
これは、枝瀬の手におえる領域ではない。

でも、
自分が見た夢を、

自分の無意識からの
メッセージだと見立てて、

おやおや、その夢は

#なんのはなしですか

と自問自答しながら、
あれこれ考えるのは純粋に楽しい。

河合隼雄も著作の中で

分析する者の個性を反映して、
夢の解釈は一義的ではない。

その上、人間の意識は
ある種の階層をなしているので、

どのようなレベルにおいて、
その夢を解釈するかに従っても
異なってくるであろう。

ただ実際の夢分析の場合は、
分析家の言ったことが
被分析者にとって

どこまで

「ピッタリ」と感じられるかに従って、

ある程度の判定がつけられる。

河合隼雄『明恵 夢を生きる』
太字は枝瀬が付けた

と述べているから、
ここでは大雑把に、
夢をエンタメで楽しんでみたい。

というわけで、
枝瀬の人生はじめての記憶は

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信号が赤から青に変わり、
母親と横断歩道を渡りながら

「今から、自分の人生がはじまる」
と自覚する

□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

というものなのだけど、

その記憶は
まさに夢うつつで、

夢みたいな現実のような
現実のような夢みたいなお話だ。

この記憶はずっとずっと
鮮明に自分の中には存在していて、

ときどき、
意味づけをしてみるのだけど、

枝瀬本人の解釈としては、

交通マナーがしっかりして
無難なヤツだな、

が一番ピッタリくる。

つまり、

盗んだバイクで走りだして、
赤信号も構わずアクセルを踏み込むのではなく、

黄色信号が点滅する中を
あわただしく走り抜けるのでもなく、

閑静な住宅街で
車通りもほとんどないところを
しっかり青信号を確認してから渡っていく

という夢(?)の中の自分は、

いかにも安全志向であり、
なおかつ母親も同伴なのだから、

誰かがそばにいないと
行動をおこせない存在なのかもしれない。

でも、
今までの人生を振り返ると、

確かに、
車の交通量(リスク)が少なくても、

青信号になる(機が熟す)まで
しっかり待ち、

青信号(安全で着実)を確かめた上で、
誰か(夢の場合は、母親だけど)と
なにかをスタートさせる、というのは

たびたび経験してきたところだ。

そのとき、

はっきり自分自身で
「これから、はじまるんだ」
と自覚しているのが象徴的で、

無自覚なまま、
準備も何もしないまま、
ことがくるのを待つのではなく、

今まで自分に訪れた、
もろもろの出来事が

ああ、
このとき、この瞬間のために

星座のように
ちりばめられていたのだな、と
はっきり言語化できている。

星の一つ一つの並びが意味をなす

そういうときは、
引き寄せのエネルギーが
一気に高まって、

磁石のように欲しいものが
ペタペタと自分に引っ付いてくる。

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今、まさにそういう時機に
さしかかっているようだ。

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河合隼雄『で』語りだしたことと
無関係に思えないので、
書いてみることにした。

今、まさに
枝瀬の人生は
変容の渦中にあります

という
夢のようにつかみどころのない
ご報告で申し訳ないです。

河合隼雄の夢は「なんのはなしですか」

とりとめのない
自分語りだけでは
足りない気がするので、

もう一つ、
河合隼雄のエピソードを。

高校教師だった河合隼雄が
アメリカに留学に行き、

分析家と
自分の夢について語り合うお話。

分析をうけて間もなく
河合は長い夢を見る。

それは、

□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
ハンガリーのコインを拾う。

ハンガリーのコインだと思ってみたら、
そこに仙人が描いてある。

それで「エーッ!」と思う。
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

という内容。

夢分析のやりとりは
以下のように進む。

ハンガリーについて
おまえは何を連想する?

分析家

ハンガリーは東洋と西洋のあいだにあって、
ぼくらは西洋のほうだと思っているけれど、
音楽はものすごく日本的だ。

河合隼雄

うん、そうだ、
おまえは東洋と西洋のあいだから
貴重なものを獲得するだろう。

分析家

コインに描かれていた仙人について、
ぼくは老子を連想するし、
兄の影響もあって
老子の思想には興味をもっている。

河合隼雄

東洋と西洋の間からすごいことを
獲得していく中で、

老荘思想は
すごく意味を持つに違いない。

分析家

2人のやりとりを
かなり単純化しているので

興味のある人はぜひ
河合隼雄の自伝
『未来への記憶』を読まれたし。

なんにせよ、
夢分析は、

そんな形で、

見た夢の内容について
お互いに連想を広げながら、

自分たちの中で
ぴったり腑に落ちる解釈を
つくっていく

という
プロセスなのだ。


荒唐無稽と
笑う人もいるだろう。

意味がわからないと、
一蹴する人だっているはずだ。

でも、
実際、
河合隼雄が、

ユング心理学という
西洋の思想を

仏教や老荘思想と関連させながら
日本人に浸透させていったことを思えば、

まさしく
留学中の河合隼雄は、

西洋と東洋の橋渡しとなる
大きなコインを
夢の中で獲得したのだといえる。

さらに加えると、
河合隼雄が初めて分析をうけた
分析家の名前はシュピーゲルマンという。

河合隼雄が渡米するまえに
シュピーゲルマンが見た夢のお話が秀逸なので
紹介したい。

これはシュピーゲルマンを、
もっともっと年数が経って
日本へ招待した時のことですが、

そのとき彼が初めて言ったことは、

実はカワイがくる前に
自分は夢を見ている。

その夢の中で
西から太陽が昇る夢を見たんですって。

これはアメリカの西から
非常に面白いことが起こる、

ということだと思っていたら、
ぼくが来たというわけです。

それで自分はすごく期待をして
待っていたと言うてくれたのです。

ちょっと出来すぎみたいなことが
起こるんですよ。

河合隼雄『未来への記憶 下』より

枝瀬は、
こういう夢みたいな(?)
お話がキライではなく、

むしろ、

信じた方が
人生のエンタメとして
絶対におもしろい!

と考えている。

もちろん、
信じる・信じないは、
あなた次第だ。


今日は、ここまで。

最後までお読みいただき
ありがとうございました。
嬉しくてタコ吹いちゃいます‪(˶˙๏˙˶)♡‬


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