生徒のために尽くしすぎるとどうなるか?
この文章は主に
自己犠牲的な働き方をやめられない教師向けに書いています。
理想や情熱は人一倍あるのに、なぜか報われず心身を擦り減らすような感覚のある人は、ぜひ最後まで読んでください。
また「教師」を主なターゲットにしていますが、自己犠牲的な働き方はどんな職種にもあてはまりますので、適宜ご自身の仕事のやり方にあてはめて、振り返るきっかけになればさいわいです。価値あるコンテンツになっています!
さて、前回のコラムでは、
何もしないことに価値がある、
何もしなくても生徒に感謝される、
教師は生徒の目の前に存在しているだけで仕事をしているのだ、
という僕の実体験をお話ししました。
今日は、その逆バージョン。
初任~4年目くらいまでの若かりし、失敗談をお話しします。
初任の自分は、情熱に燃えていました(笑)
同時に、今よりも大分怒りっぽかったと思います。
教育委員会や管理職をはじめ、
上の立場の人たちの日和見的な態度、
あからさまな責任回避の言動に始終イライラし、
職員会議で吠えることがしばしばでした。
前職で塾講師をしていたこともあり
授業・コミュニケーションには自信がありました。
実際、生徒との距離がすごく近かった。
休み時間、放課後はよくしゃべりました。
自分の中で「この1か月は100人とコーチング面談するんだ」と決めて、すれ違う生徒に片っ端から声をかけたこともあります。
それが評判になり、
あるとき、廊下で「面談しよう、放課後職員室においで」と声をかけると、「やったー」と小躍りして喜んでくれた女子生徒もいました。
心のすさみは、教室の汚れに現れる。
徹底して掃除をしよう。
一人一役、全員体制で毎日、
少しずつでいいから掃除習慣を身に着けていこう。
そんな指導をしたこともあります。
教室は他クラスに比べて圧倒的にキレイで評判でした。
こちらも気分よく仕事をした気でいました。
学級通信もほぼ毎日発行し、
不登校になりかけの生徒がいれば、
保護者も不安がっているだろうから・・
と勤務先まで直接会いに行ったこともあります。
生徒のために、できることはなんでもやってみたかった。
「自分がやるんだ!」という気持ちが強かった。
生徒の反応もおおむね好感触でしたから、
本当に仕事も楽しかった。
そのころは、心身のすり切れる感覚はまったくといいほどなかった。
でも、それはあくまでも「僕」目線の話。
僕が教員に転職したとき、ちょうど第一子が生まれていました。
・・・が、
子どもの面倒は妻に任せて、自分は土日構わず部活に出勤していましたので、半年もしないうちに、妻は鬱病になりかけました。
僕が絶好調、万能感に酔いしれていた時、妻をずっと疲弊させていたことに気が付きませんでした。
さきほど「怒りっぽかった」というお話もしました。
表面上、うまくいっていればいるほど、
働いていない教師、特に生徒の批判ばかりを口にする教員に
腹が立っていました。
職員室にあまり長居したくなかったです。
そして生徒に対してもよく怒っていました。
「叱る」ではなかったです。
あれは「怒る」でした。
ただただ、僕の感情を生徒にぶつけていました。
自分のやっていることが「正しい」「生徒のため」だと思えばこそ、
注意をいとわなかった。
Kくんという生徒がいました。
軽音楽部の子で、古い音楽(60年代のR&B)に詳しかったので、
よくCDの貸し借りをして、話し込んでいました。
2年生の文化祭の準備期間のとき、
そのKくんが、まったくクラスの子と一緒に活動しないようになりました。
それまで、そんなことはありません。
なぜかわからないけど、クラスの生徒たちに対して、
明らかに、Kくんの方から壁を作っている印象でした。
僕は、Kくんを呼んで話を聴こうとしました。
でも、一向に話をしてくれません。
やはりクラスの子と活動しないのです。
クラスの子にも事情を聴きました。
「わからない」「心当たりはない」という答え。
よくわからないけど、壁をつくり沈黙したままのKくんに
僕はだんだん腹が立ってきました。
怒りました。
わざと、意図的にクラスの生徒たちの前で怒りました。
そこからです。
その日以来、Kくんはクラスと僕に対してさらに高い壁を作り始めました。
続きはまた次のコラムで書きます。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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