もしもピアノが弾けたなら!?いやいや、弾けてるよ!
あなたと共にうたいたい。
元高校教師(国語)の
たこせん枝瀬です🐙
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教育は
自分が変わらないと
他人を変えることなんてできない。
=「主体変容」
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【たこせん枝瀬の発信の足】
【河合隼雄『で』語ります!!】
もしもピアノが弾けたなら
10月17日に
俳優 西田敏行さんの
訃報に接してから
今日まで ほぼ毎日
通勤時
この動画を見るのが
ルーティンになっている。
昔から この曲
『もしもピアノが弾けたなら』が 好きで
カラオケでも よく歌っていたのだけど
河合隼雄『で』語ろうマガジンを
はじめてから、
この歌詞の意味を
改めて 吟味すると
おもしろい気づきがあったので
今回はそれを記事にしたい。
というのも、
僕は西田敏行にツッコみたいのだ。
ピアノ弾けて歌えているじゃん
と。
歌詞の意味は
不器用な男のせつない思い
という解釈が一般的だろう。
もしもピアノが弾けたなら
君に○○しただろう
そんな仮定形を用いて
相手に訴えかけるものの
実際は
ピアノが弾けない
という己の無力を嘆いているわけだが
いやいや
改めて この動画を見てほしい。
どこからどう見ても(笑)
ピアニスト清塚さんは、
なめらかにピアノを弾けているし、
西田さんも 情感たっぷりに
こころを全開きにして
歌っているではないか!
僕には まっすぐ
西田さんの 思いのすべてが
伝わってくる氣がするのだ。
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歌詞(ピアノがない、伝えるうたがない)と
実際の映像(ピアノが弾けて歌っている)との
ギャップ。
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独特の解釈に
なるかもしれないが、
こういうギャップは
高校教師時代
生徒との悩み相談のシーンで
たびたび出くわしてきた。
すなわち
そんな高校生の相談に
耳を傾けつつ
生徒の様子を
実際に観察していると
と
ツッコみたくことが
しょっちゅうなのだ。
そういう場面は実に多い。
教師目線で
客観的に観察していると
能力も魅力もすぐれたものを
間違いなく もっているのに
当の本人は
と思い込んでいる。
ジョハリの窓
自分自身や他者との相互理解を深め
より良いコミュニケーションや
人間関係を築く手助けツールとして
『ジョハリの窓』
というフレームがある。
4つの窓の特徴は以下の通り。
『解放の窓』
(例)名前、趣味、好きなこと、性格など。
→この領域を広げると
相手とのコミュニケーションが円滑になる。
『秘密の窓』
(例)個人的な悩みや過去の経験、価値観など。
→この領域を削減することで
より深い人間関係を築くことができる。
『盲点の窓』
(例)自分の態度や行動の癖など。
→この領域を狭めることで
自分自身をよりよく理解することが可能。
『未知の窓』
(例)自他両方が知らない情報や可能性。
→新しい経験や学びによって開かれるもので
自己発見や成長に繋がる。
今回の記事で
主に取り上げたいのは
「盲点の窓」
である。
と嘆く歌詞は
その人自身の
自己理解の範疇に過ぎず
(ただの主観)
実際の演奏や歌唱において
ピアノが弾けているし
歌えているという事実は
本人にとっては
「盲点」になって
気づいていないだけ。
難しいのは
と
いくら「言葉」を並べても
本人には まず伝わらないことだ。
当の本人が
「そうだ!」と腑に落ちて
納得しなければ
「盲目の窓」が開くことはない。
ということは
本人のタイミングで
本人が「そうだ!」と気づく瞬間まで
つまり
本人の機が熟して
「盲目の窓」が開くまで
伴走者としては
「言葉」よりも
付き合い続けていく
「態度」が求められるわけで。
この
付き合い続けていく
「態度」というのが
僕にとっては
『見守る』と同義語になる。
『盲点の窓』が開く その先に
『見守る態度』は
とにかく辛抱強さを要求される。
ドラマのような
感動シーンなんて滅多に起きないし
バッグに感動的な
BGMが流れることもまずない。
起承転結がはっきりしていて
3か月1クールという枠組みが
予定調和的にあるものでもない。
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起承転結のどのあたりなのかわからず
いつ『それ』が訪れるのかという
はっきりした見通しももてず
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ただ並走し続ける。
こちらとしては
その人の『盲点の窓』
つまり
当人が気づけていない
魅力なり可能性なりを
ブレずに心の中で
応援しながら
その人に関わり続けるのみ。
余計なことはしない。
いや
余計なことはできない。
そして
いつか
口先三寸の「言葉」ではなく
関わり続ける「態度」に恵まれた
環境に身を置くうちに
その人が
と気づく瞬間が訪れる。
そんな瞬間を積み重ねて
(気づきは1回だけではない)
『盲点の窓』が開いていく
その先には
やがて
二人にとって
今まで見たことのない
『未知の窓』が
開くことになるのだけど
共育に
関わるものにとって
それは やみつきになる
報酬のひとつだ。
そういうことを
つらつら思いながら
明日も
たぶん明後日も
しばらく
僕は『もしもピアノが弾けたなら』を
聴くだろう。
西田敏行の
コミカルで人情味あふれる演技を
思い出しつつ
と
ツッコミながら。
・・・・
終始 河合隼雄ではなく
西田敏行『で』語ったような気もするが、
まあ、いいか。
#なんのはなしですか
今日は、ここまで。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
嬉しくてタコ吹いちゃいます(˶˙๏˙˶)♡
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