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枝瀬の教師像(理想と現実の乖離)

あなたと共に成長したい。

元高校教師(国語)の
たこせん枝瀬です🐙

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教育は
自分が変わらないと
他人を変えることなんてできない。
       =「主体変容」

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【たこせん枝瀬の発信の足】

タコマンダラ

【今回は主に「学校共育」編です】

スタエフの文字起こしversionです🐙


波さんから質問いただきました

今回は
noteとXで仲良くさせてもらっている
「波さん」から、

以前質問をいただいていたので、
その質問に答える形で、
発信してみようと思います。

ご質問ありがとうございます!!

学生時代、尊敬する先生はいましたか?

尊敬する先生は、、、、、
・・・・・・・・
・・・・・・・・
いたのかな(苦笑)???

好きな先生はいました。

変わり者・変人が好きなのでね。

特に印象に残ってるのは、
高校の倫理の先生。

彼は、
とんねるずの木梨憲武に
似ていたんですけれども、

あるとき授業に、
顔面蒼白で登場してきました。

見るからに具合が悪そうで、
挨拶するや否や、

「今日は二日酔いだから自習」って
机に突っ伏しちゃったんですよ。

今、考えればあり得ないですよね。

だけど、
僕たちも「やった!」って大喜びで、
二日酔いで寝込む先生を尻目に、

教室で大盛り上がりしてたんですけれども、
今、そんなことがあったら
コンプラ云々言われかねない・・。

だけど、
僕はそんな人間くさい、

もっと言えば、
だらしない先生が好きでしたね。

この先生がいたから教職を目指したという先生はいましたか?

波さんの質問の2つ目になると、
僕の中でいきなり理想が跳ね上がります。

(話が急に飛びますが)
たこせんが高校3年生18歳のとき、
世界的に有名な映画監督 

黒澤明が亡くなりました。

『羅生門』とか、
『7人の侍』という映画で
有名な監督ですけれども、

彼が亡くなったとき、

多くのテレビで
「黒澤明」特集を
やったのを覚えてるんですよね。

黒澤明は、
映画の絵コンテを自分で描くんですよ。

すごく絵がうまいです。

その絵が上手くなった
きっかけが、
小学校時代の先生の影響なのだそうです。

『蝦蟇の油』という
黒澤明の自伝があって、

たこせんは、
この文章がすごく好きです。
引用しますね。

先生の云っている事は、さっぱりわからないから、どうも勝手なことをして遊んでいたらしく、しまいには他の子ども達とは離れた処へ机と椅子を移されて、特別扱いされるようになってしまった。
そして、授業している先生が、時々、私の方を見て「これは黒澤君には分からないだろうが」とか云った。その度に他の子ども達が私の方を見てクスクス笑うのを、何かひどく辛く感じても、先生の云う通り、先生が説明している事はまるで訳が分からないのが悲しく苦しかった。

黒澤明自伝『蝦蟇の油』より

要するに
黒澤明は小学校のとき
劣等生だったようです。

だけど、
それが変わるきっかけが、
担任先生の影響でした。

自伝の続きを、
引用します。

私の成長を助けた力は、黒田小学校の担任の先生の力である。その先生の名前は立川精治。変にいじけていた私を庇うようにして、はじめて私に自信というものを持たせてくれた。
 それは、図画の時間の事だ。昔の図画教育は、ただ常識的に実物に似ているというに過ぎない、砂をかむような画を手本にして、ひたすら忠実にそれを真似て、最もその手本に近づいたものが最高点を取るという方針だった。
 
しかし、立川先生は、そんな馬鹿なことはしない。ただ、好きなものを自由に描け、と言う。
 みんな画用紙と色鉛筆を出して描き始めた。
 
私も描き始めた。
 何を描いたのか、覚えていないが、とにかく一生懸命、色鉛筆が折れるほど、力を入れ、塗った色を指につばきをつけてこすったりして、手がいろんな色で染まったのはおぼえている。

 そして、立川先生が、みんなの描き上げた画を一枚一枚黒板に貼って、生徒達に自由に感想を云わせた時、私の画はただげらげら笑われただけだった。
 しかし、立川先生は、笑うみんなを怖い顔で見廻して、なんだか盛んに私の画を褒めてくれた。その内容は、覚えていない。
 ただ、指につばきをつけてこすったところを、とてもほめてくれたようなうろ覚えがある。
 そして、立川先生のその画に、赤インキで大きな三重丸を書いてくれた事は、はっきり覚えている

 それから、私は、学校はあまり好きではないのに、図画の時間がある日は、なにかその時間が待ち遠しくていそいそと登校した。三重丸をもらってから、私は画を描くのが好きになった
 なんでもかんでも画に描いた。
 そして画を描くのが本当にうまくなった。
 と、同時に、他の学課の成績も急速にのびはじめた。
 そして立川先生が黒田を去るときは、私は級長になって、胸に紫のリボンのついた金色の徽章をつけていた。

黒澤明自伝『蝦蟇の油』より。太字は枝瀬。

このエピソードを
たこせんは18歳、
高校3年生のときに知って、

こういう先生、
いいなって思ったのを
よく覚えてます。

三重丸をつけてもらった生徒が、
それまで劣等生だったのに、
自信をつけて。

それだけじゃなくて、
他の学科の成績も伸びて、
最後は学級委員にまでなった。

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何気ない一言とか、仕草が
子どもに決定的な影響を与える先生は、
やっぱり理想的ですよね。

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たこせんは理想がガツンと跳ね上がるので、
願わくば、そんな存在でありたい。

理想と現実が乖離しているのがタコ吹き

かたや現実は、
二日酔いで机に突っ伏す先生ですよ(苦笑)

これも僕は嫌いになれないというか、

理想と現実がだいぶ乖離しているけれども、

どっちも僕は好きなんですよね。

そこが「タコ吹き先生」と、
名乗りたいゆえんなのかなって、

波さんの質問について考える中で感じました。

まとめます。

自分が学生のとき
尊敬する先生って、
現実にはいませんでした(涙)

現実にいる先生は、
二日酔いで突っ伏すような俗っぽい人間です。
嫌いじゃなくて好きでした。

かたらや、
教職を目指すようになった存在は、

(黒澤明にとっての立川先生のように)
崇高で、理想的で、

生徒の絵に三重丸をつけて、
それが終生の生徒の自信につながるような、
そういう先生の在り方は、

今も憧れてます。

理想と現実が乖離しているけれども、
乖離しているものが緒くたにあるような、
矛盾をそのまま抱えてるような、

つまり、
「タコ吹き先生」が、
自分にとっては、好ましい。

なんだか、
中途半端な回答になっているかもしれませんが、
そんなことを考えた次第です。

たこせんを紹介くださり感謝!!

最後までお読みいただき
ありがとうございました。
嬉しくてタコ吹いちゃいます‪(˶˙๏˙˶)♡‬


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