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時間通りじゃなくても。

息子は「予定した時間に家を出る」ことがかなり苦手です。そして私は「余裕を持って動く」ことが苦手です。かつデッドラインが差し迫るとプレッシャースイッチがガクンと入ってしまい、自分の感情のコントロール力が一気に落ちます。そんな母息子の組み合わせなので、時間通りに物事を進めることをめぐって日々お互いのイライラやすれ違いが起こりがちです。社会と関わるときに「時間」はいつもついて回り、「時間を守ること」「準備時間の見通しを立てること」はとても重要に思ます。しかし本当にそうなの?と、と考えたお話です。

私は毎朝、小学生の末娘に対して「そろそろこのタイミング服を身支度を整え終わってなくては学校を出るのに間に合わないのでは?」とハラハラします。「そろそろ着替えようか」「宿題を入れようか」などなど思わず口出ししてしまいます。 
そのくせ私自身は自分のこととなるとかなり時間の見積もりが甘いタイプです。ギリギリでなんとかなる、という変な自信とポジティブな直感があり、毎朝同じ時間に出社することに人よりエネルギーを使う方ですし、仕事の進め方もスロースターターでギリギリになってお尻に火がつくタイプです。
さらに時間の見積もりが甘いくせに、直前になると急に時間が差し迫ってくるプレッシャーを強く感じ始めます。その際に周り人への配慮や礼儀正しが失われがちで、ここは私にとってかなりのウィークポイントです。

見方を変えると、ギリギリになってすごくプレッシャーを感じるから、集中力や高まるとか判断力がシャープになって、そのおかげでなんとか乗り切っているとも言えるのかもしれません。長い間自分という人間と付き合っていて、「時間の見積もりの甘さ」と「ギリギリプレッシャーによる心の乱れ」で苦労していることが判明しているのに、なかなか改善できないものです。それでもなんとかなっている、というのか、そんな私を周りが許容し助けてくれているんだと思います。

最近映画を観ることが好きな息子が「映画館で映画を見たい」ということで、一緒に映画を観に行ってきました。
余裕を見て30分前に告げていたタイミングでは、全く出かける気配がなく、この時間に出ないと間に合わないタイミングの数分前からようやく身支度を整え始めました。息子は、出かける前に念入りに手を洗ったりトイレにこもったりすることがほとんどです。不安を和らげるためのルーティーンなのかもしれません。
そして、やはり予定していた時間に大幅に遅れ、さらに私が近道できるかも、と選択した道が結局遠回りになってしまうということも重なって、映画が始まって20分ほどしてから映画館に入ることになりました。

ビジネスシーンだけではなくプライベートでも「約束時間通りに人が来る」ことは日本の常識であっても世界の常識ではない、と海外で生活されたことがある方々からよく耳にします。決められた時間通りに人が動くようになったのは、産業革命で機械を効率的に動かしていくためであって、機械に人間が合わせる必要があった結果だそうです。人間の快適さのために時間管理が始まったものではない、と知って腹落ちします。
それなのに、余暇の時間さえ「時間通り」に強く縛られて、時間に遅れると「良くない」という思い込みで自分の解釈によって体験の質を落としていることが多いと気づきました。

映画に遅れることが分かって歩いている時間、私はゆっくり息子と話す心の余裕がなくなっていました。映画館の人にも、遅れて入ることについて色々と注意や事前のお断り事項を話されて、ちょっとうんざりした気持ちになっており、それは映画館の方にも伝わっただろうなと思います。

今まで息子が、私が見積もる時間から大幅にずれて行動することに、ストレスを感じ続けていました。学校の先生との面談時間や病院の予約時間に遅れたり、あるいは時間に間に合わずにお断りすることもしばしばで、もちろん学校やフリースクールに「〇〇時に行きます」と約束していても1時間、2時間遅れることも多いです。生きていくエネルギーのようなものが低下している今の息子の状態ですし、そもそも気が進まない場所であったりするので、余計に時間通りにというのは難しくなるんだろうなと思います。

そもそも親の私だってこんなに時間管理は苦手で、そして周りの人に許容してもらいながらなんとかやっているということを改めて認識しようと思いました。
そして、「時間通りに」の呪縛から私自身をなるべく解放するように意識してみようと思います。考えてみれば、子供が小さいワーママ時代はずっと時間に追われていました。朝と夕方の送り迎えの時間をずっと気にして、帰ってからもできるだけ時短で食事の準備をし、眠るまでの間にお風呂や歯磨き、明日の支度をいかに段取り良く効率よくこなすかを考えていました。「時間通りに」とか「効率的に」の呪縛ってかなり強いです。

大事なのは、「時間通り」が大事な世界もあるけれど、そうでない世界もあるんだ、ということを自分の中に腹落ちさせることだと思っています。「障害」とは人にあるのではなく「環境」にあると言われていますが、息子にとって「時計の時間通りにまるで機械のように正確に動くこと」は今のところ大きな障害です。
機械に合わせて人間が動いてあげていたにすぎないのだから、それとそぐわない人が居るのは納得です。

少なくとも息子と二人で過ごす時は、なるべく時間に支配されない楽しみ方を探したいですし、「時間の正確さが求められる世界」で時間に遅れたところで、私たちのものの見方さえ時間の正確さに影響されないのでしたら、その場その場で体験していることの大切さをもっと味わえるのではないかなと思いました。



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