過剰にお買い物させることは、マーケティングの成功ではない
私の仕事は、ドラッグストアで販売しているようなヘアケアやスキンケアといった化粧品の企画開発&マーケティングです。
あるときチームメンバーの一人から
「こんなにたくさんの新商品はいらないって思っているんですよね」
と言われたことが気になっていました。
正直、そう。
ある程度の商品数は、店頭で存在感を出すために必要になる側面があります。
また、ドラッグストアなどでは年2回、棚替えのタイミングがあり、そのタイミングで販売実績が伸びなかった商品は新製品や売れている他の製品との入れ替えをされたりします。
ある程度売れ続けているものでも、お客さんにとってもう1回認知してもらうためとか新鮮さを感じてもらうため、または企業として「この製品に力を入れているんですよ」とお店側にアピールするためという側面もあり、デザインや処方改良などを定期的に行います。
短いスパンで商品の改良を繰り返したり「いける!」と思って企画開発していたのに実績が芳しくなく、代わりになる新製品を企画していくのは精神的にかなりタフです。過去を振り返ると売れなかった製品たちは死屍累々と積み重なっています。
マーケティングの世界とはこういう競争に入らざるを得ないのだ、と思っていました。
独自の視点で発信をされている文筆家の野本響子さんが、noteの中で「マレーシアに比べるとマーケティングが発達している日本にいると、必要ないものでも
買わなくちゃ、という気にさせられてしまってしんどい」というようなことを指摘されています。
これを読んで、確かにそうなんだよね…と思っていました。
そして自分がマーケティングの仕事に携わることにもやもやとしていました。
マーケティングを発達させていくことが、人に必要ないものを大量に買わせてしまう結果にしかつながらないのでしたら、確かにお金は稼ぎ出すけれど、社会を良くすることとマーケティングは相入れないものになってしまうのか、と苦しく思っていました。
しかし最近になって、日本のマーケティングが「発達しているから」人に過度にお買い物をさせる社会になっている仕組みになっているのではなく、逆にマーケティングが「未熟だから」こうなってるのではないか、と思うようになりました。
マーケティングは、限られたリソースをどこに注いでいくと効果が出るのかを考えていくことことです。もし狙い通りに製品なりサービスなりを買ってもらうことができたなら、そこにはきちんと満足感があるはずです。後悔をさせず、理想としては広告がなくても買い続けてもらうことができるはずです。
実は著名なドラッガーさんも「マーケティングの理想は、販売を不要にすること」つまり、作った製品やサービすが自然と売れていく流れを作ることが理想、としていて、不本意にものを買わせてしまってミニマリストを増やしてしまう、と言うことではないんですよね。
自分に必要なもののように感じて買った商品なのに、後で「これは自分にとって本当に必要だったのかな?」と疑問に思われたり、「日本にいると過剰にものを買ってしまってしんどい」と感じされてしまうのは、実はマーケティングの失敗なのではないか気付きました。
日本のマーケティングの問題は、極所展開している点、つまり短期的に売上を上げることに特化したもので、全体のマーケティング戦略が描かれていない場合が多いことなのだと思います。昨日noteにも書いたように、「戦術」はたくさん展開してるんだけど、戦略がない問題と同じです。十分に便利でモノがあふれていて、むしろモノを減らすことにリソースを割くような今の私たちが欲しいものは何か、きちんとマーケティングできている企業は残念ながら今のところ少ないのが現状なのかなと思います。
今までの仕組みの上に、新しいマーケティングを展開するのは骨が折れますし、半期に1回の新製品を出さずして、どうやって売上を維持していくかは難しい問題です。しかし、結局「こんなにたくさんのものは必要ないのでは」と作り手自身が苦々しく思いながら貴重な時間を割いているところに未来はありません。
本当の意味でのマーケティングの成功とか成熟とは、必要以上の何かを買わせる競争から脱することなのだ、ということを信じて向き合ってみたいと思います。
このように書くとフォースの力を悪用するのか、良き力とするのか、的な話に似ていますね。 マーケティングも道具なので、使い方次第というところでしょうか。