えだまめとだいず
エッセイ、書くぞー!
見てくださって、ありがとうございます。
えだまめです。
今回はエッセイです。
エッセイだけ見たいよって方は、「えだまめとだいず」からどうぞ。
リクエストにお応えしよう
前々回、こんな記事を投稿しました。
すると、リクエストをしてくださった方が2人も!!
前回のこの記事に引き続き、今回もリクエストにお応えする記事です。
前回の記事もぜひ。
けんいちさん、リクエストに応えるのがたいへん遅くなり、すみません。
読んでいただけているのなら、嬉しいです!
じゃあ、本編のエッセイをどうぞ!
えだまめとだいず
私は、えだまめが好きだ。
どこが好きかと言われると、少し返答に困ってしまう。
塩っけがあるところ、透き通った緑色をしているところ、ふさから出てくるユニークさと面白さ。時々、全然出て来ない、頑固なやつがいたり。面白い。
もしかしたら、私はただ純粋にえだまめが好きという人には失礼かもしれない。
えだまめを食べる時に、少し罪悪感があるから。
私は、だいずも好きだ。
非の打ち所がないと思う。
究極に丸い形、程よい甘み、そしてその包容力。そのまま料理にしても、加工しても、発酵しても、美味しい。
人によって好き嫌いはあるかもしれないが、日本人にとってなくてはならないものだと思う。
納豆やら味噌やらは、日本人を形作ってきたものだろう。だいずは偉大だ。
えだまめは、だいずになれなかった。
否、なることを許されなかった。
私がえだまめに感じている罪悪感はそれで、えだまめを愛おしく感じる部分もそこ。
えだまめはだいずに比べて、未熟なのだ。厳密に言えば緑だが、青い。
つまり、まだ「こども」だ。
もしかしたら、だいずになりたかったのかもしれない。
自分はだいずとして、形姿を変えてもいいから食べてもらいたい。そう願っていたえだまめがいるかもしれない。
そう思っているかもしれないえだまめには申し訳ないが、えだまめは美味しいのだ。
えだまめは自分で思っているよりも、ポテンシャルが高く、可能性に満ち溢れている。
もちろん、自信に満ち溢れたえだまめもいるでしょう。それはそれでいい。自分を持って、そのまま行け!
…自分で書いていて、怪文書みたいやなと思ってます。この気持ちに嘘偽りはないのに、分かってくれる人は少なそう。
より多くの人がえだまめのポテンシャルに気づいてくれるよう、おすすめの食べ方をいくつか。
スタンダードな食べ方は、そのまま食べることだろう。塩を振って、ふさから出して。3月になれば私も20歳なので、ビールを片手に食べてみたい。きっと、美味しい。
そして、焼いてもいい。
甘みが増す。騙されたと思ってやって欲しい。やみつきになるよ。
そして、煮ても良い。
だいずとえだまめの奇跡の再会。親子丼ならぬ親子煮として、豆のスープにするのもよし。
えだまめを食べる際、きっと罪悪感は消えない。ずっと、申し訳ないな…と思いながら、食べるんだろう。
でも、皆さん、心当たりは無いですか?
罪悪感を自覚しながら食べると、より美味しく感じて止められないこと。
真夜中に食べるポテチLサイズと並んで、罪悪感を持って食べるえだまめは美味しいです。
…えだまめとだいずが食べたくなってきた。
見てくださって、ありがとうございました。
えだまめでした。