#27 「 奇跡 」
二月の寒い午後だった。
商談が不調に終わり、スマートフォン越しに響く不機嫌を隠さない上司の声にうんざりしながら、会話に夢中で俺に気付く気配もなく歩いてきた二人連れのご婦人を半身で躱すと、そこに早紀がいた。
彼女の手から投げ出され、スーツに降ってきたコーヒーは冷めていた。
あの日はね、考え事をしながら歩いていたから、コーヒーの存在を忘れてたの、とシーツに包まった早紀は微笑っていた。
あの日、赤く泣き腫らした目で考えていたことが何だったのかは、聞かなかった。
出逢いは偶然だ。
その偶然を奇跡と言い代えるためには、現在進行形で上手くいってないと駄目なんじゃないかな?
偶然と奇跡は曖昧な境界線上を行ったり来たりしているから、その不安定さを回避したくて、求め、応える、のかもしれない。
レイトショーの帰りに、指を絡めながらそんな話しをした。
春、夏、秋、と三つの季節を二人で過ごして、週末の予定より少し先の未来を話し始めたころ、早紀の笑顔がぎこちなくなった。
気付かない振りをする代わりに、愛していると繰り返した。
何度も、何度も。
俺は臆病者だ。
出逢いが偶然なら、別れは必然なのだろうか。
出逢いが奇跡なら、別れは・・・。
彼から連絡があった、と早紀に告げられた。
私も忘れられないでいるの、と付け足して。
俺には、彼が君に連絡することに抗議はできる。それでも、君が今でも彼を好きだという気持ちは覆らないのだろう。
選べばいい、と答えた。
奇跡になり損ねた偶然なんて、掃いて捨てるほどあるさ。
酔い覚めの朝、空々しく唇から溢れた。
< 了 >