煙草と金星と失恋について
私はあまり煙草は好きじゃないのだけれど、私がかつて愛していた女性は愛煙家だった。ふたりで休憩に行って、彼女が煙草を吸うのを眺める時間が幸せだった。最初の一回だけは1本吸ってみるかと訊かれたけれど、それから先は二度と勧めらなかった。身体に悪いから吸わない方がいいと、私をニコチンで燻してしまわないように風下にまわりながら、彼女はよく苦笑いしていた。当時の私はカフェインが手放せなくなっていて、たまにタブレットで補ったりしていたのだけれど、そのことについては秘密にしていた。一点の曇りもなく健康的な、穏やかで大らかなかわいい後輩でいたかったから。
彼女が郷里へ帰った冬の日記には、よく煙草についての短歌が書きつけてある。彼女が去ることを決めたと教えてくれた夏からの3年間、私は短歌に没頭した。失恋に由来する動揺と高揚を吐き出して、なんとか平静を保とうとしたとき、散文は生々しすぎていけなかった。五七五七七というカタチの箱の中にきっちり収まるように、渦巻く激情を言葉でカットして、都合の悪いところは粉飾してしまって、やっとのことで乗り越えた失恋だった。
いったい彼女は何本くらいの煙草を、私の前で吸ったんだろう。何杯くらいのコーヒーを、私は彼女の前で飲んだんだろう。指を折って数えられそうな気もするけれど、たぶんそんなことできない。もう数年も前に終わってしまった話だから、ずいぶんといろんなことを忘れてしまった。
暑い日もあったし、寒い日もあった。いろんなことがあったけれど、それらの日々は混然一体となって、ひとつにまとまった。私はそれをあの人といっしょに過ごせた時間と名付けて、まだ指先で弄んでいる。そろそろ手垢が気になり始めるかも知れない。そうなる前に恋愛と書き入れたラベルを張って、それが朽ちて見えなくなってしまう日まで、心のなかのどこか邪魔にならないところに置いておくより他はない。
いわゆる、終わってから気づいた恋愛だった。心の底から愛していたのは本当だけれど、私自身にリスロマンティックの傾向があることや、恋愛感情以上に強く後輩が先輩へ寄せる素朴な敬意を抱いていることで、発見が遅れた。後からふり返れば、思い当たる節がいろいろと見つかるのは、この手の恋愛のおもしろいところだと思う。
たとえばある冬の日、ため息の白くなるような寒い一日の終わり、帰りがけに寄った野外喫煙所で、先輩の吐き出した紫煙が街頭の光を受けて渦巻くのを見送った先に、金星があった。先輩がいつもつけていたシンプルな金のピアスみたいに、正真正銘の金色に強く輝いていた。強くて濃くて鋭い金色だった。駅前で別れたあと、その金色を眺めながら、煙草を挟んだ彼女の白い指先が、寒さで小さく震えていたことや、すっかり口紅の落ちた唇が煙を吸い込むたびに、じゅっと赤く燃えた煙草の先端の火の暗さや、ひとよりも音が高くて楽しげに響く彼女の声の明るさや、細くて軽い髪が風に押し流されて暴れていたことを思い出して、私はすごく幸せな気持ちになった。あれ以来、金星が特に強く輝いているのを見ると、私は先輩のピアスを思い出す。夜空に金星がある限り、私は彼女の幸福を祈り続ける。
私は煙草が好きじゃないから、たぶんもう誰に誘われても、喫煙所になんか行かない。だからあんな風に金星を見ることもない。これが恋じゃなければ、なにが恋だか分からない。すべては終わってしまったことだけれど。
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