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【全文無料】『ナミビアの砂漠』にみる現代のコミュニケーション不全

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『ナミビアの砂漠』は大傑作だった。
2020年代を代表する映画になると言っても過言ではないので、感じたことを記録しておこうと思う。
「女性と社会論」的な話はいろんな人がしてるので、ここでは「コミュニケーション」について述べていきたい。


まず開始10分でリアリティ・リアル感がハンパじゃない。

口が半開きで日焼け止めを塗りながら大股で歩くカナ(河合優実)。
いる!!!新宿に行けば100人は見る!!!
なかなか映画序盤で、このレベルの解像度の高さを味わうことは珍しいので感動してしまった。

そして、友達のイチカ(新谷ゆづみ)と会うわけだが、カナはウキウキである。だって秘密のハッピー2股ライフの話がしたくてしょうがないから。
カナにとってこれより楽しい会話なんてこの世界には存在しない。

しかし、イチカは暗い表情で同級生が自殺したと語りだす。
当然カナはそんな話に興味がない。2股話の方が100倍大事だ。
だから周りの会話やBGMで友達の声が聞こえなくなる。
カナは自分の話を聞いてほしいだけで誰にも興味がない。
そして最終的には誰の声も届かなくなるわけだが、カナはコミュニケーション能力、というか意思伝達能力、相互理解力みたいなものが著しく低い、開始時点でその印象が強く付けられている。


落ち込んでいるイチカはとりあえずホストにでも連れていけばOK☆万事解決☆その後イチカの登場はない。

カナを自己中心的で冷たい人だとも感じる一方で、ホストに連れて行って元気をだしてほしいというカナなりの優しさも感じた。
しかし、落ち込んだ友達を励ます言葉を知らないからハグしてホストに連れて行くことしかできない。
ちなみにイチカとは対照的にカナはホストクラブでも全く楽しそうになく、ほとんど会話もしていなかった。


さて、友達をホストに置いてハッピー2股ライフに戻る道中、キャッチに絡まれブチギレる。バカま◯ことか言われて言い返している。
「おぉここでキレるのか…というかその言葉使うんだ…」と狐につままれたようなおっかなびっくりな気持ちになった。
直接的というか野性的というか凶暴的というか。
でもこのキャッチにブチギれるのが、カナという人間をとても端的に表現しているなとも思った。


そしてハヤシ(金子大地)と合流するわけだが、ハヤシはろくでもない男である。平気で立ちションする男は100%ろくでもない。
(私はほぼ酒を飲まないので偏見かもしれません)

序盤のハヤシは浮気相手A的な登場だが、重要なのはトイレで2人一緒におしっこしてる場面ただの同時放尿変態プレイではない。
あの場面、カナが座っているところにハヤシが上から乗っかっている。
セックスなら逆である。
つまりこの物語は、終始いわゆる「男女」の描き方が逆転している。


酔った介抱をするのは今彼ホンダ(寛一郎)であり、そもそも家事全般を全てホンダに任している。ホンダがハンバーグをまとめて作って冷凍したりする。対してカナは冷蔵庫からハム見つけて食らう。

定職に就かずふらふらする寅さん的な物語もダメ男として男が担っていたが、そこも逆になっている。
(ちなみに最近のおもしろかったダメ男映画は、『そして僕は途方に暮れる』映画なんか見て何になるんだよ!と思ったそこのあなたもにもおすすめ)


その後「男」のハヤシが、遠回しに、とても遠回しにカナを傷つけないように、「今の彼氏と別れて俺と付き合おう」という主旨の発言をする。
これも散々浮気、不倫ドラマで見てきた「彼女と私どっちが大切なの!」とか「今の旦那と別れて私と結婚して」とかの逆である。

そんなありきたりな女性像の押し付けはもう勘弁してくれと言わんばかりの逆転現象が随所に散りばめられている。


さて、困ったカナだったがホンダが風俗に言ったと告白しチャンス到来である。もう笑いを隠しきれない
2股してる彼女に風俗言ってごめんと誠心誠意謝罪するホンダはとても滑稽だった。

実はもう破綻寸前の関係なのに「いい感じっすよ」と言っていたり、突然姿を消したカナを車で迎えに行くし、カナを十分理解していると誤解していたり、道端で号泣し土下座したり、とても滑稽だがそのまっすぐさと不器用さに思わず笑ってしまう。


さて無事に(?)ホンダと別れたカナは正式にハヤシと付き合い同棲することになるが悲劇の始まりである


ちなみに付き合う記念にカナは鼻ピアス、ハヤシはタトゥーを入れる。
この辺からカナの鼻から血が出る場面が何回かあるが、女性で突然の出血といえば十中八九、生理のメタファーだろう。


そしてカナは休学中の大学生とかかと思ったら、脱毛サロンの店員として働いている21歳だったが、ここでの言動もすごい。
つまんなそうに働き、同僚との会話も上の空、まるで機械のように淡々と働く。職場でのコミュニケーションも全く上手く行っていない。

なぜならこの作業はカナにとって意味がないから
脱毛の不毛さ(うまいこと言いました)を知っているから。

というかちょっとググればわかることを調べない客のことをバカにしてるし、そんな場所で働いている人たち(自分も含めて)のこともバカにしている。


一方ハヤシは職業不詳だったが、どうやらクリエイターらしく映像やら文章やらで稼いでいるっぽい。

そしてキャンプに行って親や友人を紹介されたカナは驚く。

ハヤシの周りは住む世界が違う人たち、いわゆる「上級国民」である。
とりあえず相槌打って誤魔化すが、会話が全然成り立たない
居心地悪そうなカナをハヤシが気にも止めていないのが印象的だった。

つまりハヤシは「親ガチャ」に成功した人であり、「実家が太い」のだ。
帰る実家があって良いな」と言われるような人物だ。


その後ハヤシとささいなことで喧嘩になる。
カナがお腹すいたと言うと、ハヤシはお腹に顔を近づけ「お腹は空いてないって言ってるよ」と言い、カナはブチギレる。
最初はシンプルにハヤシがつまんなすぎてキレたのかと思ったが、声は腹から出すのが基本だ
つまり君の声は他の人には届かないよという意味だ。だからキレた。


そしてカナはついに切り札を使う。
ハヤシが中絶させた過去だ。
そこで証拠品として提出したのがエコー写真だが、エコー=反響という意味でここでも声のメタファーがある。
カナの声はもう誰にも届かない。


そして階段から落ちて骨折。少しの間、車椅子生活になるが療養中、新しい登場人物に会う。ハヤシの同級生三重野(伊島空)だ。

あの場面、正直かなり違和感があった。
物語の展開上特に必要な人物というわけでもなかったし、それに三重野は官僚エリート、ハヤシが仕事を辞めて今何をやっているかは気になるが、車椅子に乗っているカナについては特に何の疑問も抱いていなかった。
そもそもカナとはろくに会話もしていなかった
場所も何故か都庁、散歩するにしても都庁?

考えてみると、カナはあのとき車椅子に乗っていた、ハヤシと三重野は仕事の話ばかりしていた。三重野は官僚。

つまり、カナのような女性を社会的地位の低い人と認識し(物理的にも見下していた)、視界に入ることを拒絶していたのだ。

これは、女性や車椅子に乗っている人(障害者)は今の日本社会(政府・官僚)から見下されていますよ、無視されていますよ、という話である。
日本で評価されているのは、働いて金を稼ぐ人ですよという極めて新自由主義的なメッセージで、だからカナは気まずそうにしているのだ。

ついにカナは社会との接点(コミュニケーション)がなくなったと言い換えられるだろう。


さて、このあたりから喧嘩のオンパレードになる。

ぬいぐるみを買ってもらって喜んでるかと思えば、一瞬で殴り合いをしている。もはやコントである悲劇と喜劇は紙一重とはよく言ったものである


そして、前後あるかもしれないがこのあたりで「日本は少子化と貧困で終わっていくので今後の目標は生存です」と急に政治的なことを言い出したなと感じた。

これはコロナ禍前後でひろゆきとかがよく言っていたような言葉(「日本はオワコン」)で、多分ユーチューブやTikTokの切り抜きを見ていたのだろう。

これは日本というかカナの話だ。ハヤシは子供を堕ろしている。そして仕事をクビになった(少子化と貧困)

もはやカナの人生に目標やゴールはなく、子供を産む気もないし働けない、生存していくことが目的となっていった。


いよいよ万事休すかと思われたが、そんなカナに救いの手が現れる。
カウンセラー(葉山依(渋谷采郁))の登場だ

カウンセリングでは、思ってること、考えていることと行動が違うのは許される、という話を聞く。
これはカナにとっては目から鱗だったはずだ。
ワイプから謎の空間でジョギングし、メタ的に観察するカナが登場する場面があるが、これはカナの頭の中だろう。

健康的な生活を夢見るカナの理想像だと解釈した。

しかし、現実ではほとんどプロレスみたいな喧嘩を展開している。
現実は中々厳しい。


そして、2度目のカウンセリングでカナはカウンセラーと休日に会いたいと誘う。
カナはただ話がしたい、だけど話を聞いてくれる人がもう周りにいなくなってしまった。

だからカウンセラーに、仕事という範疇を超えて対話したいと願った。

しかし理解者かと思ったカウンセラーだったが、あくまで業務の一環だとわかり、失望していた。あのときのなんとも言えない表情が忘れられない。


そしてまた、私の頭の中の理想の生活だ。

本当は隣人とキャンプとか行ってみたい。火を囲んで話がしたい。
しかし実際は挨拶もろくにできないような状態である。


若干話がそれるが、この焚き火の場面、唐田えりか(東出昌大と不倫疑惑あり)に言わせるにしては残酷なセリフが多かったように感じた。
メタ的な配役なのだろうか。

しかも当の本人である東出昌大は妊娠し再婚、そして山中でキャンプだホイ生活をしているのだから皮肉なものである。


さて、最後になってカナの母親が登場するが、中国語でほとんど何を言っているのかわからない

これが今のカナの精神状態なのだろう。

听不懂(ティン ブー ドン)」
隣の部屋から聞こえる英語や親戚の中国語と同じように、周りの言っていることが「わかんない」
一貫して相手とのコミュニケーション不全に陥っていたカナの全容が最後に明かされる。


そして三人の手に渡ったハンバーグ(ホンダが作り、ハヤシが見つけ、カナが食べる)をみて思わず笑ってしまう場面でカナは気づいたのかもしれない。

他社と共存することでしか生きていけないことを。
思考と行動をうまく切り離してなんとか生活するしかないことを。




以下、極めて個人的な感想

全然知らなかったが、ナミブ砂漠の動画は実際にユーチューブで24時間配信されていて、2021年あたりにバズったらしい。

そして今(2024年)は、アザラシ幼稚園が大バズりして土日は同接1万以上になり、スパチャが飛び交っている。

これは確かに外国にある経営危機のアザラシ保護施設を日本から救ったという視点で見れば美談だが、果たしてアザラシのライブ映像にお金と時間を費やしている日本人は大丈夫なのだろうかと少し心配になってしまう。

思い返せば、『花束みたいな恋をした』では「パズドラしかやる気しないの」がパンチラインになった。
あれから3年ほどたち、もはや現代人は休日にライブ映像の垂れ流しを見るしかできなくなったのだろうか。

そんな社会では、本当に生存だけが目的の殺伐した未来が待っているような気がしてならない。

程度の差はあれど現代人にとってカナはとても普遍的で、はたして狂っているのはカナかハヤシかそれとも現代社会か、そう考えさせられた映画だった。


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