高3の夏休み)親との付き合い方がうまくなったな、おぬし!
子すずめは学校法人角川ドワンゴ学園N高等学校の通学コース生でこの春高校3年生になりました。2022年4月からN高オンリー、N高純正品です。
子すずめは、最近、私のあしらい方が上手くなりました。
誰かが相談のような形をとって話してくると「この人は意見を求めている」と認知して、具体的な助言をするタイプ…なのが私です。私自身は「具体的に動くこと」で人生の難局を乗り切ってきた経験があるので、つい具体的な助言をしてしまうタイプのうざったい奴です。
生育途上で、そういう親のタイプを散々知らされてきたせいなのか、最近は…
「あのさ、ただ話聞いてくれればいいから。意見は全く求めてないから!」
という前置きを言ってから、モヤモヤっとしたことや愚痴を吐き出すようになりました。意見を求めるときは、「あなたならどう思うか、聞かせて欲しい」「あなたなら、どうするか教えて欲しい」という前置きや締の言葉が付随しています。
うまいな、おぬし!
先に何を自分が求めているのかを表明しておけば、欲しい回答じゃない回答は飛んでこないということを学んだか!それ、大事よ。親と言えども他人であり、どんなに近しい他人であってもテレパシー(精神感応力)を持つ超能力者ではないのであなたの思いを100%汲み取ってくれたりしません。さすがに「具体策を助言したいタイプ」つよつよの私でも、「話を聞いてくれるだけでいい」という前置きがあったら、具体策の助言するなんて野暮はしませんや、「話を聞く」ことが子すずめから求められてるその会話でのコミュニケーションゴールなのだから。
実は、私自身は他人からネガティブな愚痴やぼやきを聞かされるのが好きではありません。他人が今感じているモヤモヤとしたものからネガティブな影響をもらってしまって、自分も倦怠感を感じるからです。ネガティブは感染すると思っています。愚痴をいう余裕や時間があるなら、具体的な行動を考え出して、それがどんなにアホらしいことでもできるだけ試して、現状を打開しようと試みた方が性に合っているタイプだからです。
マザーテレサも言ってるじゃないですか…
と。
愚痴を言う頻度が高くなると、愚痴を言うこと自体が自分の初期設定になってしまいそうで、そしてその愚痴愚痴した状態が自分の行動に影響しそうで怖い。愚痴を言う頻度って、たぶん、うまいこと自分で適量にコントロールできない、エスカレートしていく一方なのではないか?と思っています。
とはいえ、「具体的な行動をいくつも考え出して、それをできるだけ試して、現状を打開しようと試みた」けれど、万策尽きて、もうにっちもさっちもいかない状況になることもあるのが人生なので、そういう時にこそ愚痴を言って一息つくべきだとは思ってます。八方ふさがりの時に、愚痴を吐くことで感情の解放や精神的な浄化を試みるのは大事なことだとは思うのです。そういう時に愚痴を聞いてくれる人がいるのはありがたいと思っています。ですが、普段から息を吐くように愚痴を他人にぶっ放して他人を自分のネガティブな感情を吐き出す先として濫用してる人も…いますよね。(私はそういう環境からは後ずさりして逃げますけど)
ということで、愚痴を言いたいのならば、子すずめが体得した技のように最初に何がこの会話におけるゴールなのか?自分は何を求めているのか?を前置きで述べてから話すというのはありかもしれないと思った今日この頃です。