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Écristoとはなにものなのか その1
文責:魚の理
今更だが、読者諸賢にとって「Écristo」という言葉は聞き馴染みのない言葉だと思う。それは単純に造語だからとしか言いようがないが、どのような構成かと言うと、Écritureと-stoを組み合わせたものである。
Écriture(エクリチュール)とはフランス語で「文字・書くこと・書き物」を意味するが、フランス現代思想では非常に重要な概念として扱われる。例えば、ロラン・バルトは「作家が言語(Langue)と文体(Style)の中間に位置する文章形式」や「その形式を選んで社会に身を投じること」をÉcriture(エクリチュール)と呼んでいる。
そして、ジャック・デリダは「話し言葉(Parole)の対概念」から「話し言葉によって構築された西洋哲学の音声=ロゴス中心主義によって等閑視されていた書き言葉」、さらに「話し言葉と書き言葉の根源的存在」をÉcriture(エクリチュール)と捉えている。
両者のアプローチは異なるものの、疑いようもなく浸透している言語の普遍性を批判し、その虚構を構造にまで立ち入って暴いたという点では共通している。
次に、-stoはラテン語で「立つ・いる」を意味する接尾辞である。英語のstationやstatusなどの語源になっている。
ふたつの言葉で構成されたÉcristoには「自明化された事実を問い直し、思索と記述を通じて見方を提示・共創する」という意味を込めている。何が真実か分からないポスト・トゥルースの現代、様々な視座で彩られたÉcristoにご期待いただきたい。