関東街歩き写真録―〇〇で何が見えるか― #3 秩父・小鹿野編
文責:Belfastは19街区のなか。
今回は埼玉県。秩父市から小鹿野町まで向かい、歩いていきます。東京都心から向かうとすれば西武線を使うのが必然。飯能で、ある種の「けじめ」をつけて先に進みますが、日高(高麗)までなかなか煮え切らない。少しすれば「さきたま」という名に相応しくない東吾野地域の山塊の隙間に入ります。この区間は盆地都市・秩父まで輸送してくれる異世界転送装置。夢幻に浸かれるのに、しかし、飯能―西武秩父を40分で走破できることから東京まで通勤通学もできる、この曖昧さ(わざわざ秩父から東京まで通学してた先輩を思い出しました)。旅って、誰かの日常を、「非日常だ」なんてありがたがる行為なんでしたっけ?
しばらくすると西武秩父駅に到着します。訪問は2024年5月下旬です。
前日、そして当日
読み手の方にはどうでもいいでしょうけど、この日の前日に越生に行っています。そちらは小高い山の上から東京方面を見つめたあと、整備された山林を「人工物」と思いながら下ってきたおかげで、消化不良でした。
そんな思いを抱えて到着した西武秩父駅。見事に気象に舐められてました。武甲山に雲がかかってる。しかし所詮いつでも撮れると思ってるので、凹むことも無く、ここには脳内補正した画像を貼り付けておきます。
小鹿野町へ
ここからバスに乗り、皆さんお馴染みの小鹿野町に行きたいところ。でも本数が多いわけないですから、駅で待つことになります。「いらっしゃいませ」と駅ビルの仲見世通りで待ち伏せる店員さん。そしてバスの平均待ち時間に比例して値を上げてある商品。これが今年一番のホラーでしょう。
これから乗るバスの系統はG。全てのバスが西武秩父駅か秩父駅発着になってしまうからでしょうか。アルファベットがメインの系統番号なんて久しぶりに見ました。
やってきたのは、西武バス。その車体は自然光を反射し、影浅葱のカラーリングとして私の錐体細胞が受容します。このくすんだ青色は都会では単なる青ですが、遠景に新緑を芽吹かせているであろう尾根が稜線を描いているこの地に溶けています。とても良い景観配慮です。
さて、定刻通りに出発したバスで小鹿野町を目指します。1時間に1本に満たない路線なのに、軽装客が乗り降りする姿を見て出る言葉は「なんで?」。使い勝手の良くない路線だから日常利用なんかないだろうと勝手に思っていましたが、意外と若年中年の乗降があります。小都市圏って自家用車移動だけじゃあないんですね。
バスは、山をぶち抜けば3kmの距離を、その必要性は無いとみて、わざわざ倍以上に迂回して引いた焦れったい道を進みます。田園、山林と共にコピペしただけの隠れる気もない文明が姿を見せ、ここが埼玉だと思わざるを得なくなります。
小鹿野町下小鹿野
泉田バス停で降車します。すぐにバス通りから脇道に逸れます。毎回不思議に思うんですけど、こういう田舎に来るとマネキンを着せ替え人形にして、不気味なまんま野晒しにしてある店がありますけど、果たしてどういう意図があるんでしょうか。とりあえず面白いから写真だけ撮ってスルーを噛まします(そのとき撮った写真を載せるのは恐ろしいのでやめときます)。
しばし歩くと今回の目的地のひとつ、おがの化石館に到着します。秩父地方は中生代などの多様な地質が見られる地学の宝物庫。時代からのプレゼントとして化石もたくさん発掘されます。まあ現代にまで化石になって残っているほど怨念が篭ってるとも言えなくはないですが。
そして建物の裏手エリアにある赤平川と堆積層「ようばけ」。我々に地層を見せるために、1500万年の時を経て堆積し露出したように感じます。
ちなみに赤平川ではこのように将来への希望に満ち満ちて誕生したオタマジャクシを無慈悲にも弄ぶ権利を得ることができました(ちゃんと生きて川に返しました)。
最後に
ジオパーク秩父として重要な地位にもある小鹿野。我々が地を踏みしめる前に地上を跋扈していた生命が与えてくれた形見で、当時を回想してみてはいかがでしょうか。そして、今度こそは小鹿野町市街地に行きたいと思います。