Écristo、はじまる。
文責:Écristo運営委員会
ポスト・トゥルースが叫ばれる現代で、ものの見方は事実を超えるようになった。
誰もが発信者になれる時代の到来で、情報は真偽を問わず氾濫するようになった。
視点は行為の始点である。
ひとは動き始める前に、その拠り所を探す。
根拠の探求を通して、ひとは見方を養っていく。
しかし、情報洪水の現代において、一体何を拠り所にすればよいのだろうか。
都合のよさを優先したがるひとの悪い癖は、その問いに悩む我々を誘惑する。
一度縋ったら、たちまち世界の色は単調になってゆく。
では、なるべく多くの情報に依拠することが真に正義と言えるのだろうか。
情報を表面的になぞるだけでは、情報洪水を脱したとは言えない。
なぜなら、情報は複数の事実によって構成されて、しかもその事実は複雑な構造で形作られているからである。
情報は個人的でもあり社会的でもあり、時間と空間を超越しているかもしれない。
見方が一つであれば、その先の情報は世界の一部でしかない。
見方の角と面を増やせば、世界の色は鮮やかになる。
見方に踊らされるのではなく、味方に引き入れよう。
多様な情報を拠り所に、このアナーキーな社会を泳ぎ切ろう。
Écristoはものの「見方」を探求しながら日常を問い直す運動体・WEBメディアです。
メディアや運動体が跋扈する現代に、Écristoが産声を上げる意味はあるのでしょうか。もしかすると、意味はないのかもしれません。Écristoは必要に迫られた訳でもなく、生活の役に立つことだけを載せる訳でもありません。洗練された情報を素早く提供しないと存在価値が見出されない現代に、Écristoは”存在する”ことは許されるのでしょうか。
その問いを考える前に、お茶でも飲んで落ち着きませんか。そして、「存在価値」や「”存在する”こと」を考えてみませんか。自分がその言葉をどのように使ってきたか、他に類語はないか…など、まとまりもなく考えてみると、やがて価値・基準が立場や道程を反映した存在であって、決して普遍的でないと気づくでしょう。そして、通りを歩いてひとと出会えば、一緒に発見・創造することで、充実した時間を過ごせるでしょう。
Écristoは見方を語り、笑い、疑い、創り出す運動体です。より具体的にいうと、ジャンルや表現形態を問わずに文章を掲載するWEBメディア、知的好奇心に溢れる人々が集合知を共創するスペースを備えています。
現代を一旦傍に置いて、時空を超えた豊かな知の旅をしたのなら、見方は次を歩くための友となる。見方を学び、見方を創り出す。それがÉcristoにおける唯一のポリシーです。
そんなÉcristoは2024年4月1日より新たなスタートを切ることになりました。
WEBメディアとして先人が築き上げてきた知的伝統を尊重しつつも新たなエッセンスを加えるような記事を発信し、スペースとして集合知の共創をお手伝いする所存です。
今後ともあらゆる角度から物事の見方や日常への懐疑を進めていきますので、皆様の厚いご支援・ご協力を賜りますようよろしくお願い申し上げます。
それでは、はじまります。
2024年4月1日
Écristo運営委員会一同