内容がすでにわかっているものを理解可能な英語でインプットしよう=学習方法のお話(その7)=

高校生のみなさんが毎日学校でやっていることは新しい内容の追っかけですよね

 高校生のみなさんが毎日学校に通って教科学習でやっていることは、新情報の追っかけですよね。新しいことのオンパレードで、既習事項からその先をさらに行く新事項を学ぶ作業ばかりの日々。
 ここで強調したいことは、その作業を何語を介して学んでいるのかということ。もちろん、言うまでもなく、多くの高校生にとってそれはみなさんの母語である日本語でしょう。つまり、教科内容を追う際に、大前提として、日本語を介して取り組んでいる。そんなことは当たり前過ぎて、無自覚でしょうけれど、新しい内容とともに一緒に日本語も学んでいるという実態があります。ほぼ意識しないところでしょう。でも全教科において新情報を学びつつ、日本語も鍛えているわけです。

内容としてわかっているものを母語で学ぶとしたらどうなりますか

 すでに分かっている内容のものを、あなたの母語・日本語で学ぶとしたらどうなりますか。内容も言語も、これはもう楽勝でしょう。
 斜め読みしたとしても大丈夫。本であれば、題名と目次を見て、あ、これなら大丈夫、前にやったという感じになりませんか。精読なんか必要ないと、これはもう母語あるあるでしょう。

内容も言語もその両方がわからなければ、それはそれはもうかなりストレスフルな作業とならざるをえません

 ところが、内容も、媒介する言語も、慣れていないとすればどうでしょうか。
 内容のわからないものを、わからない外国語でやるのです。これで嫌気がさすのも当たり前のこと。もしそうでなければ、その学習者は、よほど我慢強い人と言わなければなりません。
 日本人にとって英語の学習は、フラストレーションの連続です。言語間の距離の離れた外国語の場合、これはもうフラストレーションの連続となるからです。一般的に言っても、それが外国語というもので、さっぱりわからないからこそ、外国語なのだといえるのです。

内容のわかっていることを慣れない外国語で挑戦するほうがまだマシではありませんか

 内容が既習事項で、すでにわかっているものなのであれば、母語の世界なら、そもそも学ぶ必要がありません。ですから、既習事項を不慣れな外国語で挑戦するとなれば、それは未習得の外国語の側の学習作業課題となるわけです。
 ただし、言語活動環境の場合、スピードが勝負どころとなりますから、対象が矛盾するようですが、コトバを追うのではなく、あくまでも内容を追ってみる。そうすると、不思議と、コトバがついてくる。そうして、コトバの習得につながっていくことがあります。
 外国語としてのフランス語をあらたに習得しようと考え、英語でフランス語に挑戦してみたら、フランス語はモノにならなかったけれど、英語がモノになったという感じと言って良いでしょうか。

そうは言っても理解可能なインプットでなければいけません

 ここで思い出してほしいのが、以前お話した私の高校時代の体験です。
 アメリカの子どもたちにABCや123を教える教育番組「セサミ・ストリート」。日本で、これを見て、さっぱりわからなかった悔しい思い出があります。つまり、「言語活動」学習が大切だといっても、理解できないものを聞いても効率がすこぶる悪いということです。クラッシェンの「言語習得の必要十分条件は理解可能なインプットである」という「インプット仮説」を思い出して下さい。
 おすすめは英語で英語を教えるダイレクトメソッドなのですが、であれば、日本の高校生でも理解可能なインプットのできる、そうした水準で教えられる優秀な教師はいるのか、という話になります。
 この数年間YouTubeを見ているだけですが、YouTubeには、ジル・ストーカー(Gill Stoker)さんやキース・オーヘア(Keith O'Hare)先生をはじめ、優れた方々が少なくありません。
 そうした優れた方々の動画を「教材のお話」のところに格納しておきますので、高校生のみなさんにぜひ見て欲しいと思います。
 

 



いいなと思ったら応援しよう!