みんなイングランドが育てた=英語にまつわるお話(その9)=
英語教師として考えてきたこと
わたしは、歴史家でも、社会学者でもありませんが、私大付属校の高校英語教師として長年仕事をしてきて、英語の語彙や文法や学習方法を教えることも大切ですが、英語という言語について、社会的に、歴史的に、考えることも大切と考えてきました。以下、書く内容はその記述に誤謬や不正確な点があるかもしれませんが、基本的骨子に根本的なな誤りはないと考えています。
ブリテン諸島の併合・統合
イングランドが、ウェールズを併合し、アイルランドを植民地化し、スコットランドを統合し、アイルランド独立運動機運から北アイルランドが併合され、イギリス連合王国をつくったことはすでに書きました。いわば、イングランドによるブリテン諸島の併合・統合の支配統一です。
大英帝国の拡張
さらにイギリスは、新大陸へとばかりにアメリカの植民地化を進め、スペインなど列強との覇権争いの結果、ジャマイカなどのカリブ海、そしてフランスなど列強との覇権争いののち、カナダや、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ、香港、インドなどの植民地化を進めていきます。七つの海を支配した大英帝国の拡張です。
これにより、たとえばアオテアロア・ニュージーランドの土地戦争のように、世界の各地で、"We were here before you came."という先住民族問題を引き起こすことになります。"Respect Indigenous sovereignty."(先住民族の主権を尊重せよ)ということです。
たとえばアメリカ合州国のニューヨークやニュージーランドのダニーデンとクライストチャーチはどこの移民がつくった町なのか
1度目の研修でアメリカ合州国に、2度目の研修でアオテアロア・ニュージーランドの北島に、それぞれ8カ月暮らしたことがありますが、たとえば、ニューヨークという町は覇権争いの結果何度か地名を変えていますが、最終的にはイングランド王・ジェームズ2世にちなんで名づけられています。ちなみにイギリスはイングランドにヨークという町があります。
また、ニュージーランドでは、歴史的にみて、ニュージーランドでイギリスの法律が急激に影響力を持ち始めたのはまず南島と言われています。その南島に私も訪れたことのあるダニーデンとクライストチャーチという町があります。
南島の大部分の土地は、もちろんマオリが所有していましたが、いい加減な取引で、その土地の大半を売ってしまい、ダニーデン(Dunedin)やクライストチャーチ(Christchurch)は、イギリスによる植民という意味で、それぞれ1848年、1850年にその基礎が築かれることになります。
これは私見ですが、植民開始時は、自分たちの故郷に似た気候の土地を選ぶ傾向があるような印象があり、より南に位置するダニーデンはスコットランド系移民が、より北に位置するクライストチャーチはイングランド系移民が、それぞれ植民してつくった町と言われています。
ダニーデンとはケルト語でエジンバラの意味で、1848年に植民が開始されてすぐに金が発見され、いまは5番目くらいの人口のダニーデンがゴールドラッシュ時にはニュージーランドで最大の町に膨れ上がりました。
アメリカ合州国の膨張
またイギリスから、東部13州が、独立戦争を経て独立したアングロアメリカ。独立後、アメリカ合州国は、その東部の植民地から、さらに西へ西へと西部開拓の拡張を進め、海を渡ってハワイ併合、スペインなど列強との覇権争いの結果、フィリピンやグアムを獲得します。
こうして時代は、イギリスとアメリカ合州国の二強の世紀となるわけです。
大英連邦と英語圏の確立
20世紀後半、大英帝国の植民地が次々と独立しますが、大英連邦(Commonwealth of Nations)」と呼ばれる国々が、現在の英語圏の基盤を結果的につくってきているわけで、そうして、第二言語(ESL)としての英語教育や外国語教育(EFL)としての英語教育が行われるようになってきていると言えます。
日本では
こうした列強の大航海時代、日本の歴史でいえば、江戸時代の鎖国時代から、開国。そして明治維新は、蘭学から英学への転換でもありました。漢学にも造詣の深かった巨人とも言うべき夏目漱石も芥川龍之介も、日本の知識人はみな、日本近代化の課題と格闘する中でイギリス語の影響を受けました。
これら諸先輩と自分を同列に置くわけにはいきませんが、戦後、一般の、普通の、英語教師も、客観的には、構造的に、イギリス語と格闘せざるをえなくなっているわけです。無自覚な部分も少なくないと思いますが。
日本は地理的に島国で、政治的になんとか植民地化をまぬがれ、まがりなりにも独立を維持し、外国語教育としての英語教育を行ってきました。
イギリスが、シンガポール人も、インド人も、マオリも、夏目漱石もつくったと言えるわけですが、大言語であるイギリス語を学ぶ際に、そのことを、今日、客観的に、批判的に、そして何より主体的に考えないといけないと思います。
とりわけ、敗戦後、日本では、第二言語(ESL)としての英語教育なのか、外国語教育(EFL)としての英語教育なのか、イギリスとアメリカ合州国が果たした影響、その功罪を考えつつ、主体的に考えないといけない時代に入っています。にもかかわらず、いまの日本は、あまりにも思考停止状況に陥っているのではないかと思えてなりません。これからの高校生には、こうした歴史を踏まえて、これからの日本の、そして自分個人の英語学習を展望してほしいものです。