スイス人とヨセミテ国立公園を訪れる=英語やっててよかったシリーズ(その4)=
初めての外国サンフランシスコ滞在中にヨセミテ渓谷を訪れた
私大付属高校のかけだし英語教師3年目の1981年。はじめての外国・ロサンゼル空港に相棒と降り立った私は、空港前に設置された案内電話で宿の予約を試みたときの宿の店主とのやりとりは全くちぐはぐなものだった。英語で話したことなんて慣れていなかったから当然だ。ロサンゼルス観光をしてからバスで北上しサンフランシスコに到着したときは8月だというのに寒くてユニオンスクエア近くの洋服店で素敵な白いジャンパーを購入した。その後、大学が奨励する宿舎ではなく自分でマーケット大通りにあるマンションを借りる契約をして、私はサンフランシスコ市内にあったUCバークリーの出先機関で英語集中講座を受けた。すぐに英語のアウトプットがうまくなるはずもなく、これがさんざんの経験となった。
なんとか3か月の英語集中講座を乗り切った12月末に、自分へのご褒美もかねて、スイス人のクラスメートと義弟と三人とでヨセミテ渓谷を訪れた。
我が家で何度かパーティーをやってきたとき、ヨセミテでも行きたいねと、そんな話になっていた。スイスはそもそも山国だからスイス人にとっては遥かアメリカ合州国まで来てカリフォルニアの自然に触れたかっだろうし、自分は自分で大自然に対する憧れがあって、ヨセミテに興味があった。
ところで、このときの日記には、ヨセミテ現地でのハイカーとの交流など、ほとんど記録されていない。多分英語集中講座の受講後であっても英語のアウトプットに自信がなく、実際に交流などなかったからだろう。
英語をリンガフランカとした、スイス人クラスメートとの非母語話者どうしの交流にとどまったが、それでも、日本で外国人との交流なんてほとんど経験したことのなかった私にとっては、新鮮な体験であった。
自然へのアクセスが遠かった日本とアクセスが近い外国
憧憬はありながらも、日本では、山というものは山岳部が挑戦するものというイメージが強く、また日本の山小舎もなんか清潔でないイメージがあり、自分のようなシロウトがアウトドアを楽しむというイメージ自体が持てなかった。けれども、海外の場合は、本格的登山家でなくても、大自然にアクセス可能であり、施設も清潔で、シロウトでも楽しめるイメージをもつことができた。私は、海外の旅ごとに、アウトドア的なアクティビティに関心をもつようになった。
その一番最初の場所が私にとってはヨセミテ渓谷である。だからヨセミテといえば、訪ねてよかったという思いしかない。芹沢一洋さんの書かれたアウトドアの本を関心をもって読むようになったのもヨセミテ後の話である。
教師生活は猛烈に忙しかったから、そんなに時間を割くことはできなかったけれど、機会があれば、トランピング・ブッシュウォーキング・サイクリング・ポタリング・キャンピング・ダイビング・フライフィッシングなどに挑戦しようと考えた。けれども、日本で日常的にやれたのは、サイクリングくらいで、あとのアクティビティは圧倒的に海外の場合が多かった。やはり教師生活が忙しかったから、そんな時間貧乏の私がアウトドアのアクティビティをやれるとしたら、それは海外でしかなかったということだ。
前置きが長くなった。
以下、当時の日記から。
いよいよサンフランシスコからヨセミテ渓谷へ
サンフランシスコのマーケットストリートを毎日 ミュニ (Muni) バスで通ったUCバークリーの市内での英語集中講座も終わり、5か月目、少しは住み慣れたサンフランシスコをグレイハウンドバスに乗って、6時間30分後にヨセミテナショナルパークに到着した。
下手くそな英語で電話予約したのだが無事キャビンの予約はとれていた
マンションの部屋でクラスメートのスイス人のウルスと俺とで、どっちが電話するんだと顔を合わせながら、眼くばせされて、結局は、俺が電話をすることになった。そんな調子で宿の予約を下手くそな英語で俺が事前に電話でしたのだが、ヨセミテに着いて受付に確認してみると、見事に予約が取れていて安堵した。
夜に到着したこともあって、鬱蒼とした大自然の懐に飛び込んだという感じだから、怖い気分にも襲われてしまう。
ウルスと、日本から遊びに来ている義弟とで、明日はお弁当をもって、いくつかの滝を見にハイキングに出かける予定だ。
1泊2000円ほどだが、快適なキャビンタイプの山小屋泊であると分かり、今回の旅は楽しくなりそうだ。3泊4日ヨセミテにいて、サンフランシスコに戻る予定である。
フィレミニオン(filet mignon)とは何かをスイス人から教わる
スイス人のウルスはとびきりの紳士だ。
夕食を一緒にとると、西洋料理とは何か教わることになり、たいへん勉強になる。
たとえば、牛肉のステーキの話となると、牛肉のいろいろな部位を教えてもらうことになる。
俺たちは文明開化から肉を食するようになったが、「今日は牛肉」「今日は豚肉」「今日は鶏肉」くらいの認識しかない。俺の子どもの頃の肉屋といえば、冷凍庫にあばら骨をさらした肉の塊がつるされていたが、今はスーパーでパックに入った薄切りの肉片が売られるようになってきていて情けない限りだ。今回ウルスから初めてフィレミニオン(牛ヒレの頭部側)なるものを教えてもらう。肉食主体の彼らの食生活を思えば、むしろ俺たち日本人は魚に詳しくならないといけない。その魚だって日常的によく食べるくせに、それほど詳しくないことを恥じ入らないといけないと痛感した。
東京は四谷でチーズフォンデュ―を食べた思い出
学生時代に、東京は四谷の、相棒がアルバイトをしていたお店でチーズフォンデュ―やオイルフォンデューなどのスイス料理をご馳走になったことがあって、以来、くだらない優越感のようなものも手伝って、俺だってスイス料理くらい知ってるのだという妙な意識をもってしまった。
さまざまな外国人と一緒に食事をすると視点の違いを相対的に学べる
スイス人・中国人・日本人・フランス人らのクラスメートと一緒に、サンフランシスコで食べ歩きをした際に、スイス料理を食べる機会もあって、食材なら世界でも中国人がよく知っているとばかりに自国料理を自慢する中国人が、スイス料理って一体何なのと不機嫌に不満をもらしたことがある。チーズフォンデューなど、溶かしたチーズにフランスパンをくるめるだけの料理ではないかというのだ。実際は白ワインが入っていたり、それなりのこだわりがあるのだろうが、これはそれなりに説得力のある分析で、言われてみれば、俺などは認識をあらたにせざるをえなかった。それまでに抱いていた俺のスイス料理に対する“高級”イメージは無残にも砕かれ、スイス料理とは信州の山里のいろりで食べる田舎料理に似たものなのだと認識をあらたにしたのだ。これはなにも田舎料理が悪いわけではなく、西洋料理を無批判にありがたる日本的偏見のうえに、そこにさらに俺の偏見が重なってしまった結果と言わなければならない。
ラーメンの汁を俺が残せば、それはシェフにたいする冒涜だとなじられたり。日本のお茶に砂糖を入れる奴とか。そばをすすろうとするときも、日本人だけなら気にするはずもないが、外国人と一緒となると音を立てずに食べようと意識する自分がいたりと…。さまざまな外国人と一緒に食事をするとなると、視点の違いを相対的に学ぶことが多くなる。
山国スイスの4つの公用語
ウルスによれば、スイスには、スイス・ドイツ語 (Swiss German)・フランス語・イタリア語・ロマンシュ語と、4つの言語があるという。
スイス・ジャーマンという呼称あっても、ドイツ語の発音とは異なるらしいが、新聞などの文字情報は共有できるため、ビジネス維持とビジネス継続の観点から、たとえ発音が違ってもスイスは、スイス・ジャーマンを手放さないのだと。なるほど。現地を知っている者の話は説得力があるものだ。
兵役のあるスイス
それと、スイスには兵役があるという話。
兵役をつとめなければならないということを聞いて、兵役などない、そして兵役など考えたこともない俺でも、戦後日本の平和憲法のありがたさがわかるというものだ。
毎日の、ヨセミテ国立公園散策後の食事中のウルスとの会話は勉強になる。
こうして、スイス人のウルスと義弟との三人によるヨセミテ国立公園の滞在は、とても有意義な時間となったのだが、ヨセミテ国立公園での滞在を終えたら、サンフランシスコに戻らなければならない。
残念だが、これは仕方のないことだ。