母語と外国語の二刀流はどの程度可能なのか=学習方法のお話(その12)=
ドジャーズ優勝パレードで格段に上手になった大谷翔平選手の英語を聞いた
2024年秋、36年ぶりのドジャーズ優勝パレードでの大谷翔平選手の英語を聞いた。発音もよいけれど、とりわけリズム感のよいことに驚きました
。7年前のエンゼス入団時の "Hi. My name is Shohei Ohtani." という発話と比べて、格段の進歩を遂げていました。
大谷翔平投手の英語は、親しみやすく率直で、シンプルな英語です。母語話者も非母語話者もいるドジャーズのチームメートに、大谷翔平の英語はどうですかと質問したら、異口同音に、ショーヘイの英語は excellent だということでしょう。
MLBの花形選手は英語を話すべきという問題発言
去年のドジャーズ優勝の3年前。大谷翔平投手がホームランダービーに出場し翌日オールスターゲームで打って投げるという快挙をなしたオールスター戦のころ、アフリカ系アメリカ人で野球アナリストのスティーブン・スミス氏から、大谷投手のようなMLBを代表する花形選手が英語を話さないのはいかがなものかという問題発言が投げつけられました。
英語を話すのが当たり前という英語優先主義・大国主義・大言語主義の不公平さ
英語を話すのが当たり前というこうした英語優先主義・大言語主義、そして不公平には、またかとうんざりさせられましたが、意外に感じたのは、これが差別的発言だと批判されて、すぐに当事者が謝罪したことです。時代は確実に変わりつつあるということなのでしょう。
なんてったって野球優先だから母語主義でインタビューに対応するのは賢明な安全策
3年前のこの試合結果はア・リーグが勝利し、大谷投手が勝ち投手となり、ホームランを打ったゲレーロ・ジュニア選手がMVPを獲得しました。そのゲレーロ・ジュニア選手がインタビューで、自分が選ぶのであれば大谷投手をMVPに選ぶとスペイン語で発言していました。オールスターで活躍した大谷翔平投手もゲレーロジュニア選手もとりわけインタビューでは二人とも通訳を介して母語で話すという母語主義を採用しています。
現役時代のイチロー選手と同様、母語主義をとっているのは、大谷投手が優先的に力を入れているのが言うまでもなく野球におけるパフォーマンスであり、野球に関して正確に伝えるには、専門家の通訳者の援助でおこなったほうが安全だという賢明な考え方からなのでしょう。
投手と打者の二刀流を実践している大谷翔平投手なら日本語と英語の二刀流も可能かもしれない
もし大谷翔平選手が、英語習得だけに集中したら、その到達度はきわめて高いものになると思われます。
渡米後の大谷翔平投手の、チームはもちろん相手チームの選手たちとの交流のしかたを見ていると、そのコミュニケーション能力と言語能力、そして対応能力の高さは明らかです。大谷翔平投手ほどの言語能力とコミュニケーション能力、そして対応能力があれば、英語も、相当の使い手になることでしょう。
大谷翔平投手は英語習得に優先順位を第一に置いてないとはいえ、試合に勝利するためには、英語でのチームメートとの対話は必須です。英語の言語活動環境に身を置いてすでに7シーズン目が終了。言語環境の有無が決定的ということからいえば、大谷翔平投手が置かれている日々の言語活動環境は言語習得に最適な環境であり、英語力は着実に向上しているものと想像されます。
投手と打者の二刀流を実現した大谷翔平選手であれば、日本語と英語の二刀流も、野球よりは難しくはないでしょう。
投手と打者の二刀流が可能なように、母語と外国語の二刀流も可能だが、野球の二刀流ほどではないけれどそれでもかなり難しい
大谷投手によって投手と打者のMLBレベルでの二刀流が実現可能と頭では考えられるようになりました。それでも簡単なことではありません。これと同様に、母語と外国語の二刀流は、投手と打者ほどではないでしょうが、やはり難しいと言わなければなりません。
言語活動環境の有無が決定的とはいえ、どの程度のコトバの二刀流を目指すのか。どういう目的で、どの程度の到達度を目指すのか。実現する英語モデルをどう考えるのか。
それは、やはり外国語という特徴は残るし、逆にいえば、母語はそれほど奥深いものと言えるからに他なりません。
冒頭で大谷翔平投手の英語を評価しましたが、英語初級者は so を多用してしまう傾向があり、その意味で so の繰り返しがやや目立つところもあります。so の代わりに、たとえば、"such a special moment" や "truly honored"などと、少しバリエーションがあっても良いかもしれません。 (いまYouTubeをみてみたら、さりげなくタイトルを "This is such a special moment for me." としているABC7の動画を発見しました。)
これは、言語活動としての発話などそもそも瞬間的なものですから、それをあとからああでもないこうでもないと重箱の隅をつつくようなアンフェアなことをしたいわけでも、大谷翔平投手の英語にケチをつけたいということでもありません。ただ、言語というものは、たいへんに奥が深いということを強調したいのです。
母語の奥深さについて
外国語の習得は簡単ではありません。
大谷翔平投手の英語が上手と言っても、母語話者にとっては、母語話者のコトバでないことはわかるはずです。
母語と外国語とはそれほどの距離があります。
言語間の距離が離れているとされる英語と日本語の場合においては、なおさらのことです。
アクセントが残ることも普通のことです。
でも、大谷翔平投手の場合、パレードでの英語が大谷翔平投手の人格を表現したものとして、上手な英語であることに変わりありませんし、今後、さらに母語と外国語の二刀流も実現可能な範疇と思われます。ただそれも程度問題です。
高校生の皆さんも、母語と外国語の二刀流をめざすと目標を高く持ったうえで、母語話者と完璧に同じになることは、投手と打者の二刀流ほどではないにしろ、やはり簡単なことではないということを認識しておくべきでしょう。
今回、英語学習方法の観点として、大谷翔平投手の投手と打者の二刀流に対照させて、母語と外国語との二刀流について考えてみました。