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住宅を設計する際に、お客様から明るい家、明るい部屋が良いと言われました。さて、お客様が求める真意とは、欲求レベルへどこにあるのか。。。

これだけの情報だけでは設計者はもちろんのこと、恐らく「お客様自身が具体的にわかっていない」のが大半でしょう。より具現化するのが私たちの仕事ではあるが、そこにはプロセスがあり、またそのプロセス(過程)が必要と思われます。このプロセスの段階で間違っているから、自ずとゴールも間違って行きます。(かけ離れて行くと言った方が良いでしょうか)つまり、失敗(ゴール)したと思うところの原因は、既にプロセスの段階で失敗していると言えるかも知れません。

リフォームやリノベーション依頼になると、現場訪問は当たり前であり現場調査を行わなければ前へは進めないし、進展することはない。しかしながら、新築の依頼であっても私は今現在(たとえ賃貸暮らしであっても)のお宅を必ず訪問していた。思い出話に良く出てくる実家(遠方であっても)でさえも、必要とあらば訪問させてもらっていた。それは「暮らし方」を「感じ取る」ことはもちろんのこと、「趣味」など「持ち物」なども「感性レベル」でチェック(確認)するものである。特にファニチャー類に関しては個性を象徴的に垣間見ることができるアイテムだ。紙面でのアンケートやヒアリングシートに記入してもらうよりも一目瞭然である。(大体のお客様がヒアリングシートではカッコ付けて良い感じの体裁を書いていますね)

では、「明るい家」、「明るい部屋」とは、、、、「空間全体」のことを言っているのか、、、、だったら壁や天井などを白や明るい色でまとめるか、、、「照明レベル」のことを言っているのか、、、だったら照度に気を付けた配列を検討しようとか、、、「窓(開口部)を大きく」して季節感が味わえる天候の明るさや景色を感じたいことを言っているのか、、、では採光率を高めよう、、、「空間の解放感」や「広さ」のことを言っているのか、、、、吹き抜けを設けて見ようか、、、ざっとではあるが「明るい」という抽象的な要望だけでは、なかなか見抜けない。だからこそ、設計のプロらしくインスピレーションを働かせて「出番」があるのでしょうが、経験が低い大半の設計者は、専門用語を駆使して「採光率」や「換気効率」「照度」や「ルクス」などで、自分本位でイイ表現をすると思われます。
しかしながら、お客様が真意で求めているのは「カッコイイ」か「美しい」かです。よって、私の場合も判断基準にあるのは「カッコイイ」か「美しい」かです。
ファッション(着るもの)もそうかも知れません。様々な機能的の判断基準としては、冬なら防寒対策の上、蒸れにくいとか、夏なら速乾性や風通しが良いなど、でも最大の購買の判断基準にあるのは「似合っているか」、「似合っていないか」の「嗜好」であること、他所行きではなく普段着かも知れない、下着かも知れないが「色」や「柄」を気にしていますね。つまり、「機能性」を前提にして優先順位は「意匠性」の方を好んでいるのです。

例えば「ドミナントカラー」というものがあります。(カラーコーディネーターなど専門的に勉強している人は理解できるでしょう)大別して「寒色系」と「暖色系」、黒や紺、グレーなどの濃い系の色合い、茶や黄色などのブラウン系とに分かれます。自分の持っている服装のカラーを見て下さい。黒や紺、青系の寒色系、ブラウンなどの茶系や黄色やオレンジなどの暖色系、、、を好んで持っていませんか?もしかしたら、部屋の装飾やアクセサリー、家具類なども、分かれている方もいらっしゃいます。
カラーの配色などの技法はまだまだあるようですが、やはり好まれるカラーというのは人それぞれに個性があり、一概に「これだ!」ということを決めつけることが難しく、新しい発見(潜在意識)のように新たな領域に感動する場合もあります。

よって、住宅デザインにおいても、お客様は目に見えない性能面を前提にしながらも、いつもその空間(見えている)に身を寄せている意匠性を優先する傾向が高いのです。つまり、「ダサい」のは嫌なのです。
では、デザイン性を主張している得意な企業であっても、満足しているかどうかは別ものです。満足レベルにおいても「感謝レベル」であったり「感激レベル」であったり、「感動レベル」があるからです。つまり、満足はしているものの(当たり前のように、こんなものか)であって、感激はするかも知れないが感動レベルにまで落とし込めていない、到達していないのです。感動レベルのお客様は、少々の出来具合い(品質等)による苦言(クレーム等)などは飲み込める範囲にあり、それよりも自慢したくてしょうがないみたいです。(笑)

こういう言葉を耳にしたことありませんか。「作り手の思いの「価値」こそ値打ちがある」
例えば工芸品や民芸品では、工場製品のように機械で大量生産されるより、作り手の顔が見え、職人のモノや素材に対する矜持に「値打ち」があり、そのエピソードに値打ち(価格)が決められるようなパターン。農作物にもありますね。「道の駅」などが流行した裏側には、そういうエピソード等があります。一方でリスクもあります。その職人さんがいなくなったり、台風などの自然災害によっては、手の入らない場合もあります。大手企業やバイヤーであれば、品質等は二の次でも安定性は得られるものです。住宅も同じかも知れません。確かに統計等で見れば、大手企業よりも地域密着型で運営している企業が好まれる一方で、倒産や保証等のリスクを勘定して大手企業へ依存(安心型)する方もいらっしゃいます。

では、何もかも意匠性を優先しなければならないということではありません。命に関わる耐震性(構造面)はもちろんのこと、健康面などを考慮した温熱環境もありますし、総合的には耐久性を分母において、住まい手を守るという建築設計理論を無視することはできません。様々な工法や素材や形なども、必ず建築理論の根拠があって、自然環境の理論にも考慮した設計理論があることも忘れてはならないでしょう。つまり、やってはいけないこと(リスクが大きいとも言えるでしょうか)、余りお勧めはしないことなど、これらも経験値の根拠になるかも知れません。こういう学びの背景を謙虚に学習していることも、設計者の人柄と言えるかも知れません。料理人であれば自分の料理はもちろんのこと、他人や著名な方の(年齢や後輩、好き嫌いに関係無く)料理を貪欲に研究したりするでしょう。建築の世界であっても、自分の設計した住宅はもちろんのこと、仲間が設計した住宅や有名な建物などを研究したりするのと同じであり、色々なセミナーなどもアンテナを貼って拝聴していることでしょう。

どんなに素晴らしい建築家でも、お医者さんも、料理人も、職人さんも、最初は誰もがシロウトなのです。素質はあったかも知れませんが、一歩一歩の積み重ねの上に鍛錬して築き上げたプロセスがあります。

プロフェッショナルというのは、そういう気持ちを大切にする人、最初は自分もシロウトだったと思うことが出来る人、シロウト感覚を大事にする人、自分一人では何も出来ないこと、仲間やチームを信頼できること、そして未来を信じることができる人なのかも知れません。

20220617