そういうものに、わたしはなりたい2022
自由でありたい。
しがらみとか、何かに囚われずにわたしを生きるぞと日頃思っている。
そのわたし自身そのものを知ることが重要なことも実感を持って知っていて、意識している。
それでも、すんなりと迷子になることも無く進むのは難しいもので。
ここ数日、所々で人と話しながら一人で力強く立つ「確固たる何者」かに、まだなろうとしていたみたいだと認識した。
個って何ぞや?
「人はそれぞれ違う」「個性」という言葉もよく耳にするが、「個を見る」という言葉をこの3月によく聞いた。
たしかにそれは大切ではあるけれど、個を見られていないと感じる場面があることからこんな言葉が交わされるともいえる。
個を見ることは大切と分かっていても、人はわかりやすいカテゴリーに分けられたものや耳慣れた役割に安心するので、「名もなきもの」「得体のしれないもの」を理解することや共生するには至らず何となくそっとして置かれることも多い。
この話は最近読んだ文化人類学者、磯野真穂さんの著書「他者と生きる」に自分から発露した「自分らしさ」は社会で認められることで初めて「その人らしさ」として認められる状況がある、書かれていてしっくりくる。
統計学的人間観、個人主義的人間観、関係論的人間観の話はまさに「世間」を気にする一面や「個」「個性」といわれるものに囚われ混乱するところ。
フリーランスとして、動いていると「専門は?」や「何をする人?」と尋ねられる機会も多く、問いに対してうまく説明ができないことが重なって焦りにも繋がる。
数多いる同じようなことを生業とする人は、共通項もいくつかあり生業に関するケースを持ち寄れる仲間でもあるのに「差別化をしなくては」と言われ、分断が起こる感覚がある。
一人一人はそこまでの背景が異なるから、すでに違うし描きたい未来から繋がっていくことよりも分かりやすく「違う」ということをみせることを求められる。
わたしもフリーとなった当初は「これがわたしの専門です」と言える専門性を早く持たないと、と思ったし、何をする人なのかを明快に応えられるようになろうとジタバタしていた。
そして結局「やっぱりそんなものにならなくて良いや」と思った。
そんな「名も無き」は何者か。
わたしの場合。
今までやってきたことが幅広いので、書き並べることは自分で「そうそう、こんなことやっていたな」と振り返るのには良いが、他者にリストだけ見せるような状況は、組み合わせや状況によって何が発揮されるのかはわからないので。
おそらくこの手のことは昨今だと球拾いのような目立たない役割・立場で「これ仕事になるのか?」というものなのかもしれない。
「キャリアコンサルタント」「キャリアカウンセラー」という役割の定義は色々あるものの、多くの人がそれぞれにどんなことをしているのかをイメージしやすいのか、納得してもらいやすい。
けど、厳密にいうとやっていることは少し違う。コンサルタントのような第三者を貫く感じではないし、カウンセラーのようなただただ聴いているだけではないケースも多い。
その場の一部分でもあり、一緒に手足を動かして考えてつくっていく感じで、そこで未来に渡したいこと、直観アンテナでキャッチしたことにわたしができることで関わるような。
近しいもので言うと、かつて学んだ文化人類学のフィールドワーカーのようなイメージでいる。
ただ「フィールドワーカー」は「キャリアコンサルタント(キャリアカウンセラー)」以上に分かりにくい役割ではあるな、と思う。
何をして、どんなアウトプットで貢献するのかがぼんやりしている。
とはいえ、こんな一言では片づけられない者に、わたしはなりたいようだ。
一言で片づけられない者は何をジタバタしているのか。
ずっと大切にしたいと思っていたのは「pass it on」と「遊ぶように働く」という概念。
「pass it on」 は高校生の頃あるきっかけで出会ったフレーズで、以来ずっと大切にしている。開業を決めた時にまず掲げた言葉でもある。
この言葉はただ手から手へ直接渡す、という意味だけではなく。
受け取ったものを元の渡し手以外の人にも届ける、渡すもので、過去から受け取ったものを現在の中で活かしたり温めたりして、また未来へと渡していく、立体的につながるラインのようなものなのではないかと思っている。
だから未来に、次世代に。今周りにいる身近な人に渡したいと思えるものに関わっていたい。
もうひとつの「遊ぶように働く」は遊んで暮らしたいのではなく、働き方や生き方としてのキャリアに関わるなかで「本来は仕事、働きは楽しいもの」という思いから由来している。
好きなことを仕事にできなくて「仕事が辛いのは仕方ない。休みや余暇でその辛さを晴らすもの」と思っていた頃でも関わる仕事に対して辛さの中にキラリと光るものを感じることや楽しいなと思う時間もあったから「仕事でも楽しいと思える時間をもっと持ちたい」と思うようになった。
またそのためには仕事に対してだけ、ではなく日常の生活そのものにも向き合うことが重要あることを知った。
どんな形でも手法でも自分の幸せに真剣に向き合った向こう側にお客様となる人や周りの人の幸せにつながることに繋がれるように、まず自分が楽しむ。自分が「まず」楽しむのには、心折れそうな時でもダンスを踊り続けるちょっとした覚悟が必要でもあるけれど。
ようやく最近「何者か」のラベルを得るためのジタバタから、描きたい未来に向かうためのジタバタへと変化している気がする。
参考(書いているうちに、ここにも繋がった感覚があるので、ご紹介):
「ラインズ」ティム・インゴルド(左右社)