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ガビーンを鎮める儀式

人生のなかで「ガビーン!!!」と言いたくなるようなことがある。

わたしはつい先日あった。

わたしの場合、ある文章を書いていた時。
前の日にサクッと消した文章が、書き進めるうちに実は結構必要だったかもと気づいた時だった。

夜で家族は寝静まっているから「聞いてーーー!」と分かち合えず。
ガビーン、と頭の中で叫んだ。
家族がダメなら、とSNSで呟いたくらい、誰かと分かち合わないとやってられないくらい、真夜中のガビーンは自分の中では衝撃だった。

「なんで、なんで、なんで、消さずに一旦横に置いておくとかしなかったんだろう・・・バカ、バカ、バカ」と脱力し過ぎて、書けないくらい。
しかし書かないとまだまだ文章量が必要だし、何よりも自分の手で消した部分に代わる文を書かなくてはならない。
あぁ、どうしよう・・・と途方に暮れ、出てきたのは
「お風呂でも入って、気分を変えるか」だった。

作業していた場所から離れて、浴室へ場面を移す。
少しボーっとしたりして気分転換。
お風呂から出たら、ちょっとサッパリ気分。

という一連の動作で、消してしまった文章への未練も水に流れたのか。
その後落ち着いてまた文章に向き合い、書けるところを書いたところで遅い時間だったので「今日はもう寝よう」とその日は終了。
翌日は気持ちを切り替えられたのか、消した文章に代わる文章を落ち着いて書き直して完成できた。

今回はちょっとしたアクシデント?だったが、感情が思いきり揺さぶられるようなことが合った時に、今回は「お風呂」だったけど。

「その場を一定時間離れる」
「流れ作業のようにできて(何も考えなくても動作できる)」
「少しの時間でも、その前の感情の揺さぶりを忘れる」

例えば「コーヒー(お茶)を淹れる」「郵便受けを見に行く」というのもいいかもしれない。

この一連の動作が気持ちを切り替える、仕切り直すための儀式として機能してくれる。

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