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”わたし” はここにいる
仕事柄、他者の「本来の自分」は見えやすいけれど自分のことは分かりにくいもので、自分の全てが明らかになった!とはまだまだ思わないけど。
この1,2年で「風の時代」の恩恵もあってか、自分自身の「本来の自分」というものについて思い出したり振り返ったりして見えてきたこと、そこからより自由になれたことがあります。
どっかに自分の姿を捜していた
自分の特質で最近気づいたのは「所属や関わりを持った組織や集団での規範が自分の意志に反することが打ち出されたとしても、自分の意見や考えを一旦脇に置いておいて、相手に徹底的に合わせて動けてしまう」ことでした。
主体性が無いわけではなく、むしろ我が強いことを認識していて周りにとって良い塩梅で出せずにいること。そして表現することで対立や軋轢を生むくらいなら、一旦相手の主義を受け入れてみよう、という平和主義の歪んだ形なのです。だから「何かの規範」に癒着した自分は「自分というものが何もない」と思い、嘆いていたことも。
自分というものはどこにいるんだろう?と捜しに行こうとしたこともありますが、実は向かいのホームや路地裏を捜しても自分はいるはずはなく「ここ」にいるわけで。
自分の特質と「何らか」との癒着の関係性がわかると、自分の意思をなるべく見失わずに、でも周りに合わせ過ぎずにいられるようになった気がします。
そこまでする理由はその時々であって、心地よさを感じている時があるのも事実。(この「心地よさ」が何に由来するのかは要チェック!)
これも環境適応のひとつ。
山登りと川下りを繰り返す
キャリア(人生)には大きく分けて、目標(山の山頂)に向かって進む「山登り型」と流れに身を任せ時々分岐のような選択で決断をしながら進む「川下り型」の進み方がある。
キャリアが語られる時、山登り型が注目されがちなのだけれど。
「山登り=能動的」「川下り=受動的」ではない。
山登りは高みを目指すので、目立つ。しかし、ルートを間違え下手すると遭難する。筏下りは流れに身を任せることが一見楽そうに見える。しかし周りの環境の変化が起きた時に筏を転覆させないための備えや術が重要になる。
そして越えた先に見える風景は山も川も美しいはず。
それぞれ、必要な能力やスキルが異なるだけだし、人によっては山も川も越えていかないといけない場面もあるだろう。
そして、どんな時だって山に登るのも川を下るのも「自分」。
どこでもない、今ここにいる自分なのだもの。
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