チーズナンがチーズナンである意味についての考察

先日、生まれて初めてチーズナンというものを食べた。

私はカレーが好きであり、インドカレーも大変好きである。

しかし、今までの人生でチーズナンを食べる機会が一度もなかった。

そもそも普通のナンが美味しいというのもあるし、私みたいな貧乏人はナンおかわり自由のお店に引き寄せられるし、普通のナンならおかわりできるのに何でプラス料金を払っておかわりできないチーズナンを頼むのか、否、カレー屋の店頭において「チーズナンを頼む」ということさえも頭に浮かんだことがなかったのかもしれない。

店の前のメニューを眺めながらチーズナンを食べたいと思うことはある。

しかし、いざ店に入って頼めるだろうか。

一人ならまだしも、二人以上で行った場合、チーズナンを注文したらどう思われるだろうか。

マジか、とか、行くねえ、とか、色んな感情が飛び交うだろう。金銭感覚が狂っているとさえ思われるかもしれない。

こういった理由の数々に押し潰されて、私はチーズナンを食べずに二回目の厄年を迎えたのである。

ある日、私は溜まりに溜まった未読メールの中から「プロモーションコードを使ってお得に食事が楽しめます」という文章を見つけた。

Uber Eatsだ。

去年の年末に配達員登録をして20件だけ配達し、あまりの地図の読めなさに絶望してアプリを消去して以来、メールも無視してきた。

恐る恐る開いてみると、750円以上の注文で750円引きになるクーポンが添付されていた。

「人と喋るのが嫌いすぎて気が狂いそう」という理由でバイトを辞めたばかりの私にとって、これは天の救いとしか思えなかった。今まで頑張ってバイト先で穏やかににこやかに、ため息一つつかずに思ってもいない言葉で関係を取り繕ってきたご褒美なのかもしれない。頑張ってよかった。もう人格の捻じ曲がった人たちのくだらない噂話に付き合わされてイライラしてキレそうになるのを我慢しなくていいんだ。

早速私は注文することにした。ファミレスやファーストフードチェーンなど色んなお店があるが、せっかくなら普段入りづらくて行けていないお店で注文することにした。

近所にインドカレー屋がある。

いつも店の前ににこやかな店員さんが立って呼び込みをしているので怖くて入れない店だ。

そのお店はナンがおかわり自由で、きっと今後店内で食事をする機会があったとしても絶対にチーズナンを頼まないだろうから、+300円でチーズナンを頼むことにした。

私は自分でUber Eatsを使うのが初めてで、配達中に配達員の人の顔写真がアプリで表示されるのがとても怖かった。自分の顔もああやって表示されながら「嘘でしょ?」と思うぐらい道を間違えていたと思うと絶望的な気分で、今からカレーなんか届いても食えるか!しかもチーズナンだぞ!と思った。

Uberも人生も道を間違えてばかりだ。

私のカレーを運んでくださった配達員の人は道を一つも間違えずに運んでくれた。お陰で熱々の状態で届き、蓋にくっついたカレーを舐めたところで無事に舌を火傷することができた。

ほうれん草カレーとチーズナン

貧血気味で骨粗鬆症気味の私にはぴったりのメニューだ。

いつも店の前を通るたびに「私ならこれだな」と思いながらニヤついていた組み合わせである。

美味しかった。思ったより甘くもなく辛くもなかったが、とても美味しいカレーだった。

問題のチーズナンであるが、本当に触れないぐらい熱々だったので、最高の状態で食べることができたと思う。

感想はと言うと、「思ったよりチーズっぽくない」という感じだ。

私のイメージでは、もっとピザのようにチーズが伸びるものだと思っていたが、そうでもなかった。

そして、ナンというもの自体が元々もちもちしているので、食感が同化しているように感じた。

思った以上に「普通にチーズの入ったナン」だった。

カレーに浸してみるとどうだろうか。

カレーには香辛料がたくさん使われている。

故に、味が強い。

チーズの風味は見事に打ち消されていた。

私は思った。

チーズナンはチーズナンとして食べるからチーズナンである意味があるんだ、と。

カレーにつけてしまったらそれはもう普通のナンとの差はほとんど無くなってしまう。

チーズナンはチーズナン単品で食べるべきなんだ。

私は思った。今まで間違った道ばかりを歩んできたと思っていたが、チーズナンを頼まない私の人生は間違ってはいなかったのだと。

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