モノに対する思い入れは複雑でしかも見えない。
私は妻が数年前にプレゼントしてくれた某ブランドの小銭入れを愛用している。小銭入れをつかって1年ほど経った頃だろうか、小銭入れの端の糊付け部分がはがれ始めたのだ。
妻がプレゼントしてくれたものだし1年程度しか使っていないので買い替えるという選択肢はなかった。某ブランドは商品の修理もやっているというので早速時間を作って妻が購入したその店に修理の依頼に行った。
すると修理ができるかどうかを判断するのにいったん2週間ほど小銭入れを預かりたいとの申し出があった。「まあ有名なブランドだし、なんだかんだで修理もできるだろう」と安易な気持ちでその申し出を快諾した。
2週間後にお店から連絡があった。
店「糊付けがうまくいかず、残念ながら修理はできませんでした。」
少し残念なお知らせだった。すこしムッとしながら
私「購入して1年程度で修理できないほど壊れちゃうもんなのでしょうか」
店「使用による劣化のようですね。」
何故かわたしはとても残念な気持ちになった。
相手の言うことは至極まっとうで、修理できないという事実と、その理由を告げ、私の質問にもちゃんと答えているし、何なら先に「修理できないこともあります」と告げられているにも関わらず。
別に特別待遇して欲しかったのではない。メーカー側の「プロ」が修理できないと判断したのならその判断は正しいのだろうし、理解もできる。
その残念な気持ちに向き合った時、ふと気づいた。
少しでいいから僕の気持ちに寄り添って欲しかったのだ。
妻が選んで私にくれた品物だ。決して高価な物ではないかもしれないが、その小銭入れには「思い」が込められている。その小銭入れを「たくさんある自社商品のうちの一つ」と思われたように感じたのだ。
一言でいいから
「(劣化するほど使ったということは)この小銭入れを日頃からしっかり使っておられたのですね。ご使用ありがとうございます。この度はご希望に添えず申し訳ございませんでした。」(もはや一言ではないのだが)
と言ってくれればよかったのにと振り返る。
たしかに自分がお店の立場だったら「そんなこと知るかいな。なんでそこまで面倒見なあかんのや。お店にそこまで求めるのは酷っちゅーもんやで。」と思うだろう。
今回自分がそのようなことを感じたということは自分としては正しい対応をしたと思っているが、「対応としては間違っていないけれども、相手の気持ちに寄り添えてない」ということが起こりえるし、もうすでに起こっているのだと感じた。
この不幸は「自社商品・自社サービスを利用しているお客様には値段の大小に関わらず感謝の心を持つ」ということで確率を下げることができるのだと思うのであります。
モノやサービスを売る立場の人間として気を付けたいところである。
これがなかなか難しいんですけどね。。。。。
こういっているそばから何かやらかしてしまいそうな自分がおります。