MMTミリしらがMMT入門書を読んでみた話①(MMTの主張はなにか)
*9/25 万年筆マネー(キーストロークマネー)について指摘があったので修正
はじめに
この記事の目的
筆者はいわゆる主流派経済学と、MMT(Modern Monetary Theory=現代貨幣理論)の主張の違いが何なのかがよく理解していなかった
国内のMMT論者は、「MMTは誤解されている」あるいは「MMTは都合よく切り取られている」と主張していることが多い。一方で、反対派は「MMTはトンデモ」、「バカげた理論」と批判している。結局のところ、MMTは何を言っているのか(あるいは何を言っていないのか)は、自分自身で確認してみるしかない。そこで、ステファニー・ケルトン著「財政赤字の神話 MMT入門」(早川書房 ハヤカワNF文庫)をベースに可能な限りバイアスのない形でまとめた。
公正を期すために表明しておくと、筆者の経済政策におけるポジションは「高圧経済論」が最も近い
とりあえず、MMTに賛成するにしても批判するにしても、ざっくり何を言ってるのかをちゃんと知りたい人向け。
この記事はMMT論者の主張をまとめたものであって、筆者の見解ではない。興味がある人(いるのか?)向けに、筆者個人の見解も書くけど、それは次回(9/27 公開しました。)
きっかけ
Twitterで、#税は財源ではないというタグがトレンド入りしていたので、MMT論者の主張を読みつつ、MMT論者の人たちの話を聞いてみたら、親切なMMT論者のアライさんが参考書籍を教えてくれた。
MMTは賛否両論あって、賛成側も反対側も激しく争ってるので、結局大元のところで何を言ってるのかを知らないと、正確に意見を表明できない。
というわけで、私と同じくMMTがざっくり何を言ってるのか知りたい人向けに、とりあえず推薦された「財政赤字の神話」を読んでみて、MMTの主張と、個人的な見解(これは次回)をまとめてみることにした。著者のステファニー・ケルトンはMMT本家本元の一人だし、伝言ゲームでズレることもないはず。
MMTは何を言っていて、何を言っていないのか
無制限に財政出動できる?
MMTの批判者はよく、「自国通貨を持つ政府は財政における制約を気にせず、無限に財政出動できるなどというのはバカげた理論だ」という批判をする。しかし、MMTはそもそもそんなことを言っていない。こうした批判は誤読によるものか、あるいはMMTについて体系立って書かれた論説を読んでいないかのどちらかだ。MMTが言っているのは、自国の通貨を持つ国は、無制限に貨幣を発行できる、ということだ。
それは大した違いがないのではないか、と思う人がいるかもしれない。けれどもこれは全く違う話だ。MMTでは、貨幣を無制限に発行できるとは言うが、その貨幣を無制限に支出すべきとは一切言わない。これは考えてみれば当たり前の話で、世の中のものはなんであれ上限が存在する。MMTでは、自国通貨を持つ政府は、無限にケチャップでも買うべきだ、とは言わない。すなわち、MMTは明確な制約を持つ。それはもちろん、ある国の経済の供給能力、つまり、その国の経済がどれだけのモノやサービスを生産できるかだ。
恩赦と貨幣
そもそも、政府はなぜ通貨を無制限に発行できるのだろうか。これは単純。政府が唯一の通貨発行権を持っているし、我々が(内心はともかく形式的には)法律を通してそれを認めているから。じゃあ政府は貨幣を通じて何をしたいんだろう?統治に必要なもの-つまりは道路だったり、公園だったり、あるいは公務員の労働だったり-が欲しい、というのが答えだ。
でも、政府が政府の貨幣を使うのはわかるけど、我々まで政府の貨幣を日常の取引に使うのはなんで?これがMMTの重要なテーマのひとつ。MMTでは、貨幣が価値を持つのは、政府が税を課し、貨幣によって納税を要求するからだと説明する。これを指して、MMT論者は「税が貨幣を駆動する」という言い回しで表現する。つまり、我々は政府に税金を納めることで、政府から1年分(あるいは税制の定める期間)の恩赦を買えるから価値を持っているんだ、ということだ。
これまで、貨幣が流通したのは、「物々交換の不便さを補うため」、かつ、貨幣は「みんながそれを価値あると信じているから」使われる、という説明が主流だった。けれども人類学の観点から、物々交換というのは否定されているらしい。(と書いてあり、脚注で参考文献が提示されていたけど、実際にどうなのかは参考文献に目を通していないので知らない。)
また、政府が財政支出するにあたって、財やサービスの提供者に対して、代金を実際に物理的な貨幣で支払っているわけではない。政府が何かを買うと、実際の支払いはコンピューター上の数字を動かすだけで終わる。つまり担当者のタイピングとクリックで、いとも簡単に支払えてしまう。
これはみんな経験的に知っている話だろう。電力、ガス、水道、AWSなんかの請求書が来たからといって、わざわざ電力会社や水道局なんかにおカネを持っていく必要はない。銀行はシステムのバッチ処理で、あなたの口座からいくらかの数字を引き、それをガス会社やAmazonの口座に移す。物理的な貨幣は一切なくとも取引を完了できる。つまり、銀行は制度さえ許せば数字の操作だけでいくらでもおカネを生み出せる(実際には準備預金制度があるので無限にはできないし、そうすると経済が混乱するから日銀考査や金融庁検査というガチガチの規制を通して、銀行員たちの胃の健康を代償に経済の安定を確保している。)。これを、信用創造といい、銀行員が万年筆で口座情報(と自行の帳簿)を書き換えるということになぞらえて、万年筆マネーと呼ぶ。MMTはModernなので、銀行員は口座情報や帳簿の書き換えに万年筆などというレトロな道具を使わずキーボードをタイプするようだ。なのでMMTではこれをキーストロークマネーと呼ぶ。いずれにしても意味するところは同じだ。
だからMMTの財政における答えは簡単。政府は支払いが必要なら中央銀行に指示し、中央銀行のベースマネーを、支払い相手先の口座を管理している銀行にキーボードの操作ひとつで移してやればいい。これに必要なのは議会が中央銀行が数字を動かすことを承認することだけだ。現在のベースマネーを超える支払いの必要があれば、ベースマネーを増やせばよい(どうやって?もちろんタイピングだ。)
ケルトンは、政府は経済におけるスコアラーのようなものだという例えでこれを説明している。野球(でもサッカーでも何でも良いが)で、どちらかのチームが点を取ったときに、その点はどこから持ってきたものか、誰から回収するのかを考えるだろうか?もちろんノーだ。スコアラーは点数をどこからも持ってきていない(あるいはどこからともなく持ってきている)し、回収する必要もない。単にゲームの記録に必要になったからスコアを追加しただけだ。今日のヤクルトスワローズ 対 DeNAベイスターズの試合のスコアの上限が、昨日の読売ジャイアンツ 対 阪神タイガースのスコアに制約される道理はない。支払いの必要があれば、政府はスコアを増やすように、ただそれを記録するためにタイピングすればいい。
MMTは放漫財政を肯定している?
議会が承認すれば、ということは、議会がポピュリズムに陥って、政治が財政支出のデカさを競い合うゲームになってしまうのでは?という懸念が発生する。そこでMMTでは、裁量が絡むことの少ない支出を提案する。これがJGP(Job Guarantee Program、雇用保障プログラム)だ。
JGPは、雇用を求める人は誰でも、政府が指定した業務に就くことができて、生活していくだけの賃金と福利厚生を得ることができる。また、職務内容は公益に資するもの、特に地域のコミュニティのニーズに沿うものが良いとされている。(挙げられている例は火災防護、持続可能な農業等、地域のコミュニティは、日本なら地方自治体だろうか?)こうした側面から、政府は予算を支出して、地域のコミュニティを巻き込んで仕事を策定すべきとしている。JGPのもとでは、民間の求人が減る不況期に支出が増大し、好況期には民間の求人が増えて支出が減ることになる。こうして、財政支出がある程度自動化されることで景気の波を抑える仕組みを、ビルトイン・スタビライザー(自動安定化装置)という。
これはラディカルな提案に思えるけど、ケインズは不況期には「穴を掘って埋めるだけの仕事ですら何もしないよりマシ」(失業者を失業状態で放っておくより、賃金を得てもらって消費してもらうほうが経済が活性化するので)、と言っているので、まさに使い古されたと言えるくらい伝統的な政策提言だ。ちなみにJGPの雛形はすでに存在し、世界の様々な国で実施されている。それは失業保険と呼ばれている。
ケルトンによると、「財政赤字の神話」執筆時点での失業率は3.5%と、アメリカにしてはかなり低水準(日本との統計方法の違いで、一般的に、アメリカは失業率5%を切ると、労働需給が逼迫しはじめているというサインとされている。)にも関わらず、何百万人単位で失業が発生しているという。ただし、これは失業の指標として何を見るかの問題で、ケルトンはU6失業率(望んでいないけどパートタイムの仕事についている人や、そもそも仕事を探すことを諦めた人を含めた、潜在的な失業者を表す指標)で見た場合としている。一方、政策担当者やFedが見るのは、U3失業率という指標(一般的な失業率)だという。
財政再建は不要?
財政論には、3種類の鳥がいるという。つまり、状況に関わらず政府は税収以上の支出をすべきでないとする財政タカ派(Hawkish)、景気循環に応じて、景況感の良いときにのみ財政黒字が達成されれば良いという財政ハト派(Dovish)、そしてMMTは、政府の財政は永遠に赤字でもいいとする財政フクロウ派(Owlish)を自認している。
ちょっと待った、国が借金を返済できなくなったら、通貨価値が暴落して、ひどいインフレが起こるし、政府は新たに借金をすることもできなくなるだろう?アルゼンチンは過去にデフォルト(国債の利払い停止、または元本償還の一部減免)を起こして、ひどいインフレに悩まされてるじゃないか、と。これはよく聞く話だが、事はそう単純ではない。
MMT論者は、次のような説明をする。
アルゼンチンがデフォルトしたのは、ドル建ての債務であって、自国通貨建ての債務ではない。これはアルゼンチンがドルの発行権を持っていないことに起因する。アメリカにおいて、あるいは自国通貨を無制限に発行できる他の国、例えば日本、カナダ、イギリスにおいて、自国通貨建ての債権を返済できなくなるということはあり得ない。そして、国の借金はつまり国債なのだから、財政再建を達成するということは、全ての投資家のポートフォリオから国債が消えることを望んでいることになる。財政再建論者はそんなことを本当に望んでいるのだろうか?財政赤字を消すということは、反対側にいる投資家の黒字を消すと言っているのに等しい。
もちろん、財政赤字がその国の供給能力を上回ってインフレが発生したなら、その支出は持続可能ではないので問題になるけれど、インフレが発生しない限りは財政再建を目指す必要はない。そして、国債を償還するということは、利子付きのドルを利子のつかないドルに戻すということだ。経済全体で見れば資産は増えも減りもしない。そしてアメリカはその気になればタイピングひとつでいつでもそれを実行する能力を有している。だから、アメリカが中国のクレジットカードを用いて決済している、という例えは現実にもとづいていないし、いずれ債務を通して中国がアメリカをコントロールするようになる、ということは起こり得ない。問うべきなのは、不必要なインフレを起こさないために、財政支出のうち、どの程度を税金で相殺すべきなのかだ。
MMTの人たちが、冒頭のように「税は財源ではない」と主張するのは、こうした背景をもとにしたものだろう。ちなみに、有名な主流派経済学者であるスティグリッツも、日本の政府債務は、政府がその気になれば一瞬で消滅させることができる、と発言している。これは個人的な感想だけど、結局のところ、日本をはじめとした各国の政府が国債を無効化しないのは、なにやら不道徳な感じがする、という感覚だけによるものなのかもしれない。(MMT的には、そもそもそれをする必要はまったくない。)
内生的貨幣論と主流派経済学
政策提言の場において、現代の主流派と呼ばれる経済学と、MMTの最も大きな違いは何か。それは景気をコントロールするツールとして、金融政策をメインに据えるか、財政政策をメインに据えるかだと言える。この違いは何から来ているのだろうか。MMTは、貨幣量は内生的(政策でコントロールできない)であるとする。一方で、主流派と呼ばれる経済学では、貨幣量は外生的(政策でコントロールできる)と考える。(これは主流派の中でも議論があるところだけど、MMTの批判する主流派は、主に貨幣量を外生的と考える主流派だ、ということ。)
そんなバカな!?
だって、MMTは政府は無制限に貨幣を発行できるって立場でしょ?それなら、貨幣量はいとも簡単に増やせるはずじゃないの?もちろんだ。政府は自由に貨幣を発行することができる。MMTが言わんとしているのは、政府が貨幣を発行したところで、それだけでインフレを起こすことはない、ということだ。貨幣を発行することはいとも簡単にできるだろう。でも、貨幣を発行しただけで、経済に貨幣を必要とさせることはできない。言い換えれば、貨幣を発行しただけで、政府が我々に何かを買うよう強制することはできない、という話だ。点も入っていないのにスコアを追加することはできない。一方、主流派経済学の一部では、インフレは貨幣的現象とする説が力を持っている。言い換えると、貨幣の発行量が増えるだけで、自動的にインフレを起こすことができる、と考えている、ということだ。(これを貨幣数量説という。)この説の違いの必然的な帰結として、MMTは財政政策を、主流派経済学では金融政策を中心に据えるべし、となる。
本当の問題は何か
MMTが提言しているのは、以上のような観点と政策だ。MMTは、本当に心配するべきは財源の不足ではなく、政府支出の不足、そしてそれによって引き起こされる、本当に大事なもの-例えば教育、環境、インフラといったもの-への投資の不足である、としている。こうした政府支出の不足は、富の格差を生み出し、富を持つものが政治的影響力を行使するという点で、民主主義の不足につながる、というのがMMTの主張するところだ。
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