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ノア・スミス「書評:『AMETORA』と『新ジャポニズム産業史 1945-2020』」(2022年5月31日)


(これは,日本に関する連続記事の第4弾だ.第1弾第2弾第3弾は,日本の経済問題を取り上げた.今回の記事では,趣向を変えて日本の文化的な勝利について語ろう.)


日本の創造力が世界を変えた2つの物語

90年代以降の日本の物語を語るなら,基本的な筋はこうなる.「経済は弱いけれど,文化面での影響力は強い.」 バブル崩壊から十年後,日本は富の追求から方向転換して,創造的な表現に多くの力を振り向けた.その結果は,目を見張るばかりの文化の花ざかりだった.もはや 90年代や00年代ほどの高みにいたることはないかもしれないけれど,日本の文化的な繁栄は今日まで続いている.それに,90年代や00年代序盤はたまたまインターネットの発展期と重なっていたおかげで,日本の文化が爆発的に開花したタイミングは,世界を席巻するのにこのうえなく合っていた.

日本についてまるっきり間違っている奇妙なステレオタイプが根強く残っていて,いまでもときどき耳にすることがある.それは,「日本は創造よりも模倣が得意な国だ」というステレオタイプだ.これほど事実からほど遠い話もめったにない.日本の創造力は社会のいたるところに息づいていて,想像力に満ちあふれているから,気圧されずにいるのが難しいほどだ.日本で生まれたいくつもの発明の話をしてるわけではなく,日本の全土に行き渡っているように見えるアートやデザインの創造力の話だ.

この創造力は,長年にわたってアメリカ文化に(ひいては世界の文化にも)影響を与えて,変化させつつある.その影響は,日本の文化的な産物・いろんな形式のアート・ミームの輸入を通して広まっている.日本からの影響とその背景にある創造力について,ようやく,一部のアメリカ人たちが年代順で記録しはじめている.『AMETORA:日本がアメリカンスタイルを救った方法』と,『新ジャポニズム産業史』の二冊は,基本構成が共通している(著者どうしが友人なので,おそらく偶然の一致ではなさそうだ).どちらの本も,第二次世界大戦後の日本の歴史を,文化的産物のレンズ越しに探索している――『AMETORA』は男性ファッションのレンズ,『新ジャポニズム産業史』はオモチャ・マンガ・TVゲームのレンズを通して.

まずは,この構成の先駆者になった本から取り上げよう.それが,『AMETORA』だ.

デイヴィッド・マークス,『AMETORA』

大学最後の年のある日,友達の一人が背中に何かを隠して近づいてきた.「コイツを見たら,2秒後にはさ」――と彼は言った――「キミ,『日本に行くぞ』って決めちゃうね.」 背後から取り出してきたのは,写真集 Fruits だった.そこには,同名の雑誌で長く続いている日本のストリートファッションの写真がまとめられていた.

友達は正しかった.表紙を見て2秒後には,「日本に行くぞ」って気持ちが固まっていた.

『AMETORA』で,デイヴィッド・マークスが語っているのは,戦争中に爆撃で破壊し尽くされたファシスト帝国の瓦礫から上記の写真にあるような国にわずか半世紀ほどで日本がどうやって変わっていったのかという物語だ.たやすい旅路でも,必然的な到着地でもなかった――そこには,とても数え上げられようもない量の刻苦勉励と,犠牲と,創意工夫が関わっていた.

経済と社会の再建というこの物語こそ,『AMETORA』の眼目だ.ファッションは――もっと限定して言えば男性ファッションは――ただのモティーフにすぎない.年代順に配された各章では,戦後日本のいろんな時代が語られている――貧しかった50年代,物質主義的な60年代,政治の季節の70年代,商業主義の80年代,そして,ゆるい空気のなかでアートが栄えた90年代.これを語る目線は,ファッション消費者の目線ではなくて,ファッション起業家の目線だ――イケてる出で立ちをしたがる日本の若者たちの欲望にうったえて一儲けしてやろうと試みた男たちの目線で,物語は語られる(そう,全員男性だ).

とびきり愉快なのが,Take Ivy〔VANが撮影した映画・写真集〕の物語だ.60年代に,数人の日本人男性たちがこう考えた.「アメリカ・アイビーリーグの羽振りのいい学生のファッションを日本の若者連中に売り込んで一儲けしてやろう.」 ところが,いざアメリカにやってきていくらか写真を撮ってみて,彼らは気づく――「どうも,アメリカ人の若者は揃いも揃ってヨレヨレのヒッピー集団に変貌しちまっているじゃねえか.」 そこで,彼らはまるごとでっち上げることに決める.あたかもハーバードやイェールの誰も彼もが50年代のプレップらしい出で立ちをしてるかのように思わせる写真を,彼らはどんどん撮影していった.

そして,このインチキが大成功を収めてしまう.「アイビー」ファッションは日本で一大流行になってどんどん広まり,そのなかで果て知らぬ変遷を遂げていった(「パンク・アイビー」とかね!) そして,これによって,ものすごく詳細なカタログめいたファッション雑誌であれこれのファッション・スタイルを売り込む舞台がととのった.

そうしたスタイルは,実はアメリカで言う意味での「トレンド」なんかじゃなかった――みんなが模倣するミームとはちがっていた.そうじゃなくて,ファッションにのめり込んだ趣味人たちの「テンプレート」といった方が近い.お望みなら,しかじかのスタイルのありとあらゆる細部をそっくりそのまま,微に入り細に入り精密に我が物にしてもいい――「襟のところはこう折って,それからそれから…」と,まるでコンチェルトの演奏を学ぶように身につけてもいい.あるいは,お望みなら,雑誌で読んだスタイルを自分なりに変奏してやってもいい.いろんな特徴を加えたり変更したり,さらには,複数のスタイルを組み合わせてもいい.これは,自己表現と自己再発明の手段だった.(一例として,そういう人たちのなかでもとびきりの手練れの実践者たちが現代ではどんな感じなのかを示しておこう.)

面白いことに,ちょうど1960年代アメリカと同じように,日本でもファッションが反逆の手段みたいなものにもなった.『AMETORA』では10年分の幕間の章を割いて,ほんの束の間ながらも日本の若者たちが消費主義を捨て去って左翼急進主義をとったのか(そしてしばしば暴力沙汰を起こしていたことも)語っている――もちろん,そこにはファッション・スタイルもついて回っている.とりわけ興味を引くのが,その手の急進主義があっという間に廃れて,80年代と90年代には再び平和な自己表現の欲求が盛んになったことだ.ちょうどアメリカが新たな社会騒乱の時代を迎えていた2016年に『AMETORA』を読んだときには,「これもそのうち収まってくれるだろう」というかすかな希望をもらえた.

ともあれ,『AMETORA』の最後のセクションでは,もっぱら90年代から00年代にかけてのファッションの大爆発がいかにして起こったのかについて語られている.たとえば,冒頭で言及した『Fruits』などの写真に見られたすごいスタイルは,いったいどうやって現れたんだろう? 本書の副題には,「日本はアメリカン・スタイルをいかにして救ったか」とある.これは,アイビーリーグのプレップウェアみたいなアメリカの古いファッションを即興で応用して日本の若者たちが発明したいろんなスタイルがアメリカに逆輸入されて2010年代にストリートファッションの再燃を引き起こした物語だ.

『AMETORA』は,いまどきのインターネットではなにかと非難の的になりがちな2つの要素,資本主義と文化的な流用〔盗用とも訳される〕が引き起こした魔法を語った本だ.日本のストリートファッション・キッズたちの比類ない創造力に火を付けたのは,金儲けを追求する素朴な商売人たちの奮闘だった.また,日本の目利きやファッション好きの若者たちは,なんの後ろめたさも覚えずにアメリカ文化からあれこれと取り入れては,独創的なひねりを加えた.それが回り回って,他ならぬアメリカ人たちを魅了する結果にもなった.『AMETORA』で語られているのは,利益追求の動機と文化的な真正性への無頓着とが組み合わさって,独自で比類なく美しいものを産み出したなりゆきであり,そして……それがファシズムと戦争に打ちのめされていた国の魂をある意味で癒やす助けになった物語でもある.

ぼくが知るかぎりでは,デイヴィッド・マークスは左翼思想にものすごく精通してる人物だ.彼が本書を構想したときにこの切り口を考えなかったとは,ちょっと想像できない.1998年の原宿ファッション・キッズたちの重ね着を上回るくらい,彼の文章は重層的だ.

マット・アルト『新ジャポニズム産業史』

『AMETORA』と同じく,『新ジャポニズム産業史』の起点も,第二次世界大戦後の廃墟だ.ただ,本書の物語はオモチャからはじまる――占領期に日本の玩具メーカーがつくったミニチュアのジープだ.これが,アメリカで大当たりする.本書では,この同じ筋書きが幾度となく繰り返される――デザイナー・発明家・アーティストたちが,めいめいに稼ぐ方法を探しながら,世の中に美しいものを送り出すという物語だ.

この数十年,日本のポップカルチャーは,アメリカの若者たちのあいだで一種の共通言語になっている――アニメ・コンピュータゲーム・マンガ・コスプレなどなどを共通の言葉にして,彼らは交流している.ガチのウィーブではない大多数の人たちも,いろんなミームやコンセプトや言葉を日本の漫画やゲームから借りて使っている.(ぼくなりの説を言えば,アメリカの文化・人種・政治の対立に日本の文化はどうにもしっくり収まらないので,結果としてそういう対立の境界線を超越するんだと思う.)

これに関する本はたくさんあるけれど,『新ジャポニズム産業史』は実のところそうしたホントは一線を画している.日本製品が海外で産み出したサブカルチャーにはかるく触れてこそいるけれど,圧倒的に大きな割合の紙幅が割かれているのは,日本人クリエイターたちの話だ.マークスは商品が人気になった経緯にもっぱら興味を抱いているのに対して,アルトは商品がどうやってつくりだされたのかに熱中している.

実際,ものすごく興味をそそられる物語だ.ぼくのお気に入りは,カラオケ誕生を語った章だ.70年代には,日本各地の都市で,あちこちのバーを渡り歩く流しの弾き語りミュージシャンたちが大勢いた(かっこいいよね?).客の歌唱に伴奏をつけるのがその仕事だ.その伴奏を自動化してやろうというアイディアが,このサブカルチャーに携わっていた人たちのあいだでポツポツと登場する.そのためには,いくつかの問題を解決する必要があった――伴奏と歌唱を効果的に合わせる機械を発明するにはどうすればいいか,普通の人たちの歌唱をいい感じに響かせる標準フィルターをつくりだすにはどうすればいいか,ポピュラーミュージックの音源からボーカルを除去してたくさん収録しながらも持ち運びやすいカタログの製作方法,そして,そういう機械を中心にビジネスモデルをどう組み立てるか.『新ジャポニズム産業史』では,こうした問題を同時期に解決した二人の発明家たちの物語を展開する――やがては,大企業がやってきてそのアイディアを横取りしてしまうまでの成り行きを.

(本書で語られる物語の大半は,クリエイターたちがもっと儲ける結末を迎えている.サンリオはハローキティで大もうけしたし,任天堂はマリオで大もうけしたし,ジブリは『千と千尋の神隠し』で大もうけした.またしても資本主義の勝利ってわけ.)

ぼくの見るところ,『新ジャポニズム産業史』の核心となっているメッセージは,これだ――現代日本のポップカルチャーは,なにやら古からの日本の本質がもたらしたシロモノじゃない.サムライやゲイシャが,擬人化されたネコだの,ぴょんぴょんジャンプするイタリア人配管工だの,宇宙でサーベルを振り回す巨大ロボだのを必然的にもたらしたわけじゃない.そうじゃなく,これらはすべて,一人一人の日本人がそのとき・その場所で創造したんだ.そういう個々人の才覚がなかったら,ぼくらが暮らす現代世界は,まるっきり様子がちがってただろう.

『新ジャポニズム産業史』のひとつ欠点があるとしたら,そういう現代世界をいまひとつ十分に示していないところだ.ヒラリー・クリントンがゲームボーイで遊ぶ様子は描かれているし,アメリカのアニメファン界隈の成長についてもさらりと触れられてはいる.でも,発明家当人たちの物語以外となると,本書で記されている物語の大半は,スペースインベーダーの熱狂から漫画に熱中した学生運動家たちまで,日本の文化製品がいかに日本を形づくったかという話だ.ウィーブ文化やアニメ Tumblr やアメリカのコスプレ大会については,ほぼ記述されていない(こうした文化は,日本の先駆者をはるかに超えている).それに,アルトが少し詳しく掘り下げているアメリカのサブカルチャーは,4chan やゲーマーズゲートの右派寄りネット集団だ.ぼくの考えでは,どちらもあまりに不相応な注目をすでに集めている.

というか,この最後の点には,もうちょっと関心が注がれてしかるべきだ.終盤の第9章では,「2ちゃんねる」がとりあげられている.4chan 設立の着想をもたらした日本の匿名掲示板だ.アメリカのそれと同じく,2ちゃんも怒れる若いミソジニストたちの避難所になっている.こうしたネット荒らしたちに注目することで,アルトは終盤に来て本書のトーンを少し変えている.

『AMETORA』も,『新ジャポニズム産業史』の大半も,その性質上,勝利の物語だ――いかにして日本が戦後の貧困から抜け出しつつ自己表現にもとづく自由社会に変わっていったのかという物語が語られている.ひとつひとつの章をたどっていくと,まるで,暗黒から抜け出す旅路をたどっている気分になる.でも,『AMETORA』の出版年は2015年,世界の新たな紛争はまだ揺籃期にあった.でも,『新ジャポニズム産業史』が出版された2020年までには,世界がより暗い場所になりつつあるのは明白になっていた.そう考えると,『AMETORA』がハッピーエンドを――日本とアメリカがお互いの文化を楽しみ,みんなが愉快になる結末を――迎えたのに対して,『新ジャポニズム産業史』がそれよりちょっぴり不穏な調子で締めくくられるのも,不思議なことじゃない.

これまでのところ,第二次世界大戦後に歓迎した自由主義を日本が放棄する兆しはみられない(ありがたいことに,右翼のネット荒らしは政治的に無意味な存在にとどまっている).ただ,海外では不穏な勢力が結集しつつある.遠からず,自らがその創出に力添えした世界を守るために,日本に助けを呼ぶ声がかけられる日が来るかもしれない.


[Noah Smith, "Book reviews: 'Ametora' and 'Pure Invention'", May 31, 2022; translated by optical_frog]

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