見出し画像

ノア・スミス「アメリカ人は失業を嫌がる以上にインフレを嫌っている」(2024年11月8日)

トランプ勝利から得られる教訓その二

Source: New York Times

ご心配なく.ドナルド・トランプの大統領選勝利からうまれる帰結については,いずれたっぷり書くつもりだ.いまは,今回の結果から民主党が――そしてみんなが――学べる教訓に集中したい.すぐさま思いつくのは,次の3点だ:

  1. アイデンティティ政治(帰属集団本位の政治)では,人種集団を同質の「共同体(コミュニティ)」ととらえて,集団としての苦情に訴えるべく照準を合わせる.でも,アイデンティティ政治は,ヒスパニック有権者を勝ち取るのに効果的な方法ではない(おそらく,アジア系についても同様だ).

  2. 人々は失業率よりもインフレの方を気に病んでる.

  3. 教育ある専門職階級は,他の同胞たちの実情から危険なまでに遊離している.

(都市部の政治に関する4点目を付け加えようかと,いま考えてる.まあ,そのうち.)

昨日の記事では,アイデンティティ政治の失敗について語った〔日本語記事〕.次回は,教育ある専門職階級とそれ以外の人々の乖離について語ろう.今日は,インフレの話題だ.

2021年に,激しい論争が交わされた.論陣を張ったどちら側も,バイデン政権の関係者や総じて中道左派の評論家たちで,論点となったのは「インフレをどれくらい心配するべきか」だった.たとえば,2021年5月にラリー・サマーズはこう書いている

6ヶ月前ですら,低成長・高失業率・デフレ圧力がアメリカ経済の重大リスクだと考えられていた.今日,継続的な救援策は不可欠ではあるものの,マクロ経済政策の焦点は変更する必要が生じている.(…)インフレ圧力は高まってきている(…)インフレが加速するかどうかは,どれくらい重大問題だろうか? 一般に,インフレは貧しい人々に偏って打撃を与え,政府への信頼の低下と関連している.進歩派は,1968年のリチャード・M・ニクソン勝利と1980年のロナルド・レーガン勝利にインフレが果たした役割を検討してもよいだろう.

2021年2月,これまた傑出したマクロ経済学者であるオリヴィエ・ブランシャールが詳細な主張を展開した.バイデン政権は「アメリカ救援プラン」でコロナウイルス関連の救援策にたくさん支出しすぎている,これはインフレを急激に高めるだろう,とブランシャールは論じた.その論の単純なモデルから導かれた予測は,その後の出来事にかなり近いところを言い当てていた.

他の経済学者たちは,ブランシャールとサマーズに強く反論した――「インフレは一時的な要因によるものであって,完全雇用を維持すべく政府支出を続けるのが大事だ.」 そうした人々の一人が,ポール・クルーグマンだった.彼は「《チーム一過性》の正会員」を名乗った――《チーム一過性》とは,こう主張していた人たちのことだ.「インフレの大半はパンデミックにともなう混乱によるもので,そのうち自ずと収まっていく.」 2022年前半にはクルーグマンとサマーズがライブ討論すら行った.でも,2022年後半になると,クルーグマンは自分の予測が外れたのを認めて,バイデンのアメリカ救援プランがインフレをいっそう増幅させたと認めた:

2021年前半に,経済学者たちのあいだで激しい論争が交わされた.新しい民主党の大統領と(かろうじて)民主党優位な議会によって可決された 1.9兆ドルのパッケージ「アメリカ救援プラン」の帰結が,その論点だった.一方の人々は,「このパッケージは危険なまでにインフレを促進するだろう」と警告し,他方の人々は,そんなに心配しなくていいとかまえていた.ぼくは,その心配いらない派だった.もちろん,実際には,これはひどい誤りだった.

2021年~22年のインフレ急上昇経済分析は,総じて,アメリカ救援プランにその責めの一部を認める

サマーズの警告を無視して《チーム一過性》を信じたことで,2024年選挙で民主党はコストを払うことになったのかもしれない.ぼくは政治学者じゃないけれど,2021年~22年のインフレ急進がカマラ・ハリス敗北の一因だったと信じるべき理由はいくつかある.

今回の選挙でおそらくインフレが大きな要因だった理由

インフレが重要だったと考えるべき第一の理由は,インフレが重要だとみんなが一貫して言い続けたことだ.ギャラップの長期にわたる「最重要問題」調査では,人々が言及した最重要の経済問題ランキングでインフレが一貫して2位につけている.1位は「経済全般」だ.

Source: Gallup

他の多くの調査でも,同様の結果が出ている.それに,ギャラップ調査で,大統領選での投票で経済が「きわめて重要」と回答した人たちの割合は,異例なほど高かった――金融危機でアメリカ経済がガタガタになっていた2008年調査のときと,ほぼ同じ高さだ.

Source: Gallup

それに,もちろん,消費者感情もとても低調だった.調査手法の変更にともなう差を調整してもなお,低調だったんだよ:

Source: Axios

とはいえ,こういうことも考えうる.つまり,〔公平・多様性への〕意識の高さ(ウォークネス)や移民やトランスジェンダーなどなどの社会的/文化的な不満ばかりを語るよりも中身があると感じた共和党支持層がインフレについて不満を語ったからこういう調査結果になったのかもしれない.なにしろ,経済に関する世間の人たちの意見には,とても党派的なパターンが現れていて,誰がホワイトハウスにいるかで大きく違ってくるんだよね:

Source: NYT

「おや,アメリカのインフレはもう低くなってるな」と共和党支持層が急に「気づいて」,トランプにその功績を認める見込みは,けっこう高い.

でも,歴史を振り返ったりいろんな国を見渡したりすると,インフレはとりわけ有権者を憤慨させがちらしいのが見てとれる.ある大統領の任期中にインフレがだんだん高まっていくと――その時点でのインフレ率がどうなっているかだけではなく――その積み重ねが大統領支持率と選挙結果に影響することが,研究でしばしば見出されている.ギャラップの長期調査を見てみると,1980年代序盤のヴォルカー総裁〔のインフレ鎮圧〕にともなう景気後退や90年代前半の景気後退での失業すら上回って,アメリカ人がとにかく1970年代のインフレに圧倒的な不満を抱いていたのが見てとれる:

Source: Gallup

それに,他の国々に目を向けると,今年,あらゆる先進国で政権党の得票率が下がっているのがわかる:

Source: John Burn-Murdoch

あらゆる先進国に同時に影響する要因は,比較的に少ない.移民流入への反発も,共通の要因として候補にあがるけれど,このリストはそれに加えてとにかくインフレだ.

さらに,選挙結果をかなりうまく予測したモデルがある.研究者たちの学際的なチームがつくったそのモデルは,大統領支持率と各州の経済状況にもとづいていて,各州の結果を正しく予測できている:

Source: Enns et al. (2024)

これは,たんなる偶然のしわざかもしれない.でも,その同じモデルが2020年に予測を外したのはたったひとつの州だ(ジョージア州).ともあれ,このモデルの土台には,経済のファンダメンタルズが含まれている――実質賃金や労働市場の各種の数値が入っている.そして,実質賃金はインフレ率によってちがってくる.全米で労働市場は総じてすごく堅調だったのだから,州レベルで賃金がインフレで目減りしたことが,このモデルからトランプ勝利予測が出てきた主な経済要因のはずだ.

というわけで,人々が世論調査で回答したほどにはトランプ勝利にインフレはものを言わなかった可能性もあるとはいえ,少なくともいくらかはものを言ったとみて,大外れはしないだろう.

失業よりもインフレの方が有権者を憤慨させる理由

ちょっとだけ,マクロ経済学の話をしよう.主流マクロ経済学モデルの大半では,インフレと失業に短期的なトレードオフの関係が成り立っている.「もしも中央銀行が金利を下げたり量的緩和その他の方法でお金を刷ったりすると,失業率は下がってインフレ率が上がる」というのがだいたいの共通見解だ.同様に,主流の共通見解として,政府がお金を借り入れて支出して,しかも中央銀行が金利引き上げの対応をとらなかったら,成長は加速し,雇用は増え,物価が上がる [n.2].

そこで,マクロ経済政策は,「ちょうどいいバランスをどうやってとるか」が問題になる.みんなに仕事を見つけてもらいたいし,インフレ率に 2% を超えてほしくはない.でも,この2つのどっちかを選ばないといけないとしたら,どうしようか? 経済学の各種モデルでは,政策担当者たちがインフレと失業のそれぞれを相対的にどれくらい重んじるべきかを決定するのは,社会厚生関数となっている――ようするに,インフレと失業という2つの経済定弊害が,それぞれ,人々をどれくらいふしあわせにするかで決まる.そして,この点に関して,実は共通見解はない.

ただ,1970年代と2020年代の経験はこう物語っている――少なくともアメリカでは,失業よりもインフレに関して,人々はいっそう憤慨するらしい.そこで問題.「なんで?」 実は,2021年5月にこの件について記事を書いてたりする.「アメリカ救援プラン」が可決されて間もない時期だ.

ここでの基本的な説明は,1990年にロバート・シラーがやった調査に由来している.ようするに,インフレは人々の購買力を下げる傾向がある.なぜって,価格の上昇に賃金が追いつけないからだ [n.3].すると,人々は前より貧しくなる.で,人々は貧しくなるのが好きじゃない.

2021年~22年のインフレは,まちがいなく人々を前より貧しくした.というか,実質の個人可処分所得の下げ幅は,2021年中盤から2022年中盤の方が,〔2008年金融危機後の〕大不況や1970年代のインフレよりもさらに深刻だったんだよ! [n.4]

実質可処分所得の大幅減少を引き起こしたのは,パンデミック救援策の終了と,インフレによる実質賃金その他の実質所得の低下の組み合わせだ.2021年と2022年に,アメリカの実質賃金は戦後最大の減少を起こした.理由はインフレだ [n.5]:

思い出そう.あらゆる州の選挙結果の予測に成功したモデルに与えられる主要な経済インプットのひとつが,実質賃金だったよね.自分の実質賃金が下がっちゃうのを,人々はほんとにいやがるんだよ.

ここで理解すべき勘所は,これだ――こうして急激に貧しくなったのは,アメリカ人の大半だったんだ.消費者物価の上昇は誰も彼もに影響する.お金持ちも貧しい人も,有職も無職も,老人も若者も,誰もが影響を受ける.

言い換えると,景気後退では,そのマイナスの影響は大半が一部に集中する.不況で運悪く失業してしまったら,キミはものすごい打撃を受ける.でも,キミがそういう失業組に入らなくてすめば,たぶん大丈夫だ.もしかしたら,賃金はほんの数年ばかりゆっくりとしか伸びないかもしれないし,もしかしたら,首になる可能性が高まるなかでイラだちが募るかもしれない.でも,一般に,失業の害は一部に集中するのに対して,インフレの害は広く拡散する

道徳哲学者や,活動家や,社会厚生関数を推定する経済学者だったら,インフレでおおぜいの人たちをちょっぴり痛めつける方が,失業で一握りの人たちを手ひどく痛めつけるよりもマシだと考えるかもしれない.でも,民主制での投票は,社会厚生にもとづいてなんかいない.一人が一票を投じる.だから,失業で1000万人が手ひどい痛手をこうむり,インフレで2億人がまあまあの痛手を受けるのだとしたら,明らかに,インフレで直接に痛手をこうむる有権者の方がずっと多くなる.

社会厚生関数と,「このクソったれ落選しやがれ」関数は,まるで別物だ.

失業よりもインフレの方がいっそう有権者に嫌な思いをさせる理由は他にもあるだろうとぼくは思ってる.当然ながら,インフレは,個々人の力ではどうにもできない――タマゴの値段が上がったら,タマゴを買わない選択はできるけれど,それ以外には大してできることなんてない.でも,失業だったら,個々人がいくらかなりと自分でなんとかできる余地がある――景気後退期に追加でもう数時間はたらいたり,上司との関係をよくしたりすれば,我が身はもしかしたら首にならずにすむかもしれない.

一般に,人々は自分の力がいくらかでも及ぶリスクについては,そこまで心配しない.そっちのリスクの方が全体としての危害の水準がさらに高かったとしてもだ.長距離運転よりも飛行機に乗る方をいかに世間の人たちが怖がるか,見てみるといい.1マイルあたりの死亡率は,車を運転する方が高いのにね.これに関する有望な理論では,こう考えている――車の運転は我が身の安全に自分の力がいくらかなりとおよぶけれど,飛行機に乗るときは,そんなコントロールは基本的にゼロだ.同様に,インフレの方が人々に無力感を覚えさせるんじゃないかとぼくは思う.ちょうど,墜落していく飛行機の座席で手をこまねいているしかないようなものだ.

ともあれ,おそらくこれは今後の研究が待たれる重要分野だろう.ただ,さしあたっては,完全雇用が実現したからといって,それがアメリカ人の満足する経済とはかぎらないってことを民主党は覚えておく必要がある.完全雇用の対価が急激なインフレだとしたら,その対価をたいていのアメリカ人は喜んで払ったりはしないだろう.

民主党はマクロ進歩主義の進展に警戒すべきだ

アメリカ救援プランをめぐる2021年の論争について,もうちょっとだけ語りたい.ポール・クルーグマンとラリー・サマーズは,自分たちの論をかなり専門的な観点で見ていた.他方で,一部の経済学者と評論家は,イデオロギーの角度からその論争に臨んだ.一般に,より多く支出しようというのが進歩派の立場なのに対して,高インフレを避けるために支出を減らそうという立場はもっと中道的または穏健派の立場だ.

これは理にかなっている――完全雇用で恩恵を受けるのは,社会でいちばんめぐまれない人たちにかたよる.いちばん実入りの少ない労働者たちこそが,景気後退で最初に首を切られる対象になりがちだし,景気が拡大していく局面で最後にやっと雇われるのもこの人たちになりがちだ.だから,景気拡大を長く維持できるほど,仕事に就ける貧しい人たちは多くなる.また,完全雇用は賃金を押し上げる傾向がある.とくに,底辺の賃金ほど押し上げられやすい――実は,2021年~22年のインフレ期に大半のアメリカ人の購買力は減少してしまったものの,アメリカの労働者の最下層 10% の人たちの実質賃金は伸びてたりする

この7月に書いた記事では,一部の進歩派シンクタンクがほぼつねに完全雇用を推進しつつインフレに関する懸念を軽視している件をとりあげた〔日本語記事〕.

一部の進歩派経済評論家たちは――具体名は出さないよ,近頃は前ほど戦闘的なブロガーじゃなくなろうとつとめてるので――バイデンの任期中ずっと一貫してインフレのリスクを軽視しつつ完全雇用がもたらす多くの恩恵を褒め称えた [n.6].

振り返ってみると,道徳的な観点から見てこれがいい動きだったかどうかはさておき,選挙に勝つって切り口では大失敗だったように思える.

こうした評論家たちが自分の考えを再検討してくれたらいいなと思う.それに,民主党の政治家たち,スタッフたち,寄付者たちがこのパラダイムを再検討してくれたらとも願っている.他の条件が同じなら,完全雇用はすばらしい.でも,ときに完全雇用の対価が高くつきすぎることもある――自分の購買力が削がれるのを何年か耐え忍ばなくちゃいけない大多数のアメリカ人にとってだけでなく,ドナルド・トランプみたいなリーダーの当選で害をこうむる人たちみんなにとっても.


追記: 一部の左寄り経済学者たちがすばやく同じ結論に達してるようで,すばらしい.

そこで次のぼくらの課題は,民主党の政治家たちに耳にこれを届けることだ.それにはおそらく,進歩派シンクタンクや Twitter の常連たちから彼らの注意をもぎとる必要があるだろうね.


【続編はこちら


原註

[n.1] 選挙に影響する他のいろんな要因,文化戦争・カリスマ・物語などなどは,すべて大統領支持率に代表されていて,これがモデルのインプットになっている.

[n.2] 2021年がそうだったように,名目金利がゼロ近傍にあるときには,この効果は総じて増幅される.

[n.3] この点は,きわめて明白なことでありつつも,証明するとなると経済学者たちが研究論文を書く必要があることのように思える.でも,ふつうの人なら誰だって脳の半分で知ってることじゃないか,と思いたくなる.実は,そうでもない.インフレは物価だけでなく賃金も押し上げる――高インフレ期に賃金が物価上昇に後れを取る明白な理由はない.でも,実際にはまさにそうなってる.どうしてなのか,経済学者にはわかっていない.

[n.4] 実は,あらゆる所得の数値が同じことを示してるわけじゃない.パンデミック後のインフレ期よりも大不況のときの方が,実質個人所得の中央値はずっと悪かった.実質世帯所得の中央値は,どちらの時期にも顕著に下がっている

[n.5] この一部は構成効果によるものだ――低賃金労働者たちが復職すると,平均値が下がる.でも,構成効果を統制した賃金指標でも,2021年~22年のインフレに賃金が後れを取ったことが見出されている.

[n.6] この「マクロ進歩主義」のいちばん極端な形態といえば,もちろん,MMT というカルトめいた運動だ.もちろん,たいていのマクロ進歩主義者たちは MMT と関わりをもちたがらない.でも,ときに,彼らの考えが,MMT をより穏当で理屈っぽくした甥っ子みたいに見えることがある――雨でも晴れでもいつでもあともうちょっと財政刺激を増やすように推奨するところがね.


[Noah Smith, "Americans hate inflation more that they hate unemployment," Noahpinion, November 8, 2024; 訳者:optical_frog]


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?