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「BAND OF BROTHERS」 、生きる意味。

『BAND OF BROTHERS』は、スピルバーグとトム・ハンクスが監修し、アメリカのHBO社が製作した連続ドラマであり、『プライベート・ライアン』という、有名な第2次世界大戦映画のスピンオフドラマでもある。

しかし、この10話から成るドラマシリーズを見終わったとき、誰もが、このドラマシリーズの方がメインであり、プライベートライアンこそがスピンオフだと思うに違いない。それくらい、金と人員が注ぎ込まれているとしか思えない。戦車や航空機が飛び交う息を呑むような戦闘シーンや、1940年代のヨーロッパの街並みや農村地帯のリアルさは、何度観ても目を奪われてしまう。

この作品では、戦争の悲惨さではなく、ノルマンディー上陸からベルリン侵攻までを戦い抜いたある1個中隊(E中隊)の人間模様がフォーカスされる。人種や出身など、多様なバックグラウンドを持つ下級兵士たちが、弾丸や地雷にやられて死傷したり、精神をやられてダウンしたりするリスクを何とかくぐり抜けながら(実際に死んでフェードアウトしていく者もいる)、戦闘をひとつひとつサバイブしていくさまは、さながら現代社会の末端で必死にもがきつづけるわれわれを彷彿とさせるのだ。そしてこのような類推から、いくつかの教訓が得られるだろう。

たとえば、リアルな戦闘シーンがわれわれに教えてくれるのは、「決して慌てたり、立ち止まってはならない」ということだ。敵の銃撃に恐れをなし、パニックになったり、あそこの建物の脇に一旦避難しよう!などと戦術を勝手に変えて突撃をやめる兵士は大抵撃たれて死ぬ。もちろん闇雲に突撃する兵士も普通に撃たれて死ぬ。まず、敵の陣地や装備、人数など、情報を入手する。そして、リスクが最も少ない戦術を考える。あるいは必要であればリスクを犯す決断をする。そしてそのタクティクスに忠実に、迅速に行動することが大事なのだ。

もう一つ、このドラマからわれわれが学ぶべきことがある。それは常に「仲間」がわれわれを支えてくれていて、われわれもまたその「仲間」のために戦う、ということだ。現代社会を生きるわれわれにとっては、「敵」というものが抽象的であるように、「仲間」もまた概念的な存在となってしまうかもしれない。会社の同僚は、仲間だ、と思えない場合も多いし、個人事業主は基本一人だ。しかし「自分が一人ではないという意識」のようなものをわれわれは持つことができる。

未来という、予測不能な見えない「敵」と戦いながら、顔も知らない「仲間」との連帯を意識しつつ毎日を生きる。自分の今やっているすべてことは「仲間」のためなのであり、そしてまた自分自身も「仲間」に支えられているという意識。そんな意識を持つことができたなら、毎日は単調でモノトーンな世界ではなくなるだろう。

会社のくだらない飲み会に行かないで自宅に即帰宅するのも、「仲間」のためだし、会社でくだらないミーティングを勝手に欠席したり、どうでもいい仕事をサボるのもすべて「仲間」のためだ。なぜならそうした行動は、綿密なリスク分析から導き出された「戦略」に基づく行動なのであり、くだらない会社にさっさと見切りをつけて自由になるための戦闘行動なのだから。そんな風に考えることができたなら、心が少し軽くなるだろう。

われわれE中隊はこの世界のあちこちに散らばっているが、同じ戦略のもと互いに助け合って仲間を信じて日々戦っている。途中で歩みを止めたら、すぐ敵にやられてしまう。過酷な戦闘をくぐり抜けて、いつの日か戦況がおちついて穏やかな日々が訪れたなら、われわれは笑顔で互いにハグし合ったりフィスバンプを交わすだろう。

『BAND OF BROTHERS』にはそんな哲学が詰まっている。でも戦闘シーンは本当にリアルだから、それだけでも見る価値はある。15年以上前のドラマだとは、とてもじゃないけど思えない。

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