今日、なにを食べる?
こころとからだの栄養になる、おいしい食べもの!
それは家族が作ったごはん。友達が育てた野菜。地元の小さなお店のお菓子。
街は食べものであふれているけれど、
本当にこころとからだが喜ぶような食べものってどんなものでしょうか?
みんなが人参やピーマンが苦手…っていうのと同じように、
私は小さいころからお肉やお魚が苦手でした。
でも、栄養になるから食べなさい、好き嫌いはいけないよって周りに言われてトレーニングして、
やっと一通り食べられるようになった大学生のとき、私は世界へ旅に出ました。
自分の健康や環境のため、そして動物のため…
いろいろな想いからお肉やお魚、乳製品を食べないことをポジティブにとらえている人たちがいました。
そんな彼らが、ベジタリアンやヴィーガン、あるいはフルータリアン、そしてフレキシタリアン!
だから、私も彼らと同じようにポジティブにとらえたいと思いました。
それが無理もしないし、我慢もしない、
自分にも世界にも優しい、心地の良い食べ方になりました。
それはそれは大きな考え方の転換だったけれど、
自分をヴィーガンだと言って実践していく中で、人と食べることが好きだったのに嫌になってしまいました。
人に説明するのは疲れるし、外に行ったら自分の意思だけで選べないことも多いから辛い。
食べるということは自分だけのことではなく、
人との関係性の中でのことだったんだと、改めて気づかされました。
(みんながヴィーガンだったらいいのに!なんてね)
さらには、自分がヴィーガンだと言うことは、
自分と相手を分断して、相手を遠回しに否定しているような気持ちになり、
どこか暴力的だとさえ感じるようになりました。
また、どこを探したって正解の食べ方はないから、
これからも考え続けたい、ヴィーガンを答えにしたくないという思いもあり……。
だって、ヴィーガンということだけじゃなくて、
過度に加工されていないことや有機か低農薬で育ったこと、
フェアに取引されたことや栄養のバランスがとれていることも、大切だと思うから。
常にもやもやしていました。
そんな中で、だんだんとヴィーガンから、
いただいたもの、つくってくれたもの、出されたものについては動物性のものも食べるようになりました。
でも、私は知っています。
そういう食べ方は自分に嘘をついている。
食べる自分を許しているつもりでも実際は許せていないから、食べた後は絶対後悔する。
こころもからだも喜んでいないし、結局私にとっては気持ちの良い食べ方ではないのです。
そんなところからは早く脱出したほうがいいけれど、
ヴィーガンに戻っても、前と同じもやもやの中をぐるぐるするだけ。
だから、新しい食べ方やとらえ方を自分でつくるしかない!
……と、今はそんなふうに思っています。
じゃあ、今日はなに食べる?
自分と食べものの心地の良いつながりを築いていく旅は、これからも続く。
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