七月大歌舞伎 昼の部「菊宴月白浪(きくのえんつきのしらなみ)」
一幕見
この六月から歌舞伎座で復活した一幕見席をオンラインで購入してみました。
7月の昼の部「菊宴月白浪」は3幕に分かれていて、
1、2幕目は各1,300円で、3幕目は1,400円。
話題の中車さんの“両宙乗り”を観ることができる3幕目は
若干料金も上がるようです。
そして、インターネットでは、あっという間の完売でした。
さて、ドキドキの当日、一幕見席専用のエレベーターに乗り込むと、
4階へ直行となっていて、到着すると反対側のドアが開き、
ここでもあたふたする私。
海外客の方が多く利用しているようで、賢い利用方法だなと関心しました。
しかし、「菊宴月白浪」は“仮名手本忠臣蔵”の後日譚で、
忠臣蔵になじみのない世代には難しい演目では?と聞いています。
ましてや海外の方々はどんなふうに楽しめるのかなと、心配したりして。
3幕目だったら、理屈をすっ飛ばすような大活劇なので十分楽しめるのだけど。
かくいう私は、1~3幕を全部購入(東側、上手)。
それをするくらいだったら、3階席を買えばいいのだけど、
まずは4階席体験です。
思ったよりも多くが見渡せて、解放感もありました。
オペラグラスが必須だと聞いていたのに準備ができなかったので、
自宅にあった高性能の双眼鏡(重いやつ)を持ち込みました。
おかげで細部は良く見えました。
上から見下ろすような状態なので、
回り舞台の中央の道具部分が見えてしまうのが面白かったし、
覚悟していた“見切れ”についてはそんなに嘆くほどではありませんでした。花道で役者さんたちが見得を切るのは、 七三の部分(舞台から三分、揚げ幕から七分の場所)で、それはギリギリで観ることができましたから。
唯一、残念だったのは、主人公 斧定九郎の妻、加古川が
亡霊となって現れる場面が舞台の奥であるため、
ことごとく足先しか見えなかったことでした。
舞台背景の大スクリーンいっぱいに映し出される花火の演出に感激するも、さらに亡霊加古川が美しい姿で現れ、宙を浮遊し(!)、
夫定九郎を助けるというシーンはその時は何が起こっているのか、
見えないのでわかりにくかったです。
“仮名手本忠臣蔵”になじみの薄い私なので、
随所にちりばめられているという、
忠臣蔵の名シーンや名せりふの「もじり」が味わい尽くせないのが
つらい所。
この辺については、今後さらに歌舞伎の世界を楽しみつつ、
多くのことに通じていけるようになりたいです。
気になる視点その1…人柄が急変
主人公 斧定九郎に仕えていて、塩谷側の人間だった与五郎さん。
しかし、自分は敵対する高野家の血筋を引いていたのだ…という
出生の秘密を知るとじわじわと豹変、
仕えていた女主人加古川を殺して
塩谷家の家宝“花筐(はながたみ)の短刀”を奪い去るという強行に及びます。
後は、直助と名を変えて、斧定九郎の敵となるのです。
筋立てとしては、こうでないと成り立たないのですけれど、
この与五郎さんの登場時の善人ぶりからは考えられないほどの
変わりようで、こうなるだけの深い裏事情でもあるのかなぁと
推測するしかありません。
気になる視点その2…“実は”が話を盛り立てる
塩谷家で仕えていた与五郎→実は高野師直の“落としだね”
とは逆のパターンで、
高野家で仕えていた仏権兵衛→実は塩谷側の主人公“斧定九郎の双子の兄弟”というのもあります。
おかげで仏権兵衛は
塩谷家の血を引く子供を身ごもったという理由で妹を殺すは、
自分の素性を知って今度は高野家の再興を阻止しつつ、
自らの命を絶つは、と大変です。
気になる視点その3…加古川さん、それでいいの?
私がこのお話で一番引っかかっていたのが、
斧定九郎の妻、加古川のあり様でした。
妻として公な立場でもないし、病にも附しているという、
すでに幸薄い様子の加古川さん、
仕えてくれていた与五郎には斬殺され、
今度は幽霊となって夫斧定九郎のもとに現れると、
その夫に切りつけられてしまいます。
妻への愛よりも忠義を尊ぶ、定九郎。
そんなことをされながらも、
実は夫の難儀を助けるために現れた加古川でした。
自分の死骸の血潮を提供して、主君の体を回復させるのです。
その上、追手に追われる身の斧定九郎を亡霊の身を呈して
加護するという献身ぶり。
愛されるよりも、愛することに一生をささげた女性なのですね。
一方、定九郎には、おかるという
操を立てて定九郎との再開を願っているという女性の存在が!
ちょっと、ひどくない?
気になる視点その4…宙乗り
今回の演目では、
花道の頭上を大凧に張り付いた定九郎が西側三階席の鳥屋まで飛翔し、
今度は東側にも設置されている鳥屋から舞台に向かって降りていくという、趣向を凝らした両宙乗りが大きな見せ場となっています。
私は、4階席の一番東側で鳥屋の真横近くの席だったので、
中車さんが凧に乗って飛び出して行ったあと、
鳥屋の中からスタッフさんたちの慌ただしい様子などが
漏れ聞こえてきて舞台裏をのぞいているような感じが楽しめました。
ところで、私が初めて歌舞伎を観たのは1983年(昭和58年)
京都南座でした。
演目は『當世流小栗半官』。
三代目市川猿之助さんによって初演されたものです。
私は若干23歳、九州から南座まで足を運び、
贅沢にも桟敷席で鑑賞したという貴重な思い出なのですが、
その時も三代目猿之助さんの天馬に乗っての宙乗りを観たのです。
四代目は当時七歳、亀次郎を襲名したばかりのころだそうです。
その四代目に代わって今回宙を飛んだ中車さん、
初めての歌舞伎=宙乗り=澤瀉屋とつながり、
個人的にも感慨深いものがありました。
“おもだかや”と書かれた、
たくさんの和傘に包まれるようにして見得を切る中車さんから、
「何が起こってもおかしくない人生を我々は生きていくんだ、負けずにみんなで乗り越えていきましょう!」
という覚悟やエールを受け取りました。
一陽来復
劇場は夏祭りの雰囲気いっぱいで、
季節感を味わいつつ舞台を楽しむことができます。
生の歌舞伎の良い所ですね。
大好きな役者さんたちも増えてきました。
今回の楽しみの一つは中村壱太郎さんのおかるさん。
役柄としても、役者としても、頼もしい存在です。
ご本人を舞台で初めて拝見できるとあって、
とても楽しみにしていました。
ここというところに現れて、場を引き締める、男前の女形。
これからの活躍も楽しみです。
「一陽来復」
斧定九郎が凧から振り落とされた後、
パラシュートよろしく開いた和傘に書かれていた文字でした。
この演出に感動を覚えた人も多いのではないでしょうか?
冬が終わり春が来ることを願い、
万感の思いで、『昼の部、これぎりー』
の口上を聞いて幕となりました。
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