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🎥シネマ歌舞伎「高野聖」を観ました
2023年10月24日
MOVIX柏の葉 にて
作品概要
歌舞伎としての上演は、2011年(平成23年)2月、
博多座においてです。
シネマ歌舞伎として上映されたのはその翌年。
このシネマ歌舞伎作品のために、
博多座の舞台上で全編を新しく撮り直し、
リアルなロケシーンも加えて、
舞台と映画が今までになく混然一体となった、
新感覚のシネマ歌舞伎となりました。
もちろん、演出や編集には坂東玉三郎さんが携わっておられます。
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高野聖
小説家 泉鏡花の生誕150周年を記念して、
坂東玉三郎が演じる、泉鏡花の4作品が
シネマ歌舞伎で上映されました。
「高野聖」はその第二段目になります。
高野聖とは、高野山から伝道のために、
諸国を廻って歩く僧侶のこと。
のちに六明寺の大和尚になる宗朝が
若かりし日の、修行僧であった時のお話です。
この僧を演じるのは、中村獅童さん。
飛騨(岐阜県)から信州(長野県)に抜ける山道、
分かれ道の前で
地図を広げて迷っている宗朝でしたが、
村人が親切に進むべき方向を教えてくれます。
しかし、一足先に行ってはいけない方の道を選んだ
薬売りの男のことが気になり、
彼を追いかける気持ちで、
禁じられた山道に足を踏み入れてしまうところから、
宗朝は摩訶不思議な体験をすることとなるのです。
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山家
苦手な蛇や虫など薄気味悪い者たちに脅かされつつ、
暑さにあえぎながらの険しい山道は苦難の連続です。
しまいには、巨大な山ヒルの巣窟に遭遇して、
散々な目に遇う宗朝。
ここは実際に外で撮影された部分になっており、
歌舞伎の舞台では観ることのできない演出で新鮮でした。
その時どこからともなく馬のいななきが聞こえて・・・
命からがら一軒の民家にたどり着くことができるのです。
この恐ろしい山の描写は、
人間が立ち入ってはいけない神聖な場所であるゆえのことなのか。
短慮な考えから早道と決め込んで、
うかうかとこの道を選んだ薬売りの男と違い、
この男を見捨てることができかねて
この道に進んだ宗朝でも、
山神様は許してくれないんだな。
けれど、この山道こそが一軒の山家へおびき寄せられる
罠なのでありました。
心身ともに疲弊しきった宗朝は、
家の主に馬屋のすみでもよいから泊めてほしいと懇願します。
この山家に住むのは二人。
手も足も萎えて座ってばかりの、
子供がそのまま大きくなったような太鼓腹の白痴の次郎と、
こんな山奥には不相応なほどの美しい婦人。
魔性を秘めたこの謎多い美女を玉三郎さんが非常に魅惑的に演じます。
泉鏡花の中のせりふには、音楽のようにすべやかなリズムがあります。
まだ若くて未熟な宗朝の寡黙な様子に対して、
女のそつのない話しぶり、声の調子が
見た目の美しさを引き立たせるように感じます。
『お泊め申すとなりましたら、あの、
他生の縁とやらでござんす、
あなたご遠慮を遊ばしますなよ。』
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谷川にて
人里離れた山奥に、白痴で身動きもままならない青年と、
美しい女房が住まう不可思議。
もうこれだけですっかり、鏡花の世界です。
それから、女を“お嬢”と呼ぶ親仁も登場して、
何くれとなくこの二人の世話を焼くようです。
この親仁役は中村歌六さん。
さて、旅の汚れや全身ヒルだらけになった気味の悪さを拭いたさで、
女の同行で谷川まで水浴に行くことになります。
が、その途中、ひきがえるやコウモリ
ついには猿まで現れ出て女にまとわりつくのです。
『お客様がいらっしゃるではないかね!』
と形相険しく不機嫌にはねつける女は
人を寄せつけないような怖い様子となって、
その時ばかりは若い僧侶はおずおずと縮こまるばかり。
しかしすぐさま気さくな感じにも戻る女は、
今度は姉か母親になったかのように、
谷川の水の中で宗朝の体を撫で洗うのでした。
女の手には不思議な霊力があるのか、
ヒルに吸いつかれ痛んでいた傷口もみるみる回復していくようです。
すっかり、心地よく、うとうとする内に
気がつけばいつのまにか裸体になった女が背後に迫ってきている。
仰天して、早々に水中から逃げ出す宗朝。
『いいえ、誰も見ておりませんよ』
『毎日、二度も三度も来てはこうやって汗を流します』
と女は澄ましたもの。
とどのつまり、女の掌の上で
魅惑、誘惑、翻弄されている若い僧侶であります。
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白桃の花
おおかた、察しの通り、女の周りに現れる獣たちは、
女に姿を変えられた何人もの男たちなのでした。
たいていの場合、女の誘惑に抗えず、
又はいやらしい本性をむき出しにして、
その場で姿を変えられるか、しばらくは懇ろに過ごした挙句、
飽きられて姿を変えられるかしたようです。
馬屋でしきりに暴れていた馬も、あの薬売りの男なのでした。
親仁に引かれて行き、市で売られて、
女の大好物だという鯉の代価となったという哀れさです。
さて、谷川から上がって、
すっかりドギマギする宗朝でしたが、
そんな様子も女には好ましかったのでしょう。
ふと、川に落ちて
『川下に流れて出ましたら、村の者が何と言って見ましょうね』
と言うのに対して、
『白桃の花だと思います』と実直に答える宗朝。
女は嬉しそうに初々しい恥じらいをもって微笑むのです。
男の純粋さ、心にシミ汚れのない様子などに心を動かされ、
またこんな朴訥とした賛美に嬉しさが湧き上がる、
そんな自分に少し驚いたほどではなかったろうか。
夕食の後、宗朝は、
このようにさみしい山家の中、
親身に次郎の世話を焼いている女の日常に感動を覚えて、
思わず落涙してしまいます。
涙の理由は言わなくとも
『あなたはほんとうにお優しい』と女は
宗朝の心根に感じ入るのでした。
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迷い
じわじわと女に心惹かれていく宗朝ですが、
その夜、家の外に魑魅魍魎のうごめく気配を感じます。
そして『今夜はお客があるよ』とそれらをいさめるような女の声。
やがて家がグラグラと揺れだして、
恐れのあまり経文の呪文を一心に唱えて、
悪霊退散を祈願する一晩を過ごします。
翌朝、このような様々な体験をした家を離れて、
再び旅に向かう宗朝でしたが、
考えれば考えるほど女の孤独さが哀れに思えてくる。
『どこぞで白桃の花が流れるのをご覧になったら、
私の体が谷川に沈んで、ちぎれちぎれになったと思って』と、
別れ際に名残惜し気に話した女の言葉も宗朝の
後ろ髪を引くようで、足が進みません。
自分の仏道さえ、意味のないものに思われてきて、
思い切って女のところに戻ろうとしたとき、
馬を売って戻ってきた親仁に声をかけられます。
すべてを見抜いているこの親仁、
若い僧の煩悩を言い当てて、
女の正体を教えてくれます。
『妄念は起こさずに早うここを退かっしゃい、
助けられたのが不思議なくらい、
嬢様別してのお情けじゃわ、生命冥加な、
お若いの、きっと修行をさっしゃりませ。』
とポンと背中をたたかれて、
正気を戻す宗朝でした。
本の中では、魂が身に戻ったという表現がされていますが、
まさにそれですね。
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不思議な世界ではあるけれども、どこか美しく懐かしく、
おとぎ話のような魅力を感じる作品。
歌舞伎としての形もほとんど見られない。
歌舞伎なのか、現代劇なのか、
境目のないあいまいさが泉鏡花の世界を写すに似つかわしい。
そして何より坂東玉三郎さんから発散されるオーラが
この作品の命だろう。
危機一髪、魔境から生還した宗朝も、
やはり何がしかに守られていたに違いなく、
しかし女との交流の中の真実は、
生涯にわたってこの僧の心の片隅で密かにたゆとい続けることだろう。
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