SNS企業の権力行使と、ロマンを抱き続ける大変さ
Twitter社買収から明らかになった表現空間の現実
イーロン・マスクによるTwitter買収から始まった数々の改革は、世界でも知らない人がいないほどの大ニュースだ。
中でも私が衝撃を受けたのは、Twitterが組織ぐるみでタイムライン上に流れるツイートを特定の方向に操作していたことである。
私が大学生だった頃、インターネットサービスは自由の象徴で、このような情報統制について徹底的に反抗する存在だった。
しかし、社会インフラとなりある種の権力を持つようになると、最終的にはこのような恣意的な介入を行うようになるのだなと思い知った。
ネット民はとにかくオールドメディアを批判しがちだが、媒体の問題ではなくて「権力は腐敗する」とか「公共性を持つ組織は社会的責任を負う」という普遍的な問題なのだ。「新しい表現の場」というのはなまもので、期間限定でしか存在し得ない。
もちろん、イーロン・マスクはこの実態を知っていて、改善の余地ありと考えて買収したのだろう。
「偏りのない報道」というのは理念としては美しいが、実際にはなんらかの偏りは避けられない。事実だけを淡々と報道するだけでも「どのニュースを取り上げないのか」とか「どの順番で報道するのか」といった面で方針が滲み出てしまう。
SNSによってやってくる自由な社会という私の学生時代のロマンは、この出来事によって完全に打ち砕かれた。
よくよく見ると、クレジットカード会社経由の規約変更により表現規制の問題が顕在化している。
かつて自由を謳歌していた新興メディアが、年季が入っていくうちに規制が厳しくなり、自分達が批判していたオールドメディアに近づいていく。
若者が年上の人間を老害呼ばわりするのと構図が似てるなぁなんて思いながら眺めていた。
オンラインを通じた保険の可能性
さて、ロマンが壊れたついでにもう一つ言及しておこう。私は以前に PtoP保険について書いたことがある。
ふんわりした希望論だったが、あらためて今の頭で考察してみたい。
PtoP保険の可能性が論じられるようになったのは、ブロックチェーンやAIといった技術により見ず知らずの人間の集合体でも不正が検知できるようになったからだ。
しかし、ここで一つ乗り越えなければいけない問題がある。反社の人間が紛れ込んできたときにどうするかだ。
彼らは最初からアウトローな存在なので、お金の繋がりを持っているだけで社会的にはアウトである。しかも不正を働いてそれが検知できたとしても、最初から法律の外側にいる人間なので罰則を与えるのは困難を極める。
不正を働いても発覚するのが翌日であれば、その1日の間にお金を持ち逃げして、なんなら海外送金などを介してお金の行き先を不明にしてしまえる。そこから飛び去ったお金のありかを突き止めて取り戻すには途方もない労力がかかるだろう。
不正検知と罰則はセットになってはじめて抑止力が機能するのである。
生命保険会社が膨大な労力を費やして加入時と支払い時に不正防止策を講じているのはこういう背景があるからだ。
こちらの記事では請求の基となる診断書を加入者集団内で共有して異議申し立て可能にする制度や、保険料後払などの斬新な例が紹介されている。しかし、不正防止に最も威力を発揮しているのは、「動くお金の小ささ」ではないだろうか。
悪いことを企む人間が、狙う気を抱かないほど少額であれば、門戸を広く開いても問題ないという考えである。
個人的には是非ともキャズムを超えて保険の世界を大きく変えてほしいと思っているが、一方で規模が大きくなったときの不正との戦いも懸念される。
大人になると、こんな風についついつまらない現実論を考えてしまう。歳をとりつつロマンを抱き続けるのも一苦労である。
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