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Concentration

WorldCup 2022 Final

「あれがファールなのか?」とその表情が語っているように見えた。

2‐0で迎えた後半、ペナルティ・エリア内でゴールへとボールを運ぶ相手の体を、腕で遮りながら食らいついたアルゼンチンの選手。

「俺はボールを追っていただけだ!腕で体を遮ったのはボールを追う為だ!体じゃない!ボールを追ってたんだ!いつもやってる事だぜ?遮りもせずに追えってのか?」と。

女性に言い寄りながら“体が目的じゃない”と言ってるようなものだが、彼の目的は本当に体じゃなかったんだろう。

エムバペが落ち着いてPKを決める。
その直後にもう1点、一瞬フワッと浮いたボールの落下点を見事にとらえたボレーシュートで追加したのもエムバペ。

2‐2の同点となりフランスが完全に息を吹き返したターニングポイントは、あのファールからだったと思う。
それまで、ボールに猛然とチャージしていくアルゼンチンの若い力が躍動するのをフランスはただ見ているだけのように映った。
“考える脚”のように。

2‐2で90分を終えた延長戦後半、ギリギリオフサイドにならない位置からゴールまでボールを繋いだアルゼンチン。
キーパーに弾き返されたボールをこれまた弾き返してゴールラインの向こうに押し込んだのはゼッケン10番だった。

今度こそ決まった!と思いきや、勝利の女神は余程チリ産でもない、ドイツ産でもない、イタリア産でも、ましてアルゼンチン産でもないワインがお好きらしい。

またもペナルティ・エリア内。
フランス選手がゴールめがけて蹴ったボールが偶然アルゼンチン選手の肘に当たった。
明らかなハンド。
またPKだ。

エムバペが勢いよく決める。
これで3‐3、またも同点。

前半から後半20分くらいまで、流れは完全にアルゼンチンだった。
前半40分過ぎに選手を2人も入れ替えたり、後半10数分経過した所で攻撃の司令塔だったグリーズマンを替えたりと、そのベンチワークの目まぐるしさがフランスの焦りを表しているようだった。

グリーズマンを替えたのには驚いた。
まるでエムバペが機能しないのはお前のせいだ、と言ってるみたいだ。
事実だったかも知れないが、そこの所はよくわからない。

後半20分頃の、あの“体が目的だったわけじゃない!”のファールから流れがフランスに向いた。
延長後半ラスト、エムバペが疾風のようにアルゼンチンのペナルティ・エリア内に切り込んだのをアルゼンチンが辛くもサイド・ラインの向こうへクリアした所で笛が鳴った。

またかぇ・・・という思いが過る。
ワールドカップの決勝はPKでやるという決まりでもあるんだろうか?
ロシアン・ルーレットみたいで何だかあまり好きではない。

トップバッターのエムバペが勢いよく決めると、次にアルゼンチンのゼッケン10番がボールを厳かに芝の上に置く。
同じく決勝のPKで大きくふかしてしまったバッジオや、試合中のPKを外してしまって頭を抱えるジーコの姿が思い浮かぶ。

だが、この男は違った。
ここで全てが決まる、というこの場面でも、いつものように、いつもと同じく落ち着いて相手キーパーの動きを見極めながら、見事にタイミングを外して決めてみせた。

軽やかに、羽のようなタッチで。

ボールを芝に置く時の深刻な顔つきからは考えられない、完全に脱力してリラックスした形でゴールを決めた。

蹴る前に、彼の中では全て終わっているのだろう。
集中力。
それを発揮する事が全てであり、試合中もそれ以外の時も、普段からそれを切らす事がない。

だからこそ、そこに若い選手が多いアルゼンチンの雑草のような粗削りの“若い力”を結集させる事ができた。

試合後半、それまで自分たちのものだった流れが完全にフランスにいってしまった事に焦れてファールしてしまうほど、その若さ故にいつ自滅してしまってもおかしくない中、それでもアルゼンチンの“若い力”は一つの焦点に向かって絞られた事で救われた、と感じる。

“For the HIM”
彼を活かすサッカーをする事。
それはすなわち、サッカーをどこまでも愛する事、なのではないか。

誰かが言っていた。
「世界で一番ボールと友達になれる男」と。

その集中力は、勝利の女神をも振り向かせた。
PKでPKを勝ち取ったフランスは、勝ち取ったそのPKで敗れた。

試合後、女神にさえ愛されたアルゼンチンのゼッケン10番は、チームメートに、そして会場を埋め尽くし地鳴りのような歓声と歌声を響かせたサポーターに、思いっ切りな笑顔をみせた。

“やっとマラドーナの呪縛から解放されたよ”、とでも言ってるように。

集中力。

それが間延びして薄められるとこういう試合になるのか、と思ったのは約1週間前、12月の13日である。

井上尚弥 vs ポール・バトラー 2022.12.13     (世界バンタム級4大タイトル統一戦)

仕事が忙しかったり、体調が思わしくなかったりで結局書くタイミングを逸してしまっていたが、ついで、といっては申し訳ないけれどここに記させていただきたい。

その前にまず配信だが、今回dTV/ひかりTVが配信した。
前回のドネア戦に引き続き、と思っていた私は(なんでだ?なんでアマゾン負けたんだ?)と少なからずショックを覚え、調べてみたのだが。

最初、リストラや倉庫での労働環境の悪さが話題になった事もあってアマゾン、金出せなくなったか、と思ったが真相は金をいくら積んでも駄目、という事だったようだ。

ナオヤ・イノウエは2018年からひかりTVとメイン・スポンサー契約を結んでいる。

その映像配信サービス・ひかりTVを提供するNTTぷららが今年7月に、NTTドコモと合併、ドコモがナオヤ・イノウエのメインスポンサーになったらしい。

アマゾン・プライムでの成功を見て、ドル箱だと思ったからNTTぷららと合併したわけではあるまい。今後もナオヤ・イノウエの試合はdTVで配信されるそうだが、ボクシングというマイナースポーツがドル箱になるのはナオヤ・イノウエだからであって、イノウエ以外の選手のボクシングを観たいか、といえば微妙な気がする。(私自身は見たいが)

いつまで配信が続くか、注視していきたい。

ところでジミー・レノンJrは今回もちゃっかりリングアナをつとめてた。
若干コールしてる時間が長くなってると感じる。
人間の集中力は美声だけでそう引っ張れるものではない。
もうちょっと短めに簡潔にコールしてもらいたいものだ。

そのうち抗議の手紙を出そうと思う。

“世の中は不公平だ。
でも私はあなたの声で戦いの時が来たと告げられるのを聞くのが大好きだ“
と。

さてナオヤ・イノウエである。
自分のモチベーションに正直な男だ、と思った。

前回のノニト・ドネア戦が濃厚で極上のエスプレッソなら、今回のポール・バトラー戦はとてつもなく薄められたトリプル・アメリカンなコーヒー、というよりコーヒー風味の白湯、といった所だろうか。

別に凡戦でもなくいい試合だったと思うし、パール・バトラーはいいボクサーだと思った。
“亀の子”作戦、などと揶揄されていたが、バトラーはブロックしたまま固まっていたわけではない。

ブロックしている腕を動かしながら、タイミングをみて腰の位置を上に下にと変えていたし、何より足を動かす事でブロッキングをコントロールしていた。ちゃんと足を使ってブロックするという動作を制御していたのだ。

そして時折、ほんの時折だがパンチも返していたし、何発かイノウエにクリーンヒットさせていた。
イノウエが集中力を切らしていた時だけだが。

それもコンビネーションに繋げられず単発だがら、イノウエにはほぼノーダメージだったと思う。

バトラーはボクシングという競技を懸命にやろうとしていた。
ナオヤ・イノウエは、ボクシングというダンスを踊った。

集中力を高めた状態のイノウエにバトラーがパンチを放った時、放ち始めの段階で既にイノウエの姿はその軌道上から消えていた。

左右どちらの腕に意識が向いていて、拳の位置がここで肘の角度がこうならくりだせるパンチの軌道は何種類ぐらいで、首から肩の筋肉のどの部分が動けばどの軌道でパンチが来るか、全部瞬時に見切って、相手がパンチをくりだした瞬間もうそこにはいない、という風にかわしてるんだろうか、この男は?

と思った。

4R過ぎてから遊び出した彼がロイ・ジョーンズ・Jrの真似するのを、実際に現地で観戦した人達が楽しめたのならそれでいい。
批評は身銭を切った人達のものだ。

SRS席が22万円、プレミアムチェア付きRS席18万7千円、RS席16万5千円、
指定席が7万7千円から一番安いので1万1千円。
(2万2千円の椅子ってどんな椅子や?)

11Rもイノウエが動くところを見られたのだから、大方は満足して帰路についたのではないだろうか?

イノウエが観客向けのパフォーマンスとも思えるバトラーに“打ってこい”と言わんばかりのノーガードを再三魅せたのは、こうしたチケット代金が頭をかすめたからではないと思う。

集中力を保つ為だったのではないか。

リスクを負って真剣に遊ばないと集中力(あるいはモチベーション)の保ちどころが無かったからではないだろうか。

そんな風に感じた。

11R開始のゴング前、自分のコーナーで狂乱のダンス・パフォーマンスを演じたのも、集中力、あるいはモチベーションを高める為であり、その11Rでバトラーを仕留めたわけだが、逆に言うとそれまでは簡単に仕留められないほどバトラーが防御に徹していたという事だ。

という事は、イノウエのモチベーションは相手のモチベーションに左右されるという事で、彼の集中力はモチベーションによって上下する。

それがナオヤ・イノウエの唯一の弱点のように思えた。
そんな感想を持った試合だった。

サッカーならボールと友達になる事で、その友情を通してサッカーを愛する事ができるだろう。
だが、ボクサーがボクシングを愛する事なんてできるのだろうか?
ボクシング・グローブと友達になる、などという表現は聞いた事がない。
グローブは友達ではない。
人を殴る為の道具だ。

殴る相手に劇的なダメージを与えない為に、相手を保護する道具だ。
保護しながらその相手を殴る、という何ともいえないパラドックスを抱えた競技に愛するという概念は抱きにくい。
だから集中力とモチベーションを戦う相手の中に見出すしかないのではないか。

競馬のレースに返し馬というプロセスがある。
パドックから本馬場へ入場した出走馬達が、スタート地点めがけて気持ちよさそうに走るレース直前のあの時間だ。
もしかしたらサラブレット達が唯一、純粋に走る事を楽しめる時間かも知れない。

その返し馬で馬達は思い切り走った後に止まる。
その止まる瞬間、ピタリと止まれる馬と何歩か並足でバタバタ走って止まる馬がいる。
走る馬は、たいていピタリと止まれる傾向にある。
(あくまで傾向である。並足で止まる馬でも強い馬はいる)

ピタリと止まれる理由について、ある調教助手が何かの競馬のビデオ・インタビューで話していた事がある。

「集中しているからですよ。走る事に集中している馬はピタッと止まる事ができる。惰性で走っている馬はだから止まる時も惰性で止まるんです」

それまで気持ちよさそうに走っていた馬が突然、ピタッと止まってあたり見回す。
その姿を見るのが好きだ。
美しいと感じる。
その佇まいが。

ナオヤ・イノウエもそれに似た美しい佇まいを持っている。
それまで激しくパンチを繰り出していても、ゴングが鳴った瞬間ピタリと打つのをやめ、自分のコーナーへと戻っていく。
どんなにパンチを出しかけた状態でも、そのパンチを出しさえすれば間違いなく相手を沈められただろうという時でも、ゴングが鳴った瞬間にピタリと止まる。

バトラー戦ではゴングが鳴った後、パンチを見舞いバトラーにヒットさせていた場面が何回か見られた。

老いによる衰えはまず集中力がなくなるという現象となって現れるという。
現在29歳。

モチベーションの低さゆえだったと思いたい。


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