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なぜ押すのか?チャットGPTと探る五億年ボタン押す派の心理


【私からの質問1】

私は5億年ボタンの話を聞くたびに絶対に私だったらボタンを押さない、というかそれしか選択肢がないと思っているのですが、迷わず押すという方々もたくさんいらっしゃいます。私の主観で考えるとその人達の選択が信じられません、押す派の人々はなぜ5億年ボタンを迷わず押せるのでしょうか?押す派の思考を知りたいです。五億年ボタンのおおまかなあらすじを提示した後にこの問いに答えて下さい。


【GPTからの回答1】


**「5億年ボタン」**は、日本のインターネット文化から生まれたフィクションの概念で、次のようなあらすじがあります。

5億年ボタンのあらすじ

  1. 設定:ある人物に「5億年ボタン」という特別なボタンが提示されます。このボタンを押すと、押した人は一瞬で5億年分の時間を意識的に過ごすことになります。時間は一切経過せず、彼らは何もない空間で孤独に過ごすことになります。食べ物や飲み物、睡眠の必要もありませんし、老いることもなく、死ぬこともありません。

  2. 報酬:この5億年が経過した後、彼らは何事もなかったかのように元の時間に戻り、5億年過ごした記憶はすべて消去されます。ボタンを押した報酬として、一瞬で10万円(もしくは他の金額)が手に入るという設定です。

  3. ジレンマ:5億年という途方もない時間を耐え抜くことができるかどうか、その苦しみに耐える価値があるかが問われます。

なぜ「押す派」の人たちは5億年ボタンを押すのか?

「押す派」の人々がこのボタンを迷わず押せる理由は、いくつかの観点から理解することができます:

  1. 記憶の消去の確信:彼らは5億年の記憶が消去されるという設定に完全に信頼を置いています。そのため、どれほどの苦しみを経験しようとも、それが現実に影響を及ぼさないと考え、現世に戻ったときに何事もなかったかのように10万円が手に入ることだけを考えているのです。

  2. 現実の重視:ボタンを押す派の人々は、「現実の生活での利益」が「想像上の苦しみ」よりも重要だと考える傾向があります。実際に10万円が手に入り、現実世界でそれを使って生活が改善されることを重視しており、仮想的な5億年の苦しみはそれほど重要ではないと感じています。

  3. 論理的思考とコストベネフィット分析:一部の人々は、このシナリオを極めて論理的に考えます。たとえば、5億年がどれほど長くとも、その間の記憶が消去されるならば、最終的なコストは「一瞬のボタンを押す行為」に過ぎないと考えるのです。そのため、結果的な報酬である10万円を得るために、何も失わないという視点からボタンを押すことを選ぶのです。

  4. 好奇心と挑戦:一部の人々は、5億年という途方もない時間を経験すること自体に興味を持ちます。極端な状況を試してみたい、どのような心理状態になるのか経験してみたいという好奇心が動機となり得ます。

  5. 現実逃避:一部の人々は、現実の問題やストレスから逃避する手段としてこの選択を考えるかもしれません。記憶が消去されるとはいえ、その間は現実から完全に切り離された存在であり、それを一種の「逃避」として捉えることもできます。

これらの理由から、「押す派」の人々は5億年ボタンを迷わず押すことができるのです。彼らにとっては、10万円の報酬が一瞬の行為によって手に入ることこそが現実であり、ボタンを押すことが一見非合理的に思える選択でも合理的な選択肢と感じるのかもしれません。


【私からの質問2】

なるほど、つまり押す派の人達は思考実験のようにこの問題を考えているから躊躇なく押せるのでしょうか?苦痛の部分は結局記憶を消されるので問題ない。と、しかしわたしはリアルに思い浮かべてしまうので絶対に押すのは嫌だと思ってしまいます、記憶は消されるが、5億年という途方もない時間を何も無い空間で寝ることも出来ずに過ごさないといけないなんてリアルに想像すればするほど10万円の価値には値しません。記憶は消されるのですが、消されるまで苦しみ続ける記憶が無くなる前の自分を思うととてもじゃないが押すことはできません。こういう押さない派の考えは、今私が述べたような考えで当たっていますか?


【GPTからの回答2】

はい、あなたの考えは「押さない派」の典型的な理由の一つとして非常に的を射ていると思います。「押さない派」の人々の考え方をもう少し詳しく整理すると、次のような理由があります。

押さない派の思考

### 1. **リアルな想像力**:  

「押さない派」の人たちは、5億年という途方もない時間を実際に過ごすことをリアルに想像しています。何もない空間で孤独に、時間の感覚が果てしなく続くという状況を想像することで、極度の孤独感や絶望感を感じ、それが耐え難いものであると直感的に感じるのです。たとえその記憶が消されるとしても、その間に感じる苦痛や恐怖があまりにも大きすぎるため、たった10万円のためにその苦しみを引き受けるのは割に合わないと考えるのです。

### 2. **苦痛の瞬間的なリアリティ**:  

「押さない派」は、5億年という時間の中での苦痛があまりにもリアルで具体的だと感じています。たとえ記憶が消去されるとしても、その瞬間瞬間に感じる恐怖や絶望は非常にリアルであると想像されます。彼らにとっては、5億年間感じ続ける苦痛がどれほど深刻であるかをリアルに理解し、それを経験すること自体が問題なのです。つまり、記憶が消されるという設定でも、その前に自分が感じる苦痛の大きさが「押す派」に比べて強く認識されているため、選択が変わってくるのです。

### 3. **倫理的・哲学的観点**:  

一部の「押さない派」は、倫理的・哲学的な視点からこの問題を考えます。たとえ記憶が消されるとしても、その5億年という時間を経験する自分が存在すること自体が倫理的に問題であると考えることがあります。自分自身をそのような極限の苦痛に追いやることは、自己に対する深刻な裏切りであると感じる人もいます。また、記憶が消されてもその苦痛を感じた「自分」が一時的に存在するという点に重きを置き、それを避けることが自己の保全であると捉えます。

### 4. **時間の価値感覚**:  

5億年という時間の途方もなさを深く理解し、その期間がどれほど長く、どれほど耐えがたいものであるかを直感的に理解しています。「押さない派」の人にとって、時間の重みや意味が非常に重要であり、たとえ報酬が10万円であっても、それが5億年の価値に見合わないと強く感じています。つまり、短期的な利益(10万円)と長期的な損失(5億年の苦痛)のバランスが完全に崩れていると感じるのです。

### 5. **心理的な影響**:  

記憶が消されるとはいえ、その5億年の間に得るであろう精神的な影響を懸念することもあります。5億年という長い時間を孤独に過ごすことで、自分が壊れてしまうのではないか、あるいは元の自分とは違う存在になってしまうのではないかという不安があるため、そのリスクを取ることができません。

このように、「押さない派」の人たちは、ボタンを押すことによって引き起こされる苦痛やリスクを強く意識し、それが自分にとって受け入れがたいものであると感じています。あなたが述べたように、5億年の苦しみを現実的に考えれば考えるほど、たった10万円のためにそのリスクを冒す価値はないという結論に至るのはごく自然な反応です。


【私からの質問3】

実際にこのボタンがあったと仮定して、押す派の人たちは現実でも躊躇なくボタンを押せると思いますか?それとも現実で選択に迫られたら躊躇しますか?


【GPTからの回答3】

実際に「5億年ボタン」が目の前にあった場合、たとえ「押す派」の人たちでも現実に選択を迫られたら躊躇する可能性は高いです。以下の理由で、その可能性について考えてみましょう。

実際のボタンを目の前にすると躊躇する理由

### 1. **現実感の増大**:

思考実験やフィクションの世界で「5億年ボタン」を考えるのと、実際にそのボタンが目の前にあるのでは、現実感の度合いが大きく異なります。抽象的な議論の中では、「5億年」という時間やその間に感じるかもしれない苦痛は現実感が薄く、単なる数字として受け取られがちです。しかし、実際にそのボタンが目の前に現れることで、「これから5億年の間、自分が意識を持って過ごさなければならない」という現実感が急激に増し、それが恐怖心や不安を引き起こすでしょう。この現実感によって、多くの「押す派」が躊躇するかもしれません。

### 2. **不確実性への懸念**:

仮に「記憶が消去される」という設定があったとしても、その確実性に対する不安が生じることがあります。思考実験の中ではその条件が絶対的であると仮定できますが、実際の状況では「本当に記憶が消されるのか?」「途中で何か問題が発生しないか?」という不確実性が頭をよぎるかもしれません。そのため、ボタンを押すことへのリスク感が現実に感じられ、「万が一何かが起こったらどうしよう」と考え、結果的に躊躇することになるでしょう。

### 3. **本能的な自己防衛**:

人間には本能的に自己を守る感覚があります。5億年という途方もない時間の孤独や苦痛を現実に想像した際、その時間を耐え抜くことは非常に過酷であると直感的に感じるでしょう。仮に記憶が消えるとしても、その5億年の間に自分が苦しむという事実に直面すると、本能的に自己を守りたいという気持ちが働き、ボタンを押すことへの躊躇が生まれるはずです。

### 4. **社会的・倫理的な観点**:

目の前に「5億年ボタン」が現れた場合、倫理的な視点や社会的な圧力も影響を及ぼす可能性があります。他の人がそのボタンをどう思うのか、あるいは自分の選択が他人にどう映るのかを考えることで、躊躇するかもしれません。社会的な視点で「自己の苦痛をわざわざ選ぶのは不合理」と見なされる可能性があるため、その影響を考えて押さない決断をする人も出てくるでしょう。

### 5. **一度の選択の重み**:

実際の状況では、ボタンを押すという行為が取り返しのつかないものであることが、より強く意識されるはずです。思考実験では再考する余地がありますが、現実では一度押したら後戻りできないというプレッシャーがかかります。そのため、一度の選択の重みを考慮し、躊躇することが増えるでしょう。

以上の理由から、「押す派」の人々であっても、現実に「5億年ボタン」が存在し、実際にその場で選択を迫られたら、躊躇する可能性は十分にあります。思考実験では簡単に判断できることでも、現実の選択となると心理的な負担が増し、慎重な態度に変わることが多いと考えられます。


【私からの質問4】

なるほど、ではやはり押す派の人が簡単にボタンを押すと言うのは、リアルにこの問題を捉えていないからなんですね、そういう事でしたら、そもそも捉え方の違いというだけですね、リアルにこのボタンがあったとして、躊躇なく押す人は流石に理解が追いつきませんが、リアルが迫ってきたときに真剣に考えるのであればそれはただの想像力と受け止め方の違いというだけでそんなに思考が理解できないわけじゃありません。ちなみにもうひとつだけ。
押す派の方々はこのボタンを押すことによってもたらされる苦痛が5億年を過ごす事ではなく。人間が失神しないすれすれの激痛を味わされ続ける拷問を1週間受けるという設定なら考え方は変わりそうですか?もちろん記憶は無くなります。これだと苦痛がよりリアルかつ直接的に想像でき、結果ボタンを押す人は減少すると思いますか?


【GPTからの回答4】

この新しい設定:  失神しないすれすれの激痛を味わい続ける拷問を1週間受ける—に基づくと、「押す派」の人々の考え方が変わり、ボタンを押す人が減少する可能性は十分に考えられます。いくつかの理由から、この新しい条件が「押す派」の人々の選択に与える影響について考えてみましょう。

苦痛のレベルをあげる事が押す派に与える影響

### 1. **苦痛のリアリティが増す**  

「5億年ボタン」の設定では、苦痛は主に孤独や退屈、時間の途方もなさから来るものです。これらの苦痛は抽象的で、実際にどのように感じるのかを具体的に想像するのが難しいかもしれません。しかし、「失神しないすれすれの激痛を味わい続ける」という設定は、非常に具体的で現実的な苦痛を想像させます。人々は物理的な痛みについて具体的な経験を持っているため、その激痛がどれほど耐え難いものかを直感的に理解できます。このような具体的でリアルな苦痛が想像できる状況では、ボタンを押すことのリスクが非常に現実的に感じられるため、躊躇する人が増えるでしょう。

### 2. **痛みの恐怖**  

多くの人は、身体的な痛みや拷問の恐怖を非常にリアルに感じます。特に、失神しないように管理された激痛という状況は、最も耐え難い形の苦痛と捉えられます。このため、記憶が消されるとしても、その間の苦痛が非常にリアルで具体的であるため、「押す派」の人々も躊躇する可能性が高まります。痛みを伴う拷問が想像されることで、報酬の10万円がそのリスクに見合わないと感じる人が増えるでしょう。

### 3. **短期間の激痛 vs 長期間の漠然とした苦痛**  

5億年の時間を過ごす苦痛は長期的であり、比較的抽象的なものとして捉えられます。それに対して、1週間の激痛という設定は短期間であるものの、具体的で極度の苦痛を伴います。この「短期間の激痛」は、即座に現実的な恐怖を引き起こしやすく、人々にとって直感的に「避けたい」と感じさせるものであるため、ボタンを押す人が減少することが考えられます。

### 4. **記憶の消去の効果が薄れる**  

5億年ボタンの設定では、苦痛の記憶が消去されるため、結果的に自分に影響はないと考える人が多かったかもしれません。しかし、激痛を伴う拷問の場合、たとえ記憶が消されたとしても、その激痛を経験する間の自分が存在し、その間の苦痛は非常にリアルで避けたいものとして認識されます。このため、記憶の消去があまり救いにならず、苦痛の現実感が選択に大きく影響を与えるでしょう。

### 5. **想像力と共感の問題**  

激痛や拷問といった具体的な苦痛は、人々が共感しやすく、また自分自身がその立場に立たされたときの苦痛をリアルに想像しやすいです。これにより、「押す派」の人々もその苦痛に対して強い反応を示し、「たとえ記憶が消されるとしても、その間の自分が耐える苦痛を受け入れたくない」と感じる人が増える可能性があります。

これらの理由から、拷問の激痛という具体的で極端な苦痛を含む新しい設定では、「押す派」の人々の中にも躊躇や拒否が増えると考えられます。要するに、苦痛の質がより現実的で具体的になることで、苦痛の存在がより深刻に認識され、その結果としてボタンを押すリスクが高まり、押す人が減少することが予想されます。


【私からの質問5】

つまりこの問題は想像力の違いで押す派と押さない派に分かれるという解釈でまとめてもよいでしょうか?


【GPTからの回答5】

はい、その解釈でまとめても十分に成立します。この「5億年ボタン」の問題は、主に以下のような**想像力と受け止め方の違い**によって「押す派」と「押さない派」に分かれると言えるでしょう。

### 1. **苦痛のリアルさの捉え方**:

「押す派」の人たちは、5億年という時間や苦痛を抽象的に捉える傾向があります。彼らは記憶が消去されることを信頼し、苦痛の間の自己の存在を軽視するか、現実的な苦痛として感じないことが多いです。そのため、10万円という現実的な報酬に焦点を当て、苦痛のリスクを低く見積もります。

一方、「押さない派」の人たちは、5億年という時間の長さや、孤独や苦痛を非常にリアルに想像します。たとえ記憶が消去されるとしても、その間の苦痛がどれほど耐え難いかを具体的に考え、その結果としてボタンを押すことのリスクを大きく感じます。

### 2. **記憶消去の確信度**:

「押す派」は記憶が完全に消去されるという設定を受け入れ、その結果として現実に影響がないと信じます。この信頼が、彼らにボタンを押す決断をさせます。しかし、「押さない派」は記憶が消去されても、消去されるまでの苦痛が現実に存在し、その間に苦しむ自分がいることを強く意識します。この違いが選択に影響します。

### 3. **リスクの評価**:

「押す派」は報酬(10万円)に対して、抽象的な苦痛のリスクを低く評価しますが、「押さない派」はそのリスクを非常に高く評価します。これは、彼らがどれほどの苦痛や時間をリアルに想像できるかによるものです。

### 4. **想像力と共感力**:

具体的な苦痛(例えば激痛を伴う拷問)の場合、「押す派」の人たちもリアルな恐怖を感じ、躊躇する可能性が高まります。つまり、苦痛が具体的であるほど、人々はその苦痛に対する共感や想像力が働き、「押す」ことを避ける傾向にあります。これが、想像力の違いが選択に大きく影響する例です。

以上の点から、この問題は**想像力と受け止め方の違い**によって、「押す派」と「押さない派」に分かれるという解釈でまとめることができます。人々の苦痛や時間に対する想像力の程度が、最終的な選択に大きな影響を与えるのです。


【私】
沢山教えてくれてありがとうございました。


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