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心理的「絶対音感」:MUSEの伝言
音楽をやっている人で絶対音感というものを持っている人がいる。いつどんな状態でも楽器の正確な音階を歌う事・聴く事が出来る人の事だ。こんな人が身近にいたら、楽器のチューニングなんてものは必要なくなると思う。
ところがこの絶対音感を持っている人は、普段の生活が地獄のようなものだと聞いた事がある。日常で聞こえる生活音とか電車や車の車内でも聞こえる音がことごとく音階ー雑音に聞えてしまうらしい。
これは心理的にも当てはまるのではないかと思う。例えばニートの人とか精神疾患で様々な不安を抱えて立ち止まってしまっている人達は、仕事とか学業で動き回っている人とは持っている「音階」が違うのではないかと。
動き回ってやる事がある人と立ち止まっている人では音階が違うのは当たり前だ。動静の違いの他におカネのある人と無い人でも音階は違うだろう。
動き回っている人には、立ち止まるという事は癒しとか休息・自分を省みるという意味において必要なアクションだ。だが立ち止まってばかりいるとネガティブな心理が働いていることが多い。故におカネが無く引き篭もっている人の持っている音階は動き回って稼いでいる人・やりがいを持って何かを学んでいる人達とは根本から「音階」が違う。立ち止まっていると下手をすると生活音や天気の具合が快・不快の源になる。小生もそうだ。「動き回っている人・する事がある人」は生活音や天気の事など気にもならないだろう。孤立している人は「研ぎ澄まされている人」が多いと思う。
様々な意味で壁にぶち当たっている人は何かどこかずれているのだ。でもそれがアナタの絶対音感なんだと思う。絶対音感などど言わずにそれら壁にぶち当たっている人は何とかしてチューニングするか、アナタの絶対音感が身近な範囲だけであっても標準になって世の中が回るように・某かの音楽を奏でられるようにと自分への戒めと共に同志を想う。