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チベットの活仏制度

これまた随分前の事になる。ダライ・ラマが極秘入国していた頃・・・ってかそんな真偽すら解らないアヤシイ情報を知っている人がいるのかどうか。

 チベットには「活仏制度」という制度がある。「お釈迦様の生まれ変わり:活仏」であると認められた人物は一生涯の生活を保証されるのだが、国民にその一生涯を捧げて生きて行かなければならないそうだ。比較するのは畏れ多いかもしれないが、小さな天皇陛下のような扱いを受ける。と言えばいいかどうか。。。表現が不適切だったら謝罪します。

 その活仏に何の偶然で会合に潜り込んでしまったのか、話を聞く機会があった。あまりその会合の参加には乗り気では無く、サクラのつもりで参加していたのだが・・・「みんなで一つずつ活仏に質問してみましょう」という話題を司会者が切り出した。ふえ???何か話さなければならないというか何か質問しなければいけなくなってしまった。
 段々自分の番が回って来る。貧困に関する質問をしていた人が多かったような気がするが「ミーハー」な小生は舞い上がってしまって頭が真っ白だ。

 う・・・何も浮かばない。ついに自分の番が回って来た。
「(^◇^;)タ・・・タバコは止めた方がいいでしょうか?」身の上相談をしてしまった。活仏は優しく「お金があるんだね^^」とおっしゃった。

 確かに今、貧乏貧乏と連呼していても、タバコは吸っている。というかちょっとメンタル不調もあって現在「一服やる事」が何よりの楽しみなのだ。あとはここnoteの記事を考えたり書いている時は時を忘れる。

 サムネはその時活仏に同行していた修行僧の学生の方が下さった「黄色い布」確か幸福が授かる証だったと思うのだが、何か不憫に見えたのだろうか。この黄色い布を何故私だけにくれたのだろうか、未だに謎である。

自分はこういう人間なので・・・

 ちなみにチベットは政治的に色々と問題が存在していたようで、恐らくは共産党員と思われる方が同行していたと思う。会合が終わってうろうろしていたそれらしき人物に「可以、煙草?(タバコ吸わない?)」と言って煙草を差し出したら「不可以(結構です)」と言われたのだが、これは小生がこの50年以上の生涯で唯一会話が成立した中国語であり、中国で煙草を吸う時の作法であるようですよ。


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