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何もない、でもすべてある


明けましておめでとうございます。
2023年が始まってしまいました。

またも新しい年の始まりです。
気づけばエゴにまみれた人生が、年数的にはとっくに折り返しています。
何もなし遂げないまま、着実に死に向かって時間が流れていくようです。

年末は紅白を見て過ごしました。

なんだか例年のような格闘技やお笑いザッピングするわけでもなく
紅白を見ながら、家族とバーチャル人生をかけて人生ゲームをしていました。
(人生ゲームでさえ、子もなく可もなく不可もなしのフツー人生でしたけど)

紅白のお目当ては藤井風さんの「死ぬのがいいわ」
まあよく、NHKがこのタイトルの曲を放送する気になったもんだな、と驚きました。

「Grace」や「まつり」や「帰ろう」とか、爽やかな風で演奏するのかと思っていましたから。

と言うわけで、年末に感じたこの軽い衝撃を綴ってみたくなりました。


かごめかごめ的な表現


10時くらいから藤井風さんの出番まで、目をぎらぎらさせて見張っていました。
家族にルーレットのストップをかけ、強制的に全員テレビ視聴モードに切り替えガン見。

実はこの人のことを知ったのは数ヶ月前からなんですが、何曲か聴いているうちに、
(ああ、きっとこの人は何か気づいたんだろうな)と勝手に確信しました。

気づきについても気になるけど、
それ以前にやはりその演奏や楽曲の表現力の豊かさと自由さに、脳みそを直接しゃもじでかき回されたような感覚になりました。

久しぶりに特定のアーティストで他の曲も聴いてみたい!という気になりました。
そして、一気に聞きまくりました。

この現象は私だけではないはずです。すごい吸引力。

彼の演奏は音と一体になっていますよね。
自分の感じた感覚を、自分のやり方で表現しているような。
ピアノの弾き方も、弾き語りもすごいです。のだめちゃん以上!

※私は過去ピアノ8年も習っていながら、全然思ように弾けなかった経験から彼の演奏の能力と才能は、音を表現しているんじゃなくて音と一体になっているんだな、と、しみじみとつくづくとまじまじと感じてます。

そう、禅的な感じ。
そのままピアノと音になっている。

だからかな、
全てと一体になった一瞥体験のような経験があるのでしょうね。

なんでもない全てを見たのか、彼の書く曲の歌詞の世界観は、
色即是空的で、そして言葉にし尽くせないのか少し「かごめかごめ」的な表現がありますよね。


荒れ狂う季節の中を、二人は一人きり
さらり
明け行く夕日の中を、今夜も昼下がり
さらり
(中略)
あれほど生きてきたけど、全ては夢みたい
(中略)
何かわかったようで、何もわかってなくて、
だけどそれがわかって本当によかった

藤井風「きらり」より
真実なんてとっくのとうに
知っていることを知らないだけでしょ

藤井風「何なんw」より
この広い世界の中じゃ収まらない、あなたの心 わたし泳ぐだけ
藤井風「優しさ」より


ちなみに「かごめかごめ」の歌詞

かごめかごめ
かごのなかのとりは
いついつでやる
よあけのばんに
つるとかめがすべった
うしろのしょうめんだーれ
童謡「かごめかごめ」より


この歌詞大好きです。
謎めいて、不思議で、ちょっと怖くて。

でも、何かに気づくことで、いずれ囚われから解放されて自由になれる、そんな意味のような気がする。

夜明けの晩とか、うしろの正面とか、一見矛盾してます。
でも、その矛盾はつねに矛盾なく成立してしまう、有と無が同時にある。
鶴(空)と亀(陸と海)が統べる。

時もないのに、時があって、
あるはずのない物質がそこにあるように見えて
ないはずのストーリーが、さもここにあるように感じる。
リアルすぎる夢。

良いも悪いもなく、ただ淡々と表現されている。
完全な無であって、完全な有であって、完全な調和。

エゴの機能、つまり概念上の「私」
そこに気づいた時、過去も未来も手放すことになる。
それが「私」による夢見たいなもんだから。


「私」はただの概念だったと知った時「あたし」に会えたのではないのか?
その時「私」は勘違いだったと気づいた。

そして本当の「あたし」に会える。

あたしに会えてよかった、やっと自由になれた
藤井風「Grace」より



「自分」はただの現象で、もともと自分などいなかったし、全てが自分でもあった。

この色即是空や非二元的な実相を、それを表現しているようだな、と思える歌詞の曲が多いように思います。

エゴによる囚われは、一時的になくなっても、またしばらくすると戻ってくる。
ただ勘違いと知っているから、解放されない限り苦しさもつきまとう。

そんな心を全身で表現しているように感じます。

(勝手な私解釈ですが)



あたしに会えないなら、死ぬのがいいわ


この曲を初めに聴いた時、
「影(エゴ)」と「光(愛)」を歌っているように感じました。

鏡のなかの自分に向かって。

それとそれまでの彼の書く歌詞の流れから、単純に恋愛や人同士の愛を語っているように思えなかったのもあるけど。

私が感じたのは「影(エゴ)」の自分は「光(愛)」である自分を知っていて、もうあなた(愛)に会えないならもう死んでもいい、みたいな。
だってエゴは自分が消えなければ、愛には会えないのだから。

ちょうどこの曲を聴き始めたとき、自分自身がとても苦しくて苦しくて。

人生なんてないことは気づいていても、
しつこくエゴが囁きかけてくる。

まだもっともっと、今のままじゃだめと求めるエネルギー。
探求も現実のストーリーもやっぱり苦しくて。

それこそ、本当の私に気づくことができないなら、生きてるけど死んでるようなものだと思っていたときだったので、リンクしたのかもしれません。

ほんと、死んだように生きてるのか、生きてるようで死んでるのかわからない状態でしたから(今も若干)

それと以前の記事の「愛の輪郭」で、白を撮影したいと思っていた時期とも重なるので、
より強くそう感じたのかも知れません。

(もちろん、これも勝手な私解釈ですけど)

エゴの自分は、勝手に頭の中でストーリーを生産し続け、
分厚い雲のように真相を覆ってしまう。

思考と感情はいつも激しく波打つ荒波のよう。

それでも一時的に静かになって、霧が晴れて
静かな凪ぎの状態になったかと思えば、

エゴはまた力をつけて荒波になる。
ストーリーに溺れて、足掻いても、もがいても。

消しても消しても。
どれだけ思考で納得させても消えることはない。

だからいつも苦しくて苦しくて。

泣いたり叫んだり、激しい自分の感情について行けなくて
死にたくなる。
このストーリーからもう解放されたいと願う。

時々、鏡のなかの自分に向かって罵倒する。
お前なんかもう消えてしまえ!と。

でも、一方でそれが嘘っぱちだと気づいてる。
それなのに現れてくれない、自我ではない自分。

私の場合の「あんたがええのよ」は
自我のない状態で鏡の中に映っている自分のこと。
「私」は会えないけどね、「あたし」には。

だから、鏡の向こうのエゴの向こうの自分に、
「あんたともう会えないなら死んだほうがマシ」な気持ちがしっくり来ました。

本当はどういう意図の作詞かは知りません。
ただ、私はそう感じた、というだけの解釈です。

会えないかも知れない。
エゴが完全に退去しない限り。


最近、もうそれでもいいか、とため息ついてます。
だから最近の口癖は「もうええわ」でした(笑)

前世も来世も魂もいらんし、転生とかもうええわ。
そんなもんもないと思うけど。

ついでに言うなら、二年前からつけている日記の中で
時々「凪ぎ」がくる時期にいつも、
「特にない」何もない、充足している、とよく書いていたので
これにもちょっと苦笑い。



ところですごい色気なんだけど



PVも素敵でしたね、この曲にぴったり。
表現力が芸術的すぎてびっくり仰天。

モノクロでほぼ顔も見えないような強いコントラストでの、上半身だけのダンス。

爽やかな25歳?の青年と思いきや、人生の機微を思い知ったような老人のような。
男でも女でもない、若者でも老人でもない、あ何か境界のない別の存在。

激しくて苦しくてドロドロで、憎しみで、まどろみで不安で、
それでも凪いで静かで、愛。

だから、心臓の鼓動のようなリズムに乗せて
激しく静かなこの曲に惹かれたのかも知れません。

日本語の通じない外国でも受け入れられたのも納得です。

リズムや声や曲作りの時の感情の固有波振動数が、
作品に込められて伝わっているんですね、きっと。


同じフレーズを繰り返すシンプルさから、よけいに誰でも
どうとでも解釈できるような構成になっていますので
何度でもどう捉えても解釈しても良いように思います。

ところで実は、私はもともと私が人の顔が覚えられないタチでして。
曲や声はしっかり覚えられても、PV見ても曲や曲の内容で顔がくるくる変わるので
風さんの顔がなかなか認識できませんでした。

(そもそも若い子の顔が、みんな同じに見えてくるというお年頃なので)

紅白の時に初めて、テレビの大画面で歌っているのを拝見して思いました。

「やべえ」
(いったい、どこからこの色気が出てくるんだろう)

というか、ファミリー層で視聴している年末のNHKで、
こんなエ○すぎる色気を堂々と放送していいもんだろうかと、思い悶々としました。

正直、悔しい。
長年女性として生きてきましたが、
私には絶対に出せないもん、こんな極上の色気。ちっ。

ピュアだからこそ、表現できる色気ってありますよね。
まさにそれ。

男でもなく女でもなく、若かろうが歳とっていようが、どんな国籍だろうが、
どんな環境だろうが、どんな状態だろうが、関係ない。

知識や情報や経験値も関係ない。
人生のストーリーも何にもいらない。


愛も恐怖も憎悪もあっていいし、もちろんそんなものは初めからない。
善良で残酷で、それが人間。

自我があると勘違いして、境界線を引きたがるけど
そんなものももともとない。

他の動物と同じ、摂理によって動いていて、自然の一部。
分離なんかそもそもない。

みんな本当は何にも持っていないのに、全て持っている。

ピュアさ。だからこそ、惹きつける。

もともとのピュアさは、誰でも持っているはずだから。
ただ忘れているだけ。

忘れているけど、思考での理解はできないけど、
知っている大事な何かを思い出させてくれるトリガーになって

だから共感しているのかも知れませんね。
風さんの「かごめかごめ」的表現は。

全世界に向けて。




2023年 happy new now






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