見出し画像

夢の中です



時間は存在しないから


過去・現在・未来

あるわけない。

時間感覚はある。
カップラーメンができる時間感覚とか。
息をとめていられる時間感覚とか。

カレンダーを見て、スケジュールを入れることもできる。
明日が来るようにも、来年が来るようにも思える。

でも
あくまでも「思える」だけだった。

せめて「今、この瞬間」は実在すると言えるだろう。
しかし、その「今」は絶対に捉えられない。
あ!といった瞬間に過去になる。
待ち構えて受け止めることもできない。

じゃあ、さっきから触れてるクッションは?
目の前にあるパソコンは?さっきからあるでしょ。
「今」がないのに、どうして物質が目の前にあるのよ。

何百年も経っている老木が近所にあるが
あれはどうやって説明するのよ。

時間が存在しない、ただの概念だったことが腑に落ちてからも
どうして物質があるのかが不思議で不思議でしょうがなかった。

そういえば般若心経や覚者や気づきのスピーカーたちも「ない」と言っているのに
目の前にあるし、触れるからよくわからなかった。

この頃、ひとつ大事なことを見落としていたことに気づいた。

「ある」という前提で考えていたから、説明できなかったのだ。

そこで「あるわけない」と仮定してみたところ、私の中できれいに説明がついた。

目の前にある事物・事象。
時間が存在しない以上、連続して物があるということ自体が不可能。
ということは、あるように見えるけど「あるわけない」

五感で感じる匂いも音も感触も味もあるけど「あるわけない」
なんでか知らないけど
「あるわけない」ものがあたかも存在しているかのように
堂々と「あるふり」していると考えると納得ができる。

そうやって考えると、この「私」もあるわけないのに「ある」

おかしいなあ、あるわけないのに「ある」感じする。

でも実際、自分も含めて「あるわけない」のです。



じゃ、なんで「ある」わけ


昔からよく考えていた。

どうして、今目の前にあるさまざまな物・事象、地球、宇宙。
もとを手繰り寄せれば、何もないところから始まったという。

小さい頃は「神様が造ったのよ」なんて話を鵜呑みにして
いろいろな国の世界創生の話をむさぼり読んだものだ。

まあ、大体似たようなもので、お空の彼方に大きな神様がいて
宇宙をかき回して、世界ができた、なんていう。

ある時、神話の挿絵を見て「?。じゃあこの神様はどうやって生まれたの?」

まあ、子供の考えることだから
「じゃあきっと宇宙人かなんかのもっと大きい神様が造ったのかな」なんて思っていた。

そのうち、ビッグバン理論を知って「まあ、そりゃそうかもね」なんて考えて
あっさり受け入れたけど、ちょっと待てよ?

じゃあ、ビッグバンの前には?

相対性理論のいう質量と同等であるという「ある」に変わる、その前の
エネルギーだけの状態になる「前」ってのは何もないんじゃないの。

なんで何もないところから、
いきなりエネルギー場になってビッグバンになるわけ。

何もないのに。

矛盾してる。
これもずっと不思議だった。いくら最新の科学で新しい論説が発表されたと聞いても
やっぱり納得できない。

でも、この件もこの頃
「あるわけない」と仮定してみたら、納得できてしまったのだ。


色即是空空即是色


「あること」即ち「ないこと」であり、「ないこと」即ち「あること」である。

これはつまり、「あるわけない」けど「ある」感じってこと。
エネルギー場が見せている「あるような感じ」ってことになる。

二元の世界観では「で?あるの、ないの、どっちなの!」と思ってしまうが
あるようでない、ないけどある。幻想。夢。
幻影みたいなもの。

「あるわけない」のです。
(らちがあかん)

人間が二元の世界で言葉を使っている以上、表現は言葉の数だけで限定されてしまう。
しかも、1人あたり知っている言語など、たかが知れている。

その上、さらにその「正しい解釈」は存在しない。
辞書に書いてある意味を、読んだ人全員が同じ解釈をしているとは限らないから。

だから、矛盾したことは「思考」には理解できない。
「思考」が理解できることは、知ってることだけであり理解できることだけだから。

これも、当たり前のようで実は当たり前じゃない。

この「あるわけのない」世界で、「あるわけのない」私が考えている言葉に限定されたしょぼい「思考」、なんで「あるわけない」私に「思考」があるわけ。
そしたら「思考」そのものが「あるわけない」。

デカルトの気持ちにちょっとかすってる感じ。
彼は「すべてがなかったとしても、それを考える自分はいる」と言っていた。
でも、私は少し違う。
「すべてないなら、自分もいない」ということになる。

え。でも、こうやって書いたりしてるじゃん。
そう。これも本当は「あるわけない」のです。

そろそろ「思考」が理解不能で怒りだしそう。
「私」は私の消滅を怖がるし、「思考」は理解不能を嫌がる。
でも、丸ごと、何もかもが「あるわけない」と同時に「ないわけでもない」

矛盾を受け入れないことには説明のしようのないこの宇宙。

この世界は、想像していたより「矛盾」で出来ている。

夢の中にいると思って間違いはなさそう。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?