移籍の季節に「裏切られるサポーター」が出現するのはなぜか?その心理と構造。
1月にはJリーグは開催されない。しかし、サポーターの気持ちは大きく揺れる。なぜなら、選手の移籍や契約更新のニュースが連日報じられるからだ。プロ野球とは違い、サッカーは選手の移籍が多い。しかし、それを解っていても、サポーターの中には、移籍の記事、選手コメントを読んで「裏切られた」という思いをした経験がある人が多数いる。なぜだろう。
スポーツそのものを見に行くよりも「役者を見に行く」日本人。
スポーツメディアではスター選手にフォーカスした記事を掲載することが多い。記事や番組では、主役がスポーツそのものでもチームでもなくスター選手個人の場合が多い。よく「スターシステム」と揶揄されるが、日本のファンの多くはスター選手を見に行く。これは、例えば歌舞伎の観客の多くが「役者を見に行く」のと類似しており、日本のエンターテイメントの楽しみ方の伝統といえる。ずっと応援し続けるクラブは決まっているが見たいスター選手がいなくなる・・・だから、日本人には移籍で「裏切られるサポーター」が生まれやすい。
贔屓の選手が移籍し「裏切られた」と心に傷を負うサポーター。
「裏切られた」と感じる場合は主に3つある。
1 移籍コメントに元所属クラブのサポーターへの配慮がなかった。
移籍コメントには2種類ある。「元所属クラブのサイトへ掲載される移籍コメント」と「新所属クラブのサイトへ掲載される移籍コメント」。そのうち「新所属クラブのサイトへ掲載される移籍コメント」を読んで「裏切られた」と感じるサポーターが多いが、「新所属クラブのサイトへ掲載される移籍コメント」は、これからプレーする「新所属クラブ」のサポーター向けのメッセージなので、「元所属クラブ」のサポーターが納得できることは珍しい文章になっている。それでも「裏切られた」と感じる場合があるのだ。
2 移籍しないと思っていた。
そもそも移籍しないと思い込んでいた場合もある。
3 希望する移籍ではなかった。
例えばライバルクラブ等「そのクラブには移籍しないだろう」と思っていた場合もある。移籍のタイミングが予想外という場合もある。
2、3は、サポーターによって個人差のある「自分の愛する枠組の範囲」によっても感じ方が異なってくる。
どの範囲までを共同体と感じるか?愛する枠組の範囲が「裏切られた」と感じるかを左右する。
自分の愛する枠組の外に贔屓の選手が飛び出していくと「裏切られた」と感じやすい。「好きなクラブを一つの愛する枠組み」と考える人は移籍自体で「裏切られた」と感じやすい。「あのクラブだけは愛する枠組の外」と考える人は贔屓の選手が「あのクラブ」に移籍すると「裏切られた」と感じやすい。逆に愛する枠組みの範囲が広く「Jリーグやサッカー界を一つの愛する枠組み」と考える人は「裏切られた」と感じにくい。
もしかすると「役者を見に行く」日本人の中では少数派かもしれないが、移籍や移籍情報をエンターテイメントとして楽しむファン・サポーターも存在する。
似ているが大きく異なる「裏切られたと思う」と「裏切り者のレッテルを貼る」。意図的に「裏切り者」とレッテルを貼ることで対決気分を盛り上げるサポーターもいる。
サッカー界は全世界で、ダービーマッチに代表されるように、対戦相手クラブとの因縁を盛り上げに活用してきた。因縁が応援のモチベーションに繋がるケースが多い。そのため、あえて移籍に際して、移籍して行った選手に、サポーターが「裏切り者のレッテルを貼る」ことがある。「裏切られたと思う」わけではない。しかし、意図的に「裏切り者」とレッテルを貼ることで対決気分を盛り上げるのだ。特に「Jリーグやサッカー界を一つの愛する枠組み」と考える人が、この方法を行う。この仕掛けはプロレスにおける「遺恨試合」の予告と近い。
ただし「遺恨試合」は空振りに終わる場合もあるので注意が必要だ。
各国のサポーターの行動は、その国のカルチャーを反映する。
サッカー選手は、日本人に長く親しまれてきたスポーツエンターテイメントの大先輩・プロ野球選手とは契約形態が大きく異なり、デビューから引退までを1つのクラブでプレーし続ける選手は例外だ。プロ野球をスタンダードと無意識に感じてしまうと「裏切られたと思う」ことに繋がるだろう。日本のスポーツエンターテイメントにおいてプロ野球の影響力は絶大だ。例えば、数年前まで、Jリーグ選手の「契約満了」が「戦力外」とスポーツ新聞に報じられていたのも、その影響力の大きさを表している。また、「戦力外」でなければ雇用され続けるだろう、という、長く日本社会で維持されてきた終身雇用の習慣も、いまだにサポーターの心理に影響しているといえる。