見えなくなる人、聞こえすぎる人。

記憶にも新しい今年の箱根駅伝。

創価大学の10区は、先天性の網膜色素変性症を患うランナー・嶋津くん。

スタートから監督の心配をよそに爆走し、11位から9位まで浮上。チームはシード権を獲得し、嶋津くん自身も区間新を獲得した。


網膜色素変性症は、将来失明する可能性も高い目の病気だ。嶋津くんも現時点で夜盲、つまり「暗いところではほとんど見えない」症状が出ている。ただ、直射日光による紫外線は病気の進行に繋がる。夜盲でサングラスはかけることは出来ないから、代わりに白い帽子を被ることで対処している。

嶋津くんのことは、同じ病気を抱えている永井くんのことを含めて、ニュースで知った。家族以外の人間、それも同学年。陸上の世界でのネットワークがあったから、二人は出会えたんだな、と思った。


先に嶋津くんと永井くん、それに同じ病気で苦しむ人に謝ります。

これから綴ることは、この病気で苦しむ人を不愉快にさせる可能性があるので。

それでも、箱根駅伝の興奮が落ち着いた頃から、今の今までずっと思ったことを吐き出したいから、吐き出します。


「将来失明したとしても、視覚障害の陸上種目はあるし、ブラインドマラソンでも二人は活躍出来るよね。ブラインドマラソンは伴奏者がいるし、二人にはこれまでの練習で培ってきた走力がある。

何より、二人は家族や親族、それに周りの人に理解者が多いよね。すごく、恵まれているよね」と。


自分の聴覚過敏は、家族にも親族にも、そして周囲の人にも理解されなかった。一番助けてほしい幼少時から、逆に突き放され、いじめの対象にもなった。パニックで癇癪を起こせば逆に怒られ、「ええ加減慣れろ!」の一点張り。

成長に連れて環境が変わったので、周囲の人には多少理解されるようになったけど、家族と親族の親世代に関しては多少の変化はあれど、やはり否定的な意見が多い。

それもあって、運動会や体育祭は地獄でしかなかった。ピストルや風船は目に入っただけでパニックや癇癪を起こすから。


だからと言って運動音痴なのかと言われると・・・まあ、球技はバドミントン以外壊滅的だが、ないわけではない。タイプとしてはスピードよりもスタミナ、つまり短距離よりかは長距離に向いているタイプで、体育の授業でもマラソンは参加していたし、小学校と高校のマラソン大会は参加している(中学校の時は立地の都合上、マラソン大会がなかった)

でも、駅伝やマラソン大会、その大会関連のイベントを見ていると、聴覚過敏の自分はどこか疎外感を感じる。

「車椅子や視覚障害の人はいるけど、イヤーマフとか遮音のイヤホン、それに耳栓を付けている人がいない」から。


実際、いくつかの大会では公式ルールとしてヘッドホンやイヤホンの着用禁止が事前に掲載されている。無論、必要な手続きと申請をした上で遮音目的の装具の着用は認められるかもしれないけど・・・少なくとも陸上選手の中では見たことがないし、イベント関連のニュースでも見たことがない。

聾者、つまり「聞こえない人」のパラリンピックであるデフリンピックでは、競技種目に陸上もマラソンがあるのに・・・。


「聞こえすぎる人間は、大勢の人とスポーツを楽しむことが許されない」

「でも見えない人、聞こえない人は、スポーツを楽しめる環境があって、しかもどんどん整備されていっている」

「マラソンはサングラス着用が認められているから、見えすぎる人はサングラスを着用すれば走れるし、(皮膚感覚が)感じすぎる人も出来るだけ単独走になるように走ればとりあえずは走れる」


じゃあ、聞こえすぎる人は?

参加したい気持ちはあっても、ルールとか主催者に「ダメです」と言われたら、その時点で諦めるしかない。イヤーマフを付けてカメラ片手に撮影するか、配信や中継でレース展開を見ていることしか出来ない。


確かに聴覚過敏持ちは大勢の中にいることが苦手である。

音を脳内で処理するのに、一般的な人よりもとにかくエネルギーを使うし、音の聞き分けで混乱することも多く、体調を崩す人も多い。

それでも、興味があって「参加してみたいな」と言う思いは他の人と何ら変わりない。


聞こえすぎる人は、楽しみを共有することすら出来ず、たった一人取り残されていく。

それが数え切れないほど繰り返されていけば、やる前から諦めることが当たり前の人生になっていくし、考えも後ろ向きのまま変わることもない。

まあ、聾者や盲者と違って、聴覚過敏は原因となる病気が全く異なるが。


・・・これに関しては、また別の機会で。


#El_comienzo_Del_Cabo #網膜色素変性症 #聴覚過敏

#イヤーマフ

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