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仮装大賞クラブ


小さな脳みそで考えていた。
それはものすごく。


1994年。平成6年。
街中でスカウトされるほどの可愛さはもちろん皆無、劇団などに入っているわけでもなく、特に何の取り柄もないハイパー郊外タウン松戸在住の小学生が一体どうやったら憧れのテレビに出られるのか、ということについて。


もちろん当時SNS、
YouTubeなどはない。


時々スポーツや音楽などに秀でたスーパーキッズがテレビに出るのを見かけることはあった。


ならば何か一芸で注目してもらえるように頑張るのはどうか?


ノンノン。


君、ナンセンスだよ。
子供石出はね、
決して努力などしないで、明日にでもテレビに出たいんだ。


そこで各チャンネルを回し、手っ取り早く出られそうな番組はないか?とテレビを注意深く観察した。
こういうことの努力はする子供だった。


素人がテレビに出る方法はいくつかあっただろうけど、その中でも両親が好きだったこともあり家族みんなでよく見ていた『欽ちゃんの仮装大賞』に白羽の矢が立った。


おそらく個人のすごいスキル(優れた顔、技)は必要なく、
いいポジションを確保すれば友達の力を借りてテレビに出られる、という非常に狡い考えからだったと思う。


ひとたびテレビに出さえすればそれがきっかけでスカウトされるに違いないと目論んでいた。


だって松戸なんかにスカウトマンさんが来る訳ないもの、仕方ないから一度こっちから出向いて差し上げましょ、と自分が発掘されていないことを土地のせいにして出場決意を固めた。


当時の仮装大賞に出場するまでの行程は


・電話で応募用紙を取り寄せる

・書類審査

・書類審査後電話面接審査

・地区予選

・全国予選

・本戦出場


となる。
今は変わっていると思うけど、当時はホームページを見るとかないので、仮装大賞の放送中にテロップで表示される電話番号を必死でメモした。


何度も確認したり掛け直したりしたために、私は今でもこの受付電話番号を暗記している。


「日本テレビ」という名前入りの封筒が家に届いた時はとても興奮し、上質なケント紙の応募用紙がまるでテレビの世界への切符のように思えた。


クラスで仲のいい、
言うことを聞いてくれそうな優しい子ばかりを数人集めて、小4のとき私は欽ちゃんの仮装大賞略して『欽かそクラブ』を始めた。

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私は自分がテレビに出たくて仕方ないので、欽かそクラブはすごくスパルタだった。


行間休み、昼休み、放課後、
同級生の全ての自由時間の全ての自由を奪って会議を何度も開いた。
1人10個は仮装のネタを考えてくるように命じた。

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皆にアイディアを出させ一応話し合うものの、私は結局自分のアイディアを使おうとするどうしようもないワンマンクソリーダーだった。

この画像でも最終多数決の赤文字で書いてあるところ、「3D」に5票(納得したフリをした自分含む)入っているのに、後ほど結局自分で考えたうっすら丸のついている「すいかわり」を押し切るのだった。


ノートの裏表紙に書かれた
「ちかい その2」を1番守っていないのはおまえだ。


小学生ヒトラー石出は書類に仮装の概要、工夫した点、絵コンテなどを独裁的熱量で記入し応募した。


小4から発足して小5になっていたある日、日テレの方から自宅に電話がかかってきて、書類の内容に沿って電話審査のような質疑応答が始まった。
両親と先生以外の大人と、しかもテレビの世界の人と話すのは初めてで、緊張しながらも自分個人のこともムダにアピールした。


蛇足個人アピールでかなりのマイナス点を重ねたがなんとか書類を通過し、

松戸ワンマンキンカソクラブは地区予選に進むことになった。


場所は日本テレビ麹町スタジオ。
初めて入る憧れのテレビ局。
地区予選でもメイクさんがいてくれて、顔を真っ赤に塗ってくれた。


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優しいメンバーのおかげでやらせてもらえた「すいかわり」。

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予選用のカメラが入っていて、
たくさんの大人が見ていて、
私はパニックになり訳の分からないプレゼンをして審査は終わった。

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写真で分かるくらいの単純すぎる演目はもちろん不合格だったけれど、帰りの電車で胸がいっぱいだったことを覚えている。

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小6まで頑張って何度かチャレンジしたが地区予選以上に進めることはないまま中学生になり、
そうか、グループよりも女優としてソロ活動したほうがいいんだわ、神様もそう言ってるもの…と私の恐怖の脳内オリジナル宗教の下に欽かそクラブは自然消滅した。


テレビには簡単には出られないと知った活動の一つで、でもやっぱりテレビに出たいという気持ちも同時にモクモクと膨らんだ自主クラブ活動だった。




そんな仮装大賞の記憶はとっくにぼんやりして芸人になった今、あの時とまったく同じ麹町スタジオの部屋でオーディションを受けることがある。



見覚えのあるいつかの部屋で、
昔と同じように予選用のカメラの前でたくさんの大人の前で訳の分からないプレゼンをして、真っ赤な顔をしている自分。


もしかしたらまだ、
仮装大賞の予選中なのかもしれない。


地区予選を通過し後楽園ホールで16点以上にランプが駆け上っていく日を、私は今も夢見ている。




できればファンタジー賞がほしい。




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