石出奈々子

浅井企画の芸人、石出奈々子です。 不思議ぃ〜。

石出奈々子

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最近の記事

まともな感覚のテッペンを越えてラララ星の彼方

芸人期間の13年を含めても、あそこまで心身共にぐちゃぐちゃだった時期はなかったと思う。 小さい頃からテレビに出る人になりたくてなりたくて仕方がなかった私だったが、 その機会に恵まれることもなく大学を卒業、色々な葛藤と就活を経て、新卒でテレビ番組の制作会社へ入社した。 22歳の春、テレビスタッフ下っ端イメージの代表であるADというものになった。 テレビの世界にいさえすれば出る側のチャンスに恵まれるかもしれないという邪な思いプラス、何年か私のクリエイティブを裏方側でも発揮し

    • 若者よ、その肛門に意味はあるか

      大学生3年になると突きつけられるもの、就活。 割とお嬢様の多い、都心の大学の英文科に進んだ私はキレイでリッチな同級生たちに2年間でしっかり圧倒され、女優になりたい(本当はとにかくテレビに出たいだけで演技に情熱なし)などとはそうそう口にはできなくなっていた。 そのため、就活どうする?という話題になったら、「昔からマスコミに興味あってさ、そっち系かな」 などと広い意味では嘘をついていない範囲で答えていた。 物心ついた時からテレビに出たい!とまっすぐに夢見て、ここまでまっすぐ

      • ほとんど相武紗季

        ほとんど暴力といっていいような題名で始まったこの文章。 小学生の時からとにかくテレビに出る人になりたくて、 その中でも女優さんがかっこよかったので、 演技が好きなわけでもないのに女優を目指していた少女のわたし。 日夜テレビに出たい出たいとわめいていたので、お母さんがそんな私をいいかげんに黙らせるため、小五の時にとある雑誌を買ってきてくれた。 「月刊デ・ビュー」という、オーディション雑誌だ。 一般人が応募できるオーディションを載せている雑誌で、大手芸能事務所の新人募集情

        • 36歳の私は毎日お母さんとお風呂に入る

          皆さんは何歳までお母さんとお風呂に入っていただろうか。 聞いたところ、多くの人は小学生までで一人お風呂デビューするらしい。 やはり小学校高学年から中学生くらいで思春期に入り、心も体も繊細で微妙な時期が訪れるゆえ、 親に見られたくなくなるし、お風呂では一人になりたいと思うし、親もそれを察してそろそろ…と言うのが自然な流れだろう。 ところが驚くなかれ、36歳の私は未だにこのデビューを果たせておらず、 今でも毎日お母さんと一緒にお風呂に入っているのである。 2人入っても大

        まともな感覚のテッペンを越えてラララ星の彼方

          スクープがないなら作ればいい

          小学生の時の係や委員会というのは、 あの小さなコミュニティの中でも自分の存在感を示すのに充分な役割を果たす。 芸能人になるのだからどんな小さなコミュニティでも目立たなくては、というキテレツな強迫観念に駆られていた石出は、出たがりなヤツの大好物、学級委員、実行委員、応援団などにバンバン挙手してかりそめのクラストップを務めていた。 当然のごとく全て自薦。 なのに選ばれた人間のような顔をし、進んで雑用に励む毎日。 しかし小3の時、学級委員に少し飽きた私は先生に 「新聞係」を提

          スクープがないなら作ればいい

          ウスバカゲロウ

          小学校の同級生に大人になって再会すると、ほとんどの人にずいぶん落ち着いたね、と言われる。 本当に恥ずかしく、何と言っていいか分からない。 決してわたし昔やんちゃしててさあ… 的な自慢ではない。 そこには同級生たちの、「ヤバイやつだったよね…」という声なき声が聞こえてくるからである。 まあ、今もそれなりにヤバイかもしれないが、なんというか、私はすごくやりたい放題のとにかく勝手なやつだったのだ。 ひとえにそれは「将来は芸能人になってチヤホヤされたい」という真っ直ぐに身の

          ウスバカゲロウ

          仮装大賞クラブ

          小さな脳みそで考えていた。 それはものすごく。 1994年。平成6年。 街中でスカウトされるほどの可愛さはもちろん皆無、劇団などに入っているわけでもなく、特に何の取り柄もないハイパー郊外タウン松戸在住の小学生が一体どうやったら憧れのテレビに出られるのか、ということについて。 もちろん当時SNS、 YouTubeなどはない。 時々スポーツや音楽などに秀でたスーパーキッズがテレビに出るのを見かけることはあった。 ならば何か一芸で注目してもらえるように頑張るのはどうか?

          仮装大賞クラブ

          愛しの安達祐実ちゃん

          誰に憧れて芸人になったんですか? と聞かれると私はいつも 「安達祐実さんです」と答える。 ボケのように思われるかもしれないけれど、ほんとにほんとなのだ。 もちろん安達祐実さんは芸人ではない。 「同情するなら金をくれ」も持ちギャグではない。 しかし私がこんなにテレビに出たくてしょうがない子供になったのは、安達祐実さんの影響なくして語れない。 安達祐実さんといえば社会現象となった『家なき子』が有名だが、 私はそのもっと前から祐実ちゃん(と昔の私はいつも呼んでいた)に目を

          愛しの安達祐実ちゃん

          なりたがり

          子供の頃から周りに宣言していた。 絶対に女優になる。 明確な夢を持ち信じ続けた人だけが、 その通りの未来を手に入れる。 有名人が小さい時既に文集や作文に、将来こうなる、と宣言していて、その通りになったというドキュメントを見ることがある。 それは漫画家さんなり野球選手なり歌手なり、本当に小さい時からそれが好きで好きで仕方ない、という情熱の出発点の元、開けた道だ。 ここで私の中学生の時の卒業文集を見てほしい。 これがガラスの仮面の北島マヤちゃんみたいに、お芝居している

          なりたがり