まともな感覚のテッペンを越えてラララ星の彼方
芸人期間の13年を含めても、あそこまで心身共にぐちゃぐちゃだった時期はなかったと思う。
小さい頃からテレビに出る人になりたくてなりたくて仕方がなかった私だったが、
その機会に恵まれることもなく大学を卒業、色々な葛藤と就活を経て、新卒でテレビ番組の制作会社へ入社した。
22歳の春、テレビスタッフ下っ端イメージの代表であるADというものになった。
テレビの世界にいさえすれば出る側のチャンスに恵まれるかもしれないという邪な思いプラス、何年か私のクリエイティブを裏方側でも発揮して差し上げましょう、
というとんでもない厚かましさで選んだ仕事だった。
その厚顔は忙しさに一瞬で叩き割られ、瞬く間に崩れ落ちた。
私は特番班に配属され、年末の2番組を同時に進行するチームの末端として働いた。
コンプライアンス、とか、働き方改革、とかそんな言葉も存在しない2008年。
制作の仕事は、世にイメージされる通りの忙しさ、いやそれ以上だった。
ピーク時には平均睡眠3時間(2日に1回)、一ヶ月間の入浴回数わずか3回、帰宅回数0回という鬼ハードモード。
テッペン(業界用語でいうところの24時)を越えるのは毎日当たり前の空気で、それがエンドレス。
ちなみにテレビ局ではないので仮眠のためのベットなどはない。
ソファの上は先輩が寝るのでNG。イスをつなげて寝るのも、滑車がついたオフィスの椅子が寝ている間にどんどん離れていって後に崩落するのでNG。
本当にただのガチオフィスの床に体を横たえるだけ。
私は椅子をどけて、自分のデスクの下に上半身を入れて寝るのがお気に入りだった。
秘密基地みたいだし、デスクの影がアイマスクのようなブランケットのような安らぎをもたらしてくれる。
引きで見ると腰から上は机という逆ケンタウロススタイル、机人間スタイルだ。
後から派遣で入ってきた後輩にこの寝方を親切でオススメしたら、次の日から来なくなってしまった。
デスクケンタウロス、しょんぼり。
とにかく寝ていい時間がないので、先輩の目を忍んではなんとか寝ようとしていた。
会議中にタレントの漢字を思い出しているフリして唸りながら30秒目を閉じたり、
便秘のフリして長めに洋式便座に腰掛けながら布団の夢を見たり、深夜にお使いついででオシャレビルの大理石エントランスに事件現場よろしく倒れ込んで10分過ごしたり。
ちなみに大理石は他の石の床に比べて少し柔らかく寝心地がいい。さすが高級素材。
建築デザイナーとかではなく、自らの寝心地で石の硬度を検証した人は珍しいだろう。
漫画喫茶や銭湯に行けるはずもなく、洗面台でシャンプーをし、ジェットタオルにうらめしやのカンジで髪の毛と手を入れてドライヤー代わりに。
下着を洗ったり買ったり換えたりする暇もないので、パンツはリバーシブルで使っては汚れを削って使っていた。
会社のトイレにウォシュレットとビデ機能がなかったらと思うと恐ろしい。
私があまりにこれらを有難がるので、地元の友達からはイシデ・ナナコならぬビデ・ナナコというデザイナーのような呼び名をもらっていた。
そんな生活が続く中、私はUFO特番のADになり、ディレクターからあるミッションを授かった。
それは、「一度でもUFOにさらわれたことのある人を探してこい」というものだった。
真人間なら、ちょっと何を言っているのかわからないと思う。
しかしこの時のADというのはとにかく言われたことをやるしかない生き物だったのだ。
さっそく私は渋谷の街に出て、すこしコスモなカンジがする人に話しかけては「宇宙人にさらわれたこととかってありますか?」と聞いた。
カメラやマイクの機材があるわけでもなかったので、まともに取り合ってくれる人はいなかった。
ボロボロの見た目に疲れた笑顔にこの質問。仮にさらわれたことがあっても関わりたくはなかっただろう。
街頭インタビューでは成果が上がらず、そのころはまだ一部の人しか見ていなかったYouTube内の超常現象系映像を見漁っては国内外問わずDMを送ったが見つからなかった。
ディレクターからは「さらわれた人見つかった?」という誘拐事件捜査本部のような催促が来た。
捜索にはかなり時間がかかってテッペン越えと徹夜が続き、犯人くらい追い詰められていた所轄ADの私に、ある日救世主が現れた。
とあるサイト主のそのお方は、40年にわたり独自にUFOを研究していて、宇宙人とコンタクトをとった人を知っているという。
私は急いで電話をかけた。
すぐに落ち着いた声の男性が出た。
彼によると、アンドロメダ座付近の星と地球とで交換留学が行われていて、日本からは13人が参加したという。
そのうちの2人は向こうの星が気に入って残り、向こうの星人は3人、地球に残ったという。
心ばかりのマージンさえ払えば、何と潜伏宇宙人の彼らに合わせてくれるというのだ!!
この広い宇宙で今、巡り合うことのできたおじさま、いや神さまに私は心から感謝した。
神のありがたきお話を受け、上司のデスクへ飛んでってすぐさま報告した。
「あの、アンドロメダ座に交換留学した方のお話が、20万払えば聞けるそうです!払っていいですよね!?!?」
私の顔は、満天の星空のように煌めいていただろう。
ところが忙しい上司の顔はみるみる曇り、稲妻が落ちた。
「いいわけないだろ!!バカか!!目を覚ませ!!」
…!!!
稲妻は私の脳天を貫いた。
そうか、私、バカなんだ。
アンドロメダ座交換留学宇宙人に20万って、バカなんだ。
てか、冷静になってみれば、そんな訳ない。
目が覚めた哀れな元・信者の私は、元・神さまの現・謎おじさまに丁重にお断りを入れて電話を切った。
私は何日もテッペンを越えているうちに、まともな人間としての境界も越えてしまっていたらしい。
気づいた時にはとっくに番組の方向性は変わっていて、もう宇宙人に誘拐された人は必要なくなっていた。
そもそもディレクターもそんなに本気じゃなかったようだ。そりゃそうだよな。
夜風に当たろうと非常階段へ出て上を見ると、東京の狭い空じゃ見えるはずのない流れ星が一つ、駆け抜けて消えた気がした。
そしてなぜかこの歌が、頭の中を微かに流れて来た。
♪
空を越えて ラララ 星の彼方
行くぞ アトム ジェットのかぎり
心やさしい ラララ 科学の子
十万馬力だ 鉄腕アトム
一馬力あるかないかでADを何とか1年勤めたが、普通腕の石出アトムはジェットが持たず退職した。
そして今は、芸人という星の彼方目指して飛び続けているわけなのです。(激ダサ)
この春から新社会人になる皆様へ、私がアドバイスできることがあるとすればただ一つ。
寝よう。
とにかく寝てればおかしな判断をしなくてすむから。
とにかく寝ないと色んな意味で飛んじゃうから。
とにかく人間は寝ないとダメになっちゃうから。
たまに寝なくて平気みたいな人もいるけど、たぶんそれ科学の子か宇宙人だから。
…やっぱりアンドロメダ星人が3人残ってるのかな?
…。
寝よう。